メインメニューを開く

ジョン・ジュニア・ローズボロJohn Junior Roseboro, 1933年3月13日 - 2002年8月16日)は、アメリカ合衆国オハイオ州アシュランド郡アシュランド英語版出身の元プロ野球選手捕手)。右投左打。

ジョン・ローズボロ
John Roseboro
Johnny Roseboro 1957.png
ドジャース時代(1957年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州アシュランド郡アシュランド英語版
生年月日 (1933-05-13) 1933年5月13日
没年月日 (2002-08-16) 2002年8月16日(69歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 1952年
初出場 1957年6月14日
最終出場 1970年8月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

経歴編集

1952年ブルックリン・ドジャースと契約してプロ入り。1957年にメジャーデビューすると、翌1958年からは交通事故で再起不能となったロイ・キャンパネラに代わって正捕手となった。ドジャースの強力投手陣を好リードで支え、サンディ・コーファックスの4回のノーヒットノーラン全てにマスクを被った。盗塁阻止も.422の高率で、打撃では1961年に自己最多の18本塁打、59打点を記録した。

1965年8月22日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で、投手への返球が頭部をかすめたとして打者のフアン・マリシャルと口論になり、バットで殴られる(この事件については、フアン・マリシャルも参照。)。この件でマリシャルを告訴したが後に和解し、マリシャルの殿堂入りを求めるキャンペーンにも協力した[1]

その後はミネソタ・ツインズを経てワシントン・セネターズ(現:テキサス・レンジャーズ)でプレーの1970年を最後に引退した。

詳細情報編集

表彰編集

記録編集

背番号編集

  • 8(1957年 - 1958年、1960年 - 1967年)
  • 44(1959年)
  • 10(1968年 - 同年途中)
  • 13(1968年途中 - 1970年)

脚注編集

  1. ^ 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視舎、2013年、698頁。ISBN 978-4-905369-67-7

関連項目編集

外部リンク編集