メインメニューを開く

ジョージ・ヴィリアーズ (第2代バッキンガム公)

第2代バッキンガム公(ピーター・レリー画、1675年)

第2代バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズ(George Villiers, 2nd Duke of Buckingham, KG, PC, FRS, 1628年1月30日 - 1687年4月16日)は、清教徒革命イングランド内戦)から王政復古期のイングランドの貴族、政治家。

経歴編集

初代バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズと第6代ラトランド伯爵フランシス・マナーズ英語版の娘キャサリン・マナーズ英語版の次男。

生まれて間もない1628年に父が暗殺されたため、イングランド王チャールズ1世に引き取られ子供達と共に養育され、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに学んだ。1642年第一次イングランド内戦英語版が勃発すると王党派に属して議会派と戦ったが、敗れて1648年オランダへ亡命、1651年に一旦帰国して第三次イングランド内戦英語版ウスターの戦いに参戦したが、敗れて再び亡命した。1657年にまたもや帰国したがイングランド共和国政府に逮捕された[1][2]

1660年の王政復古で釈放されチャールズ2世に仕え、1662年から枢密院議員に加えられ、1665年第二次英蘭戦争が始まるとチャールズ2世の弟のヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)が指揮する海軍に加わりオランダ商船を襲撃した。1667年6月にクラレンドン伯爵エドワード・ハイドを批判した罪でロンドン塔へ投獄されたが、従姪に当たるチャールズ2世の愛人バーバラ・パーマーの口添えで9月に釈放、同年にクラレンドンが失脚するとチャールズ2世に登用され、Cabalの一員(他にクリフォード男爵アーリントン伯シャフツベリ伯ローダーデイル公)として政治活動に励むこととなった[1][2][3]

1670年フランスルイ14世ドーヴァーの密約を締結、チャールズ2世の新しい愛人としてルイーズ・ケルアイユを引き入れ、1672年オランダ侵略戦争が勃発するとオラニエ公ウィレム3世の下へ早期講和の使者としてアーリントンとハリファックス子爵ジョージ・サヴィルと共にオランダへ派遣された。しかしオランダとの交渉が失敗してからは下り坂になり、第三次英蘭戦争がイングランドの不利になると議会から反発の声が上がり、それに伴いcabalは1674年に崩壊、バッキンガム公はチャールズ2世に疎まれ下野したが、1677年に再度ロンドン塔へ投獄される羽目になった。1681年に宮廷へ再出仕したが1685年ヨークシャーへ引退、1687年に59歳で亡くなった。1657年にトーマス・フェアファクスの娘メアリーと結婚したが子供は無く、バッキンガム公は断絶、ヴィリアーズ家は父の兄の家系がジャージー伯爵及びその分家クラレンドン伯爵として存続している[1][2][4]

諷刺劇の創作という趣味があり、1685年のモンマスの反乱で大した戦功を挙げなかったにも関わらず、ジェームズ2世からガーター勲章を授けられたフェヴァシャム伯ルイス・ド・デュラスを『セッジムーアの戦い』でこき下ろしている。また、劇作家ジョン・ドライデンも諷刺の対象にしていたといわれる[1][2][5]

フリーメイソンのメンバーだった[6]

脚注編集

  1. ^ a b c d 森、P39。
  2. ^ a b c d 松村、P102。
  3. ^ イギリス革命史(上)、P59 - P60、P80 - P81。
  4. ^ イギリス革命史(上)、P84 - P86、P89、P120、P150 - P153、P173 - P175。
  5. ^ イギリス革命史(下)、P12 - P14。
  6. ^ Denslow, William R. (1957). 10,000 Famous Freemasons. Columbia, Missouri, USA: Missouri Lodge of Research.  (digital document by phoenixmasonry: vol. 1, 2, 3, 4)

参考文献編集

公職
先代:
アルベマール公
主馬頭
1668年 - 1674年
次代:
モンマス公
名誉職
先代:
ラングデール卿
ウェスト・ライディング・オブ・ヨークシャー統監
1661年 - 1667年
次代:
バーリントン伯
先代:
バーリントン伯
ウェスト・ライディング・オブ・ヨークシャー統監
1667年 - 1674年
次代:
ラティマー子爵
先代:
トーマス・フェアファクス
ウェスト・ライディング・オブ・ヨークシャー治安判事
1671年 - 1679年
次代:
バーリントン伯
イングランドの爵位
先代:
ジョージ・ヴィリアーズ
バッキンガム公
1628年 - 1687年
次代:
消滅
先代:
キャサリン・ヴィリアーズ
ロス男爵
1649年 - 1687年
次代:
シャーロット・ボイル
(1806年に復活)