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ジョゼフ・エリオット・ジラルディJoseph Elliot Girardi, 1964年10月14日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ピオリア郡ピオリア出身の元プロ野球選手選手(捕手)、監督。右投右打。2020年シーズンよりMLBフィラデルフィア・フィリーズの監督を務める。

ジョー・ジラルディ
Joe Girardi
フィラデルフィア・フィリーズ 監督 #25
Joe Girardi by Keith Allison.jpg
ニューヨーク・ヤンキースでの監督時代
(2011年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州ピオリア郡ピオリア
生年月日 (1964-10-14) 1964年10月14日(55歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1986年 MLBドラフト5巡目
初出場 1989年4月4日
最終出場 2003年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

1989年のデビュー後、2003年に引退するまでの15年間でシカゴ・カブスコロラド・ロッキーズニューヨーク・ヤンキースセントルイス・カージナルスにてプレーした。2006年にはフロリダ・マーリンズ2008年からはニューヨーク・ヤンキースの監督を務め、マーリンズ監督時代にはナ・リーグ最優秀監督賞にも選ばれている。

経歴編集

プロ入り前編集

アメリカ合衆国イリノイ州イーストピオリア出身。高校時代は、野球部で捕手としてプレーするほか、アメリカン・フットボール部でクォーターバックとしても活躍していた。ノースウェスタン大学でも野球を続ける傍らで、生産工学を専攻していた。

現役時代編集

1986年MLBドラフト5巡目(全体116位)でシカゴ・カブスから指名され、プロ入り。1988年にはベネズエラウィンターリーグであるリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルに派遣される。1989年に捕手としてカブスでメジャーデビュー。

1992年オフにエクスパンション・ドラフトで新球団コロラド・ロッキーズから指名され、移籍した。ロッキーズ初年度の開幕試合には「7番・捕手」として先発出場している。

1996年マイク・デジャーン英語版とのトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。この年から1999年までの4年間、ヤンキースの正捕手を務め、3度の世界一となる。移籍1年目の1996年のワールドシリーズでは、ヤンキース3勝2敗で迎えた第6戦でグレッグ・マダックスから適時三塁打を放ち、結果的にこれが決勝点となってヤンキースはシリーズを制した。伊良部秀輝アンディ・ペティットデビッド・ウェルズデビッド・コーンマリアノ・リベラらとバッテリーを組み、1999年7月18日にはコーンが完全試合を達成した時の捕手を務めた。また、その3年前の1996年には、ドワイト・グッデンノーヒット・ノーランを達成したときの捕手も務めていた。

ヤンキースが当時25歳の若手有望株だったホルヘ・ポサダをメジャーに昇格させた際には、ジラルディは彼のメンターとなった。二人は1999年まで、良いライバルとして出場機会を争っていた。

2000年に入団当時のカブスに再移籍し、オールスターにも初選出された(出場はせず)。2003年セントルイス・カージナルスでプレーした。

引退〜マーリンズ監督編集

2004年にヤンキースのスプリングトレーニングに招待選手として参加し、メジャー2年目の松井秀喜らと共にプレーするもメジャーに昇格できず、シーズンを前に引退。ヤンキース傘下のケーブルテレビ局YESで解説者となり、主にヤンキース戦の解説を務めた。

2005年フロリダ・マーリンズからの「将来的には監督への就任を前提とした、ベンチコーチ契約」を蹴り、ジョー・トーリの下でヤンキースのベンチコーチを1年間務めた。

2006年にはジャック・マキーオンに代わり、マーリンズの監督に就任。監督してのジラルディが最初に行ったことは、選手への「髭禁止令」であった。

主力選手のほとんどをトレードやFAで放出する、いわゆる「ファイヤーセール」が断行された後の若手主体のチームで指揮を執り、結果は78勝84敗の4位だったものの一時はナ・リーグワイルドカード争いをするという健闘を見せた。ちなみにこの年のマーリンズの選手総年俸額は1400万ドル程度であり、幾人かのメジャーのスター選手の年俸1年分にも満たなかった。

しかし、ジラルディとマーリンズのオーナーであったジェフリー・ローリアとの関係は良好ではなかった。8月初旬におこなわれたとある試合では、審判に対する暴言を繰り返していたローリアを、ジラルディとベンチコーチのゲイリー・タックが窘めたことがきっかけで、大喧嘩が発生している。

結局10月3日にジラルディは解雇される。皮肉なことに、ジラルディの采配は評価されており、同年のオフにはナ・リーグの最優秀監督賞に選ばれている。彼がフリーになったことで、多くの球団はジラルディへの興味を示した。ヤンキースは、2006年のALDSで敗退したトーリ監督の後任としてジラルディを検討していたが、結局トーリが残留したことで、打ち消しとなった。また、カブスもジラルディをダスティ・ベーカー監督の後任候補と考えており、実際面接にまで至ったが、結局ルー・ピネラが就任した。ワシントン・ナショナルズからも監督職のオファーがあったが断り、2007年には再びYESで解説者を務めた。同年7月にボルチモア・オリオールズサム・パラーゾ監督を解雇したとき、ジラルディは監督職のオファーを受けたが、固辞している。

ヤンキース監督時代編集

2007年10月30日に翌2008年シーズンより、トーリ監督の後任として古巣ヤンキースの監督に就任する事が発表された。ジラルディの他にも、ドン・マッティングリートニー・ペーニャが候補として挙がっていた。総額750万ドルで、2010年までの3年契約を結んだ。現役時代はヤンキースで背番号25を付けていたが、ジェイソン・ジアンビが付けていたため代わりに27を選んだ。ヤンキースは前年までにワールドシリーズ優勝を26回経験しており、この背番号にはチームを27回目の世界一へ導きたいという思いが込められていた。

就任1年目の2008年4月1日、トロント・ブルージェイズを3-2で下し、ヤンキース監督としての初勝利をあげる。しかしこの年、ヤンキースはプレーオフに出場することなくシーズンが終了し、1995年以来続いていたチームのポストシーズン進出が13年連続でストップした(1994年はアリーグ東地区1位だったが、ストライキでシーズンが終わった)。

しかし翌年の2009年、チームを3年ぶりの地区優勝、6年ぶり40回目のリーグ優勝、そして9年ぶり27回目のワールドチャンピオンに導くという偉業を達成。優勝後のインタビューでは、先述の背番号について「来年は28に変えようかな」とコメントしたが、実際その通りに背番号を変更した。なお、この年オフに獲得したカーティス・グランダーソンはそれまで28番をつけていたが、監督の意向に従ってヤンキースでは14番を着用した。

2010年10月29日にヤンキースと2013年シーズンまでの3年契約延長に合意し[1]2013年10月9日には新たに2017年シーズンまでの4年契約を結んだ[2]

2013年、2014年は2シーズン続けてチーム総失点が総得点を上回る苦しい戦いを強いられ、ポストシーズンも逃す結果となったが、いずれの年もシーズン勝ち越しには成功している。

2017年10月26日、契約満了となる同年シーズン限りで10シーズンにわたり務めたヤンキース監督を退任することを表明した[3]

ヤンキース監督退任後編集

2018年からはMLBネットワークのアナリストとして活動する[4]

2020年シーズンからはフィラデルフィア・フィリーズの監督を務める(3年契約+2023年はオプション)[5]

選手起用編集

打順に関して編集

2番打者に中・長距離打者を据える傾向が強い。マーリンズ監督時代には新人のダン・アグラを2番に起用し、アグラも期待に応えてこの年チーム最多となる27本塁打を放った。ヤンキース監督時代にはそれまで2番打者としてのイメージが強かったデレク・ジーターを途中から1番に据え、2番にはより長打力のある選手を起用するケースが増えた。例えば2011年に最も2番として起用されたカーティス・グランダーソンは、その年41本塁打、119打点の活躍を見せ、打点王を獲得している。グランダーソンが不調ないし故障の場合には、ニック・スウィッシャーロビンソン・カノが2番に入ることもあった。

日米でそれまで1~3番を打つイメージの強かったイチローが2012年途中に加入した際は、前年から調子の上がらないイチローの出塁率の低さを理由にまず8番打者として起用し、シーズン佳境にイチローが調子を上げた際には主に2番で起用し続けた。2013年に入り、イチローの調子が再び下がると下位で起用し続け、主力打者が相次いで故障離脱した際は6番や5番を打たせることもあったが、以降は上位で起用することは稀であった。だがその実績に敬意を払った起用法を見せることもあり、ジーターの現役最終試合ではジーターとの1、2番コンビ(当時ともに40歳)を実現させている。

投手起用に関して編集

先発投手は概ね100球を目処に交代を命じる、左打者に対し左のリリーフ投手を投入するなど、現代のメジャー監督としては比較的基本に忠実である。

日本人選手との関係編集

ジラルディはヤンキース監督時代に多くの日本人選手と接点を持ってきた人物である。当時、日本で特に注目されてきた打者である松井秀喜イチローの2人の指揮官であった人物として、またヤンキースというチームの注目度の高さも相まって、両選手についてジラルディの口から日本のマスコミ向けに(退団後も)たびたびコメントを求められてきた。ちなみに、松井・イチローの在籍時に監督として指揮した経験を持つ人物としては、ジラルディの他にボブ・メルビン(2003年~04年マリナーズ監督、11年アスレチックス監督)がいる。

松井秀喜編集

ジラルディ監督時代1~2年目に在籍。松井の打撃に関してジラルディは当初から評価をしていたが、守備力については戦力としては考えておらず、2年目の2009年シーズンには松井を一度も守備に就かせなかった。(当時膝を悪くしていたため、守備に就かせないことで故障を防ぐという意図もあった。)なお、この年にワールドシリーズMVPとなる松井の活躍もあり、ヤンキースはワールドチャンピオンに輝いている。現役引退後、2013年4月に政府発表された松井の国民栄誉賞受賞については、「この組織(ヤンキース)の全員は彼が素晴らしい選手であり、素晴らしい人間だったことをよく知っている。ヤンキースの一員として祝福したい」とコメントを残している。同年7月28日に行われるヤンキースタジアムでの引退式に関しても、「彼にふさわしい」と述べ祝福した。

黒田博樹編集

ジラルディ監督時代5~7年目に在籍。所属1年目からローテーションの軸として活躍した。2014年は先発投手陣に故障者が相次ぐ中で唯一シーズン通してローテーションを守り抜き、「最高のヤンキーであり続けてくれている。最高のお手本のような存在でもある。」と最大級の賛辞を送っている。黒田は結果が残せなかった移籍当初、監督室に呼ばれ、'Just be yourself'と言われたのを機に立ち直ることが出来たと、本人の著書などで度々語っている。

イチロー編集

ジラルディ監督時代5年目途中~7年目に在籍。かつては高い得点力を持っていた[6]イチローも30代後半になるとメディアからは衰えを指摘されるようになった。2011年に打率3割を切ると、引き続き2012年も一向に調子は上がらず、そのため同年途中にマリナーズからヤンキースへ移籍した後は主に下位打線で起用された。イチローが調子を上げ、週間MVP(2012年9月17~23日)の活躍[7]を見せると、9月22日からは主に2番として毎試合起用、ポストシーズンでも2番または1番で起用し続けた。しかし、2013年はイチローの調子も上がらず、主に下位で起用し、2014年には外野手のジャコビー・エルズベリーカルロス・ベルトランを獲得したことにより、イチローは外野の4番手として守備固めや代打、代走で起用することも多かった。そのほか2010年のMLBオールスターゲームではアメリカンリーグの監督としてイチローを1番に起用している。

田中将大編集

ジラルディ監督時代7年目に加入。5月のリーグ月間最優秀投手を受賞[8]するなど素晴らしい活躍を見せ、オールスターに選出されたが、右肘の故障により7月8日の登板を最後に約2ヶ月半チームを離脱した(9月21日に復帰)。田中の肘の状態を心配すると共に今後の投球への期待感と信頼を度々コメントしている。

私生活編集

  • キンバリー夫人ともうけた3人の子供と一緒に、ニューヨーク・パーチェイスにて暮らしている。ジラルディの血筋はイタリア系であり、キリスト教を信仰している。
  • 2009年のワールドシリーズを制覇した日の帰りの高速道路にて、ジラルディは交通事故を目撃、けが人の救護をおこなっている。事故場所は大変危険であり、二次被害が起きる可能性も十分にあったが、彼はそのリスクを厭わずにけが人を救った。なお、けが人自身は、後からやってきた警官が指摘するまで、彼がヤンキースの監督であることに全く気付いていなかった。
  • 健康主義者としても知られており、クラブハウスからアイスクリームやソーダなどの甘いものを全て撤去したことでも知られている。

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1989 CHC 59 172 157 15 39 10 0 1 52 14 2 1 1 1 11 5 2 26 4 .248 .304 .331 .635
1990 133 447 419 36 113 24 2 1 144 38 8 3 4 4 17 11 3 50 13 .270 .300 .344 .644
1991 21 54 47 3 9 2 0 0 11 6 0 0 1 0 6 1 0 6 0 .191 .283 .234 .517
1992 91 291 270 19 73 3 1 1 81 12 0 2 0 1 19 3 1 38 8 .270 .320 .300 .620
1993 COL 86 350 310 35 90 14 5 3 123 31 6 6 12 1 24 0 3 41 6 .290 .346 .397 .743
1994 93 361 330 47 91 9 4 4 120 34 3 3 6 2 21 1 2 48 13 .276 .321 .364 .685
1995 125 506 462 63 121 17 2 8 166 55 3 3 12 1 29 0 2 76 15 .262 .308 .359 .667
1996 NYY 124 471 422 55 124 22 3 2 158 45 13 4 11 3 30 1 5 55 11 .294 .346 .374 .720
1997 112 433 398 38 105 23 1 1 133 50 2 3 5 2 26 1 2 53 15 .264 .311 .334 .645
1998 78 279 254 31 70 11 4 3 98 31 2 4 8 1 14 1 2 38 10 .276 .317 .386 .703
1999 65 229 209 23 50 16 1 2 74 27 3 1 8 2 10 0 0 26 16 .239 .271 .354 .625
2000 CHC 106 407 363 47 101 15 1 6 136 40 1 0 6 3 32 3 3 61 12 .278 .339 .375 .714
2001 78 253 229 22 58 10 1 3 79 25 0 1 2 1 21 4 0 50 2 .253 .315 .345 .660
2002 90 256 234 19 53 10 1 1 68 13 1 0 5 1 16 3 0 35 10 .226 .275 .291 .566
2003 STL 16 26 23 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 3 0 0 4 2 .130 .231 .130 .361
MLB:15年 1277 4535 4127 454 1100 186 26 36 1446 422 44 31 81 23 279 34 25 607 137 .267 .315 .350 .665

年度別守備成績編集



捕手(C)






















1989 CHC 59 332 28 7 1 .981 5 58 36 22 .379
1990 133 653 61 11 5 .985 16 127 80 47 .370
1991 21 95 11 3 1 .972 1 20 14 6 .300
1992 86 369 51 4 6 .991 8 78 46 32 .410
1993 COL 84 478 46 6 7 .989 2 93 64 29 .312
1994 93 549 56 5 8 .992 3 93 61 32 .344
1995 122 730 61 10 7 .988 5 121 88 33 .273
1996 NYY 120 803 46 3 8 .996 10 120 90 30 .250
1997 111 830 54 5 11 .994 11 108 71 37 .343
1998 78 541 38 3 5 .995 5 73 54 19 .260
1999 65 452 34 8 5 .984 1 75 56 19 .253
2000 CHC 103 706 43 5 5 .993 3 101 63 38 .376
2001 71 504 33 0 2 1.000 6 47 27 20 .426
2002 88 554 43 6 6 .990 6 65 45 20 .308
2003 STL 13 23 0 1 0 .958 0 3 3 0 .000
MLB 1247 7619 605 77 77 .991 82 1182 798 384 .325
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績編集










[9]








順位/
チーム数


ポストシーズン
勝敗
2006 FLA NL 東 42 162 78 84 .481 4 / 5
2008 NYY AL 東 44 162 89 73 .549 3 / 5
2009 45 162 103 59 .636 1 / 5 WS優勝 11勝4敗
2010 46 162 95 67 .586 2 / 5 ALCS敗退 5勝4敗
2011 47 162 97 65 .599 1 / 5 ALDS敗退 2勝3敗
2012 48 162 95 67 .586 1 / 5 ALCS敗退 3勝6敗
2013 49 162 85 77 .525 3 / 5
2014 50 162 84 78 .519 2 / 5
2015 51 162 87 75 .537 2/ 5 ALWC敗退 0勝1敗
2016 52 162 84 78 .519 4 / 5
2017 53 162 91 71 .562 2 / 5 ALCS敗退 7勝6敗
MLB:11年 1782 988 794 .554 - 28勝24敗
  • WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ。

表彰編集

記録編集

背番号編集

  • 7(1989年 - 1995年)
  • 45(1996年 - 同年途中)
  • 25(1996年途中 - 1999年、2020年 - )
  • 8(2000年、2003年)
  • 27(2001年 - 2002年、2008年 - 2009年)
  • 28(2010年 - 2017年)

脚注編集

  1. ^ Yankees Re-Sign Manager Joe Girardi To A Three-Year Contract Through The 2013 Season”. MLB.com Yankees Press Release (2010年10月29日). 2014年1月10日閲覧。
  2. ^ Yankees re-sign Manager Joe Girardi to a four-year contract through the 2017 season”. MLB.com Yankees Press Release (2013年10月9日). 2014年1月10日閲覧。
  3. ^ Chris, Chavez (2017年10月26日). “Joe Girardi out as Yankees manager after 10 years” (英語). Sports Illustrated. SI.com. 2017年10月31日閲覧。
  4. ^ Billy Witz (2018年2月7日). “Joe Girardi Joins MLB Network as an Analyst” (英語). NY Times. 2018年9月21日閲覧。
  5. ^ Phillies hire ex-Yankees manager Joe Girardi” (英語). ESPN (2019年10月24日). 2019年11月3日閲覧。
  6. ^ 米メディアが大特集 イチローとジーター、偉大なのはどっち?”. Full-Count (2014年4月25日). 2015年3月17日閲覧。
  7. ^ 打率6割イチロー週間MVP 移籍後初”. 日刊スポーツ (2012年9月25日). 2015年3月17日閲覧。
  8. ^ マー君が月間MVP「あ、獲れたんだ」”. 日刊スポーツ (2014年6月4日). 2015年3月17日閲覧。
  9. ^ 年齢は、その年の満年齢で表記。

関連項目編集

外部リンク編集