メインメニューを開く

スウィフトカレント (競走馬)

競走馬

スウィフトカレントとは、日本中央競馬会 (JRA) に登録されていた元競走馬である。サマー2000シリーズの初代優勝馬。馬名の由来は「激流」。半兄に安田記念優勝のアサクサデンエン、半弟にドバイワールドカップ有馬記念皐月賞優勝のヴィクトワールピサがいる。

スウィフトカレント
Swift Current 20061029R1.jpg
2006年10月29日 東京競馬場
欧字表記 Swift Current
品種 サラブレッド
性別
毛色 青鹿毛
生誕 2001年4月9日(17歳)
抹消日 2009年5月22日
サンデーサイレンス
ホワイトウォーターアフェア
母の父 Machiavellian
生国 日本の旗 日本北海道千歳市
生産 社台ファーム
馬主 (有)社台レースホース
調教師 森秀行栗東
競走成績
生涯成績 42戦6勝(総合)
39戦6勝(中央競馬
3戦0勝(地方競馬
獲得賞金 2億8986万9000円(総合)
2億8286万9000円(中央競馬)
700万円(地方競馬)
テンプレートを表示

目次

経歴編集

競走馬時代編集

2003年、2004年(2歳、3歳)編集

2003年、デビュー戦となった12月の2歳新馬戦は、第17回ワールドスーパージョッキーズシリーズ出場のために来日していたクリストフ・スミヨンが騎乗して出走したが、のちに重賞馬となるブラックタイドに敗れて2着だった。

2004年、3月の未勝利戦で吉田稔が騎乗し、デビュー2戦目で初勝利を挙げる。続く4月の3歳500万下競走では、ポップロックらを抑え単勝1番人気に支持されるも2着、5月に格上挑戦で重賞競走初出走となる青葉賞に出走したが4番人気で4着だった。その後休養をはさんで出走した10月の3歳上500万下競走を武豊とのコンビで制し、11月には格上挑戦でアルゼンチン共和国杯に挑むも9着という結果に終わった。その後は自己条件のトウカイテイオーメモリアル(1000万下)で1番人気に支持されるも6着、続く天竜川特別(1000万下)では1番人気で2着となった。

2005年、2006年(4歳、5歳)編集

2005年、前年のトウカイテイオーメモリアルから5戦連続で1番人気に支持されるも4月の白鷺特別(1000万下)まで勝利することはできなかった。しかし昇級後は2連敗し、夏に1000万下クラスに再降級し、再降級後3戦目となった9月3日の弥彦特別(1000万下)を後藤浩輝とのコンビで制した。さらに9月24日の夕月特別(1000万下)も制し、1600万下クラスに再昇級したが、再昇級後3走はすべて1番人気に支持されたが2着2回と4着1回という結果に終わった。

2006年、格上挑戦で挑んだ1月の日経新春杯岩田康誠が初騎乗して2着となってオープン馬となった。その後半年ほど空いて出走した7月の小倉記念では福永祐一が初騎乗して、レースでは2着となったヴィータローザに1馬身4分の1差をつけて勝利し、重賞競走初勝利を挙げた。続く8月の新潟記念では1番人気に支持されたがトップガンジョーに敗れて4着となったものの、この年から始まったサマー2000シリーズの初代王者に輝いた。9月には横山典弘が初騎乗してオールカマーで4着となり、迎えたGI競走初挑戦となった10月の天皇賞(秋)では、7番人気という評価だったが、レースでは勝ったダイワメジャーから半馬身差の2着となった。その後もGI戦線を走るが11月のジャパンカップは8着、12月の第51回有馬記念は12着と凡走に終わった。

2007年 - 2009年(6歳 - 8歳)編集

2007年、この年初戦となった2月の京都記念で5着、続く5月の金鯱賞で9戦ぶりに武豊が騎乗して2着となり、6月の宝塚記念横山典弘とのコンビで出走したが13着という結果に終わった。その後、連覇を狙って出走した7月の小倉記念では1番人気に支持されたが7着という結果に終わり、ダート戦のブリーダーズゴールドカップへの出走登録を行ったが回避し、10月に富士ステークスに出走することになった。初の1600メートルのレースながら2番人気に支持されたが、レースではスタートで少し出遅れ、直線に向いても伸びず12着と惨敗の結果に終わった。レース後は連闘となる10月28日第136回天皇賞(秋)と10月31日に行われる第7回JBCクラシックに出走登録を行ったがJBCクラシックは登録時点では補欠馬となっており、後日両方回避することが発表され、その後はレースに出走せずに山元トレーニングセンターへ放牧に出された。

2008年、山元トレーニングセンターからグリーンウッドを経て3月22日に帰厩し、当初は大阪杯で実戦復帰を予定していたが体調が整わず回避した。そのため復帰戦は5月10日の新潟大賞典となったが5着、続く5月30日の金鯱賞は12着という結果に終わった。次走はダート戦の帝王賞に出走予定だったが、疾病の理由で競走除外となった。その後はダート交流重賞を2戦して7着と5着、9月には芝に戻ってオールカマーに出走するも7着、ふたたびダートのマイルチャンピオンシップ南部杯も5着だった。11月にはふたたび芝に戻って出走した福島記念では内田博幸に乗り替わって6着、続く鳴尾記念では5着となり、この年は8戦して5度の5着が最高順位だった。

2009年、8歳となり3月1日中山記念から始動したが7着、続く3月14日中京記念ではブービーの15着と大敗し、結局この競走を最後に5月22日付で競走馬登録を抹消され引退が決まった[1]

種牡馬時代編集

競走馬引退後は種牡馬入りすることが発表された。当初繋養先は未定であったが、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで繋養されることが決まった[1]。 2013年7月21日の函館1R2歳未勝利にてサンダラスが産駒の中央初勝利を記録。同馬は9月14日に阪神9R野路菊Sを勝利しオープン競走初勝利も記録している。その後はビッグレッドファームを経て、2015年秋から青森県の太田ファームで種牡馬として繋養されている[2]

主な産駒編集

血統表編集

スウィフトカレント血統サンデーサイレンス系ヘイルトゥリーズン系) / Halo 2 x 4 = 31.25%) (血統表の出典)

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*ホワイトウォーターアフェア
Whitewater Affair
1993 栗毛
Machiavellian
1987 鹿毛
Mr.Prospector Raise a Native
Gold Digger
Coup de Folie Halo
Raise the Standard
母の母
Much Too Risky
1982 栗毛
Bustino Busted
Ship Yard
Short Rations Lorenzaccio
Short Commons F-No.8-d


脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ スウィフトカレント号が競走馬登録抹消 JRAホームページ2009年5月22日閲覧。
  2. ^ スウィフトカレントを訪ねて〜太田ファーム”. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2017年7月14日閲覧。

外部リンク編集