ジラール・ペルゴ

ジラール・ペルゴがドイツ海軍将校用に製造した史上初の量産型腕時計
コンスタント・エスケープメント(2013年)

ジラール・ペルゴGirard-PerregauxGP)は、スイスラ・ショー=ド=フォンに本社を置く高級時計メーカー。ケリンググループに属する。

高級機械式時計を自社一貫生産する高級時計メーカー(マニュファクチュール)の一つとして知られている。

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沿革編集

同社はもともとジュネーヴで創立された。また、史上初めて腕時計の量産を行ったメーカーとしても知られる。もっとも当時腕時計の登場は時期尚早であり、大きく広まるにはいたらなかった。

1969年にはセイコーと時を同じくして時計用クォーツの開発に成功、世界初の量産はセイコーに譲ることになったものの、翌年にはスイス初の量産にまで至った。

その後日本製クォーツの爆発的な販売拡大に押され経営危機になるものの、1987年イタリアにおいてブライトリングブームを作り出した時計販売会社のトラデマがジラール・ペルゴのエージェントとなり、その社長で元フィアットのレーサー、ルイジ・マカルーソがデザインした時計GP7000が大ヒットを呼び、かのジョルジオ・アルマーニが愛用したことで有名になった。

5年後マカルーソはジラール・ペルゴ社長となり、イタリアの名門自動車メーカーのフェラーリとのブランドライセンス契約を締結。ロゴ入りスプリット・セコンド・クロノグラフを販売し、2週間で完売するなど人気を博した。その後もマカルーソによる経営建て直しは続き、アメリカズカップBMWオラクル・レーシングチームの後援を行うなどの活躍もするようになり現在に至る。

なお創業者コンスタン・ジラールの義弟でマリー・ペルゴの実弟、フランソワ・ペルゴは幕末の動乱のさなかである1861年に来日、横浜に商館を置き懐中時計の販売をした。すなわち日本に最初に正規輸入されたスイス時計はジラール・ペルゴである。

2011年ジャンリシャールと共に所属しているソーウィンドがフランスのPPRグループ傘下となり[1]、2013年の組織改編によりケリンググループの一ブランドとなった。

ボッテガ・ヴェネタなど同系列の関連企業にも時計の機構を提供している。

歴史編集

  • 1791年 - ジャン=フランソワ・ボット(Jean-François Bautte )が時計を製作。
  • 1793年 - "Moulinié & Bautte"をJacques-Dauphin Mouliniéと設立。
  • 1804年 - Jean-Gabriel Moynierを共同経営者に迎え"Moulinié, Bautte & Cie"に社名変更。同年に時計専門のBautte社を設立。
  • 1837年 - 11月30日にャン=フランソワ・ボット死去、ジャック・ボット(Jacques Bautte )とジャン・サミュエル・ロッセル(Jean Samuel Rossel )が後継者になる。
  • 1852年 - コンスタン・ジラール(Constant Girard )がジラールを設立。
  • 1854年 - ジラールがマリー・ペルゴ(Marie Perregaux )と結婚。
  • 1856年 - ラ・ショー=ド=フォンに、夫婦の姓を組み合わせたジラール・ペルゴを設立。
  • 1861年 - マリーの弟フランソワ・ペルゴ横浜に渡来。日本初のスイス時計商館を横浜に開く。
  • 1867年 - スリー・ゴールド ブリッジ付トゥールビヨンパリ万博(第2回)で金賞を獲得。このモデルは現在も腕時計に採用されている。
  • 1880年以降 - ヴィルヘルム1世から注文を受けドイツ海軍将校用に腕時計を開発。
  • 1906年 - ボットを買収・合併。
  • 1928年 - ドイツ人時計師オットー・グラエフ(Otto Graef )がジラール・ペルゴの株を買い取る。
  • 1930年 - 腕時計の売り上げが懐中時計の売り上げを上回る。
  • 1988年 - ルイジ・マカルーソ、ソーウィンドグループを設立。
  • 1992年 - ルイジ・マカルーソ、社長に就任。
  • 1993年 - フェラーリとブランド・ライセンス契約を結ぶ。カヴァッリーノ・ランパンテを刻印したスプリット・セコンド・クロノグラフを限定生産。
  • 1999年 - ジュネーブの国際高級時計展SIHH )に初出展。
  • 2004年 - アメリカズカップでBMWオラクル・レーシングチームを後援。フェラーリとのライセンス契約終了。
  • 2010年 - ルイジ・マカルーソ死去、息子のステファノ・マカルーソが社長に就任。
  • 2011年 - PPR傘下となる。
  • 2012年 - オメガブランパンなどの時計メーカーで活動した時計師ドミニク・ロワゾー英語版を複雑時計製作チームに迎え入れる[2]が彼は翌2013年に死去した。
  • 2013年 - 母体企業の組織改編によりケリング保有企業となる。また、新作発表の場をバーゼル・フェアへと移行。シリコン製の新たな脱進機「コンスタント・エスケープメント」搭載モデルを発表[3]

関連項目編集

脚注編集

外部リンク編集