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ジョン・ボウルビィ

イギリスの心理学者

来歴編集

人物編集

生い立ち編集

ボウルビィは外科医であった父親の勧めでケンブリッジ大学心理学などを学んだのち、ユニヴァーシティカレッジ病院で医学を学んだ。その後当時新しい分野として台頭しつつあった児童の精神分析に関心を持ち、専門を変更することを決心した。既に学生時代から精神分析発達心理学に関心を寄せており、かなり早い時期からメラニー・クラインの著作にも親しんでいたという。

児童精神医学の研究者として編集

第二次世界大戦が始まってまもなくタビストック・クリニックに児童精神分析部門を立ち上げて欲しいという依頼を受ける。ボウルビィは当時乳幼児は両親との実際の関係の中で、その発達の重要な基礎となる体験を積み重ね、エディプス・コンプレックスや性の問題だけが子供の情緒的な発達に関係しているわけではないという確信を抱いていた。

愛着理論の実証的研究編集

1950年代第二次世界大戦後のイタリアで孤児院、乳児院などに収容された戦災孤児の発達、身長、体重の増加、罹病率、死亡率、適応不良などが問題になり、施設病ではと疑われたとき、彼はその調査に携わり、1951年に母親による世話と幼児の心的な健康の関連性についての論文を発表した。その中で新生児が自分の最も親しい人を奪われ、また新しい環境に移され、その環境が不十分で不安定な場合に起きる発達の遅れや病気に対する抵抗力や免疫の低下、精神的な問題などを総称して「母性的養育の剥奪」(deprivation of maternal care)と定式化し、後にこの概念は世界保健機関による親を失った子供たちのための福祉プログラムの根幹となった。

精神医学とエソロジーの融合編集

1958年には子供と母親の結びつきの本質についての考察の成果を、『母子関係の理論』という研究にまとめ上げた。これは母と子の間には生物学的な絆のシステムというものが存在し、その関わりが母と子の情緒的な関係の発達を左右しているというものであった。この見解は彼が動物行動学的な研究成果、とりわけコンラート・ローレンツニコラス・ティンバーゲンの論文について熟知していることを示すものであった。また動物行動学者であるロバート・ハインドによる研究に対し、彼は自身の臨床経験から人間の子どもにおいても同様な傾向が見られると確信した。

脚注編集

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  1. ^ a b 小此木啓吾 他(編)『精神分析事典』岩崎学術出版社、2002年4月。ISBN 9784753302031 p.549

関連人物編集

関連項目編集

外部リンク編集