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ジョン・ロバート・ベイルJohn Robert Bale , 1974年5月22日 - )は、アメリカ合衆国メリーランド州出身のプロ野球選手投手)。

ジョン・ベイル
John Bale
John Bale on July 29, 2009 (cropped).jpg
ロイヤルズ時代(2009年7月29日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 メリーランド州チェバリー
生年月日 (1974-05-22) 1974年5月22日(45歳)
身長
体重
193 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 MLBドラフト5巡目
初出場 MLB / 1999年9月30日
NPB / 2004年4月4日
最終出場 NPB / 2010年9月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴編集

プロ入り前編集

サザンミシシッピ大学を卒業。

ブルージェイズ時代編集

1996年トロント・ブルージェイズからドラフト5巡目で入団。

1999年9月30日に、メジャーデビューを果たす。

オリオールズ時代編集

2000年12月11日、ジェイソン・ワースとのトレードでボルチモア・オリオールズへ移籍した。

メッツ時代編集

2002年にはニューヨーク・メッツに所属していたが、メジャーでは一回も出場しなかった。

レッズ時代編集

2003年5月8日、シンシナティ・レッズと契約した。この年は、10試合に出場した。

広島時代編集

2004年広島東洋カープに入団。シーズン開幕より先発ローテーションを支え、11勝を挙げた。

2005年には奪三振率の高さを買われ、抑えに転向して活躍。

2006年も開幕直後は守護神として活躍していたが、5月13日の対千葉ロッテマリーンズ戦で大塚明への5球目を投じた時にで足を滑らせ左足内転筋を負傷した(代わった林昌樹福浦和也にサヨナラ安打を打たれ敗戦。根元俊一の項参照)。そのため、永川勝浩が代わりに守護神を務めることになった。怪我からの復帰後は先発に戻り、まずまずの成績を残すも、長期離脱と高年俸100万ドルがネックとなり10月18日に戦力外通告を受ける。

ロイヤルズ時代編集

2006年12月8日にカンザスシティ・ロイヤルズと2年契約を結んだ。

2007年は26試合に出場した。

2008年4月に肩を痛め故障者リスト入り。5月初旬に故障者リストから復帰する予定だったが、5月8日にチームが滞在していたホテルでドアを殴り左手を骨折。肩の回復が順調でないことに苛立ちを募らせた末の行動だった[1]

2009年には、6月24日の対ヒューストン・アストロズ戦で延長11回のマウンドに登板し、メジャー初セーブを記録した。

しかし安定した成績は残すことが出来ず、シーズン終了後の12月10日に、フリーエージェントになった。

広島復帰編集

2010年2月、ベイルの妻から古巣である広島東洋カープに復帰の打診があった。球団はベイルの左打者に対する高い奪三振率を評価し、カープへの復帰が決定した[2]。シーズン中は主に中継ぎで一時は抑えを務めるなどしたが、安定感に欠け、後半戦は二軍暮らしとなり1シーズンで退団となった。

タイガース時代編集

12月7日、デトロイト・タイガースとマイナー契約した[3]

独立リーグ時代編集

2011年4月12日、独立リーグであるアトランティックリーグカムデン・リバーシャークスと契約した[4]

選手としての特徴・人物編集

上手と横手を併用する変則投法と、変化量の大きなカーブチェンジアップスライダーなどの変化球を内外に投げ分けるスタイル。カープの外国人左腕投手で初めての白星をあげた選手でもある。2004年から2006年のカープ在籍中は最速で150km/hを超える速球を投げていたが、2010年に復帰した際には140km/h前後に落ち着いていた[2]

端正な顔立ちで、ブルージェイズ時代には地元にファンクラブがあったほどである。マーティ・ブラウンのベース投げ事件を機に製作されたTシャツの文言を考え、抑え役を永川と交代するにあたって消火器を手渡すなど、ユーモアに富んだ選手としても知られる。

詳細情報編集

年度別投手成績編集






















































W
H
I
P
1999 TOR 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 2.0 2 1 2 0 0 4 0 0 3 3 13.50 2.00
2000 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 22 3.2 5 1 3 0 2 6 0 0 7 6 14.73 2.18
2001 BAL 14 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 113 26.2 18 2 17 0 1 21 1 0 14 9 3.04 1.31
2003 CIN 10 9 0 0 0 1 2 0 0 .333 195 46.1 50 7 12 2 2 37 1 0 24 23 4.47 1.34
2004 広島 25 25 1 0 0 11 10 0 -- .524 702 160.1 165 16 62 2 8 173 4 0 86 75 4.21 1.42
2005 51 0 0 0 0 2 1 24 0 .667 227 53.2 44 9 16 0 5 72 1 0 24 19 3.19 1.12
2006 30 5 0 0 0 1 2 6 7 .333 183 43.0 45 5 11 1 0 46 1 0 16 14 2.93 1.30
2007 KC 26 0 0 0 0 1 1 0 5 .500 179 40.0 45 1 17 2 1 42 2 0 18 18 4.05 1.55
2008 13 3 0 0 0 0 3 0 2 .000 110 26.2 29 1 6 0 0 14 1 0 13 13 4.39 1.31
2009 43 0 0 0 0 0 1 1 10 .000 136 28.1 34 3 18 2 1 24 2 0 19 18 5.72 1.84
2010 広島 30 0 0 0 0 0 3 1 4 .000 124 26.2 29 3 15 0 3 21 0 0 23 21 7.09 1.65
MLB:7年 109 12 0 0 0 3 7 1 17 .300 765 173.2 183 16 75 6 7 148 7 0 98 90 4.66 1.49
NPB:4年 136 30 1 0 0 14 16 31 11 .467 1236 283.2 283 33 104 3 16 312 6 0 149 129 4.09 1.36

表彰編集

NPB

記録編集

NPB投手記録
NPB打撃記録
  • 初安打:2004年5月9日、対読売ジャイアンツ9回戦(広島市民球場)、7回裏に久保裕也から左前安打
  • 初打点:2004年6月17日、対中日ドラゴンズ12回戦(広島市民球場)、6回裏に山北茂利から中前適時打

背番号編集

  • 49 (2004年 - 2006年)
  • 94 (2010年)

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集