ジョン・フルシアンテ
ジョン・アンソニー・フルシアンテ(英語: John Anthony Frusciante, 1970年3月5日 - )は、アメリカのミュージシャン。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリスト、ボーカリスト。
ジョン・フルシアンテ | |
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![]() ジョン・フルシアンテ(2006年) | |
基本情報 | |
出生名 | John Anthony Frusciante |
生誕 |
1970年3月5日(50歳)![]() |
ジャンル |
オルタナティヴ・ロック インディー・ロック ファンク エクスペリメンタル エレクトロニカ |
職業 | ミュージシャン、シンガーソングライター、レコード・プロデューサー、映画プロデューサー |
担当楽器 | ギター、ボーカル、ピアノ、ベース、キーボード、マンドリン、バンジョー、クラリネット |
活動期間 | 1988年 – |
レーベル |
ワーナー・ミュージック Record Collection バードマン・レコーズ アメリカ・レコーディング |
共同作業者 |
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ アタクシア マーズ・ヴォルタ |
公式サイト | www.johnfrusciante.com |
著名使用楽器 | |
フェンダー・ストラトキャスター フェンダー・テレキャスター グレッチ・ホワイトファルコン フェンダー・ジャガー ギブソン・レスポール |
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、2003年には第18位、2011年の改訂版では第72位となっている。
略歴編集
ニューヨークのクイーンズ生まれ。12歳の頃にカリフォルニア州へ引っ越している。両親は共にミュージシャンであった。母のゲイルは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの曲「アンダー・ザ・ブリッジ」で歌声を披露している。
15歳の時に観たチリ・ペッパーズのライブに魅了され、ギターとベース・歌詞をすべて暗記するほどのめり込む。1988年12月、オリジナル・メンバーのギタリスト、ヒレル・スロヴァクが死去し、代役ギタリストも早々にバンドを去っていたチリ・ペッパーズに加入する。当時18歳のジョンにとって、これが実質的に初のバンド活動であった。加入後には『母乳』、『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』、『ホワッツ・ヒッツ!?』(キャピトル時代のベストアルバム)の各作品に参加している。
1992年の来日公演中に脱退。一時期は半ば隠遁生活を送り、ヘロイン中毒とうつ病に苦しんだ。
1999年、病と薬物中毒を克服してチリ・ペッパーズに復帰。以後は、バンドサウンドの核として活躍。『カリフォルニケイション』、『バイ・ザ・ウェイ』、『グレイティスト・ヒッツ』(ワーナー音源のベストアルバム)、『ライブ・イン・ハイド・パーク』(2004年6月19・20・25日にロンドンにあるハイド・パークで行われたライブの音源化)、『ステイディアム・アーケイディアム』で演奏している。
ローリング・ストーン誌の2007年2月号(7日発売)では、ジョン・メイヤー、デレク・トラックスと共に「現代の三大ギタリスト」 (The New Guitar Gods) に選出された。
2009年12月16日、自身のオフィシャルサイトで「自身の音楽を探求したい」との理由で、チリ・ペッパーズからの脱退を表明。最初の脱退時とは異なり、他のメンバーもジョンの意思を尊重しており、円満な脱退となった。
それからちょうど10年後の2019年12月16日、フリーとバンドの公式インスタグラムでレッド・ホット・チリ・ペッパーズへの二度目の復帰が発表された。
人物編集
フリーは「ジョンの音楽への意欲は尽きることが無い」とベスト盤のメンバーズレビューで賞賛しており、同アルバムのレビューで、CDを買う金の無い小さい頃は、ラジオで流れる曲をテープで録音して聴いていたことも書かれている。薬物中毒から復帰した現在では「若い頃、髪型や服装、女の尻に気を使う暇があったらもっと違う創造的なことを注視するべきだった。悉く時間を無駄にしていた。」(クロスビート誌)などの発言も残している。数え切れないほどのCD、無数のLP盤を所持しており、来日した際には、レコード店のCDをダンボール箱一杯に買っていったほど。自宅にはレコーディング機器もあり、ソロ作品はその機器で録音された。バイセクシャルと解釈できる発言もいくつか残しているが、真意は定かではない。
他のアーティストとの交友編集
フリーやマーズ・ヴォルタ、フガジのメンバーなど、様々な友人ミュージシャンと音源を残さない急造バンドを作って活動することも多い[† 1]。 チリ・ペッパーズのメンバー、フリーとは、特に仲が良い。チリ・ペッパーズの活動以外にも、即席バンドでの活動やソロアルバムでの客演など、双方の音楽活動において切っても切れない関係を構築している。薬物中毒期に何度もジョンの自宅を訪問し、バンドへの復帰をアンソニー・キーディスに打診したのも、フリーである。ちなみに、バンドへの加入当初は、アンソニーとほぼ毎日行動を共にし、毎日電話を掛け合うなど、とても仲が良かった。それが原因で、当時の彼女と別れている。
2002年以降は、バイシクル・シーフのジョシュ・クリングホッファーと共に音楽制作を行うことが多い。ジョシュも、2006年以降のチリ・ペッパーズのツアーにおいてサポート・メンバーとして同行しており、ジョンの二度目の脱退から復帰までチリ・ペッパーズの正規ギタリストとして活動した。
また、マーズ・ヴォルタやフガジを通じた人脈から、USインディーレーベル・アンダーグラウンドのアーティストと共に活動をすることもある。
その他、ビョークやウータン・クラン[† 2]、レディオヘッドのトム・ヨーク[† 3]、元ナイン・インチ・ネイルズのチャーリー・クロウザー[† 4]など、交友のあるアーティストは数多い。
使用機材編集
- フェンダー・ストラトキャスター
- 2011年現在のメインは、62年製のもの。
- ストラトキャスターを数多く所持しており、1番のお気に入りは62年製のスリートーンサンバースト、2番目は55年製のツートーンサンバースト、3番目は61年製のフェスタレッド、とのこと。
- フェンダー・テレキャスター(後にジョシュ・クリングホッファーに譲った)
- フェンダー・ジャガー(ジョンが最も長く所持しているギター)
- グレッチ・ホワイトファルコン
- ギブソン・レスポール・カスタム
- ヤマハ・SG2000(2011年以降はストラトはほとんど使わなくなり本機がメインギターの座に収まっている)
- ヤマハ・SG1500
- マーティン・Martin & CO. 0-15
ディスコグラフィ編集
- Niandra Lades and Usually Just a T-Shirt - Niandra Lades and Usually Just a T-Shirt(1994年3月8日)
- スマイル・フロム・ザ・ストリーツ・ユー・ホールド - Smile From The Streets You Hold(1997年8月26日)
エストラス・イーピー - en:Estrus (EP) (1997年)
- トゥ・レコード・オンリー・ウォーター・フォー・テン・デイズ - To Record Only Water for Ten Days(2001年2月13日)
- From the Sounds Inside - From the Sounds Inside - (2001年)
- シャドウズ・コライド・ウィズ・ピープル - Shadows Collide With People(2004年2月24日)
- ザ・ウィル・トゥ・デス - The Will To Death(2004年6月22日)
- オートマティック・ライティング - Automatic Writing(2004年8月10日)
- ディーシー・イーピー - DC EP(2004年9月14日)
- インサイド・オブ・エンプティネス - Inside of Emptiness(2004年10月26日)
- ア・スフィアー・イン・ ザ・ハート・オブ・サイレンス - A Sphere in The Heart of Silence(2004年11月23日)
- カーテンズ - Curtains(2005年2月1日)
- ザ・エンピリアン - The Empyrean(2009年1月14日(日本先行発売)、20日)
- レター・レファー - Letur-Lefr(2012年7月4日(日本先行発売)、17日)
- ピー・ビー・エックス・ファニキュラー・インタグリオ・ゾーン - PBX Funicular Intaglio Zone(2012年9月12日(日本先行発売)、25日)
- Enclosure(2014年4月8日)[1]
参加作品編集
- 「Shaky Ground」Fishbone
- 「Anytime At All」Banyan
- 「Rev」Perry Farrell
- 「De-Loused in the Comatorium」The Mars Volta
- 「Frances The Mute」The Mars Volta
- 「Amputechture」The Mars Volta
- 「The ID」メイシー・グレイ
- 「プロウバック」トリッキー
- 「ブラウンバニー」ブラウンバニーサウンドトラック
- 「8 DIAGRAMS」ウータン・クラン
脚注編集
注編集
- ^ 唯一、ジョシュ・クリングホッファーらと組んだアタクシアのみ、ソロの一環として作品を残している。
- ^ 作品にジョンが友情出演。
- ^ ジョンは、ソロライブでレディオヘッドの楽曲をカヴァー、トムもイン・レインボウズの楽曲においてジョンからのインスパイアを認める。
- ^ ジョンのソロに参加。
出典編集
- ^ ジョン・フルシアンテ、4/8にソロAL『Enclosure』発売 - ro69 - 2014年9月7日閲覧
参照文献編集
- recommuni ジョン・フルシアンテ特集(日本語)
- クロスビート『File Vol.1 RED HOT CHILI PEPPERS』
関連項目編集
外部リンク編集
- John Frusciante(英語)
- John Frusciante - Facebook
- John Frusciante (@johnfrusciante) - Twitter
- John Frusciante / ジョン・フルシアンテ|ワーナーミュージック・ジャパン(日本語)