ジョフロワ1世 (ブルターニュ公)
ジョフロワ1世(フランス語:Geoffroi I, 980年ごろ - 1008年11月20日)は、レンヌ伯、ブルターニュ公(在位:992年 - 1008年)。ブルターニュ公国は長い間独立していたが、ジョフロワ1世はバス=ブルターニュの大部分はほとんど支配できなかった[a] 。
ジョフロワ1世 Geoffroi I | |
---|---|
ブルターニュ公 | |
ジョフロワ1世とアヴォワーズの結婚 | |
在位 | 992年 - 1008年 |
出生 |
980年ごろ ブルターニュ公国、レンヌ |
死去 |
1008年11月20日 ナント |
配偶者 | アヴォワーズ・ド・ノルマンディー |
子女 |
アラン3世 エヴェヌス エオン1世 アデール |
家名 | レンヌ家 |
父親 | ブルターニュ公コナン1世 |
母親 | エルマンガルド=ジェルベルジュ・ダンジュー |
生涯
編集ジョフロワ1世はブルターニュ公コナン1世とエルマンガルド=ジェルベルジュ・ダンジューの長男として生まれた[1]。レンヌ伯ジュディカエルの孫にあたる。
ジョフロワがブルターニュ公位を継承したとき、以下の問題を抱えていた。
996年、ジョフロワ1世が16歳のころ、二重結婚によりノルマンディー公リシャール2世と同盟を結んだ[2]。教会の認可を受け、結婚式はブルターニュとノルマンディーの国境にあるモン・サン=ミシェルで行われ、ジョフロワはノルマンディー公リシャール1世の娘でリシャール2世の妹アヴォワーズと結婚し[3]、リシャール2世はジョフロワの妹ジュディットと結婚した。
子女
編集アヴォワーズとの間に4子が生まれた。
注釈
編集- ^ レンヌ伯であったジョフロワ1世は992年にブルターニュ公となったとみられる。ブルターニュはこのときまだフランス王国の一部とはなっていなかったが、これまでのブルターニュ公はまだ成立してまもないフランス王国に臣下の礼を取っていた。ジョフロワ1世の時代まで、ブルターニュ全土に対するジョフロワの宗主権の主張は弱く、ブルターニュ西部およびナントを事実上支配していなかった。William W. Kibler, ed., Medieval France: An Encyclopedia (New York: Garland Publishing, 1995), p. 148; The New international encyclopædia, Volume 3 (1918), p. 789 を参照。
参考文献
編集- ^ a b c d Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band II (Verlag von J. A. Stargardt, Marburg, Germany, 1984). Tafel 75
- ^ a b Francis Palgrave, The History of Normandy and of England, Vol. III (Macmillan & Co. London, 1864), p. 80
- ^ Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band II (Verlag von J. A. Stargardt, Marburg, Germany, 1984). Tafel 79
- ^ a b George Edward Cokayne, ed. H. A. Doubleday, Geoffrey H. White, & Lord Howard de Walden, The Complete Peerage; or, A History of the House of Lords and All its Members from the Earliest Times, Vol. X (London: The St Catherine Press, Ltd, 1945), pp. 779-780
|