ジョージ・シアリング
ジョージ・シアリング(Sir George Shearing OBE、1919年8月13日 - 2011年2月14日)は、イギリスのジャズ・ピアニストである。アメリカに渡ってクール・ジャズ,、ラテン・ジャズの第一人者として活動し、作曲家としても「バードランドの子守唄」等のスタンダード・ナンバーを生み出した。
ジョージ・シアリング George Shearing | |
---|---|
基本情報 | |
生誕 |
1919年8月13日 イギリス イングランド、ロンドン |
死没 |
2011年2月14日(91歳没) アメリカ合衆国、ニューヨーク |
ジャンル | ジャズ, ビバップ, クール・ジャズ, ラテン・ジャズ |
職業 | バンドリーダー, 作曲家 |
担当楽器 | ピアノ, アコーディオン |
活動期間 | 1937年 - 2011年 |
レーベル |
MGMレコード キャピトル・レコード コンコード・レコード |
共同作業者 | トゥーツ・シールマンス, メル・トーメ |
来歴
編集ロンドン生まれ。生後間もなく盲目となるが、3歳でピアノを始める。音楽評論家/プロデューサーのレナード・フェザーに認められて、1937年頃から本格的にプロとして活動を開始。イギリスでの活動期には、ステファン・グラッペリとも共演。
1947年、アメリカに渡る。1949年、ヴィブラフォンやエレクトリックギターを導入した編成のクインテットを結成し、MGMレコードと契約。同年、映画の挿入歌をアレンジした「九月の雨」の大ヒットで注目を浴びる。1952年、ジャズ・クラブ「バードランド」にちなんだ楽曲「バードランドの子守唄」を作曲。同曲は、ジョージ・デヴィッド・ワイスにより歌詞がつけられ、サラ・ヴォーン等多くのボーカリストにも取り上げられた。
1955年、キャピトル・レコードに移籍。1956年、アメリカに帰化。1950年代後半には、後にハーモニカ奏者として有名になるトゥーツ・シールマンスが、ジョージのクインテットにギタリストとして参加していた。ジョージはラテン音楽を好み、キャピトル・レコードからは、『ラテン・レース』『ラテン・アフェア』といった、ラテン・アレンジに特化したアルバムも発表している。1961年には、モンゴメリー・ブラザーズ(ウェス・モンゴメリーが在籍)との共演アルバム発表。
1963年、アン・リチャーズとともに来日。このときジョージが連れてきた盲導犬の検疫で1日入国が留保となり、記者会見が延期されるなどのトラブルがあった。
1982年、メル・トーメとの連名によるライブ『アン・イヴニング・ウィズ・ジョージ・シアリング&メル・トーメ』発表。ライブは、翌年にグラミー賞のジャズ部門を受賞した。
脚註
編集- ^ 盲目のジャズピアニスト、G.シアリング氏死去 産経新聞 2011年2月15日閲覧