スコット・アンドリュー・スピードScott Andrew Speed, 1983年1月24日 – )は、アメリカ合衆国出身の自動車レーサーであり、2006年にデビューした元F1ドライバー。現在は、ラリークロスドライバーである。

スコット・スピード
基本情報
フルネーム スコット・アンドリュー・スピード
略称表記 SPE
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州マンテカ
生年月日 (1983-01-24) 1983年1月24日(41歳)
F1での経歴
活動時期 2006 - 2007
所属チーム '06-'07 トロ・ロッソ
出走回数 28
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
最終戦 2007年ヨーロッパGP
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特定疾患(いわゆる難病)に認定されている潰瘍性大腸炎と戦いながら、F1のシートを獲得しており、同疾患・難病と戦う多くの人々に勇気を与えた。

略歴 編集

1983年にアメリカ合衆国、カリフォルニア州マンテカにて生まれる。

1995年、12歳でカートを始め、2000年まで続けた。

2001年にフォーミュラレースに移り、アメリカのフォーミュラ・ラッセルシリーズに参戦、チャンピオンとなる。

2002年にアメリカのバーバー・ダッジ・ナショナルシリーズと同じくフォーミュラ・マツダ・シリーズに参戦。どちらのタイトルも獲得することはかなわなかったが、同年にレッドブルが催したアメリカにおけるドライバー・サーチプログラムでは見事1位となっており、これは後のキャリアへの布石となっている。

2003年は活動の舞台をイギリスに移しイギリスF3にADRチームから参戦。

2004年はユーロカップ・フォーミュラ・ルノードイツ・フォーミュラ・ルノーを制し、これにより翌年のGP2参戦の機会をつかんでいる。また、この年はヨーロッパの各選手権に参戦するかたわら、大西洋をまたにかけ、IRLのレッドブル・チーパー・チームでテストドライバーを担当してもいる。

2005年、GP2に参戦。前年iSportチームと交わした契約はナンバー2としてのものであったが、スピードはこれを覆し、シーズン中にナンバー1の座を得て、最終的にニコ・ロズベルグヘイキ・コバライネンに次ぐランキング3位でシーズンを終えた。

2005年9月にはその年初めて開幕した2005年-2006年シーズンA1グランプリにアメリカ代表として最初の3戦だけ出場し、第3戦ポルトガルGPでは4位フィニッシュも果たす。(チーム総合16位)

また、この年はF1レッドブルチームのテストドライバーを務め、アメリカGPでは、サードドライバーに起用され金曜日のフリー走行に出走した。F1の公式セッションでアメリカ人ドライバーが走るのは、実に1993年イタリアGPマイケル・アンドレッティ以来のことであった。秋には、レッドブルが買収したミナルディを改組して設立されたスクーデリア・トロ・ロッソで2006年からデビューすることが発表された。

2006年、F1デビューを果たす。第3戦オーストラリアGPでは8位でチェッカーを受けたが、黄旗区間でデビッド・クルサードを抜いたとしてレース後25秒加算のペナルティーを受け9位に降格となり、初入賞は幻となった。また、レース後の審議中にクルサードに暴言を吐いた。

2007年も引き続きトロ・ロッソに残留したが、チーム批判を繰り返すなどチーム首脳と対立し、第10戦ヨーロッパGP限りで解雇された。後任はBMWザウバーチームの第3ドライバーを務めていたセバスチャン・ベッテル。チームは解雇を発表したものの、その後も最終戦まで不測の事態に備えたリザーブドライバーとしてエントリーされ続けた。但し、レースチームへ帯同することは無かった。

2008年は、活動の舞台をアメリカに戻し、ストックカー選手権の1つであるARCAにレッドブルがメインスポンサーとなっている、エディー・シャープ・レーシングから出場、カンザス・スピードウェイで行われた第4戦で見事優勝を飾った。同年NASCAR最高峰のスプリントカップシリーズにもシーズン途中から参戦している。

2014年から2018年まで、アンドレッティ・オートスポーツのラリークロス部門に所属し、フォルクスワーゲン・ポロフォルクスワーゲン・ビートルを運転した。タナー・ファウストとチームメイトだった。

2018年11月1日、自身のInstagramにて、スバル・ラリーチームUSAに移籍することを明らかにした。

2019年から『スバル・WRX STI VT19x』を運転している。チームメイトにはパトリック・サンデルクリス・アトキンソンがいる。

2019年8月、ラリークロスの予選で彼のスバルWRX STI VT19x スーパーカーはジャンプから強い衝撃で着地し、その衝撃で第6胸椎など3つの脊椎骨が圧迫骨折する重傷を負った。[1]

レース戦績 編集

GP2 編集

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 総合順位 ポイント
2005年 iスポーツ・インターナショナル SMR
FEA

3
SMR
SPR

Ret
ESP
FEA

2
ESP
SPR

3
MON
FEA

4
EUR
FEA

16
EUR
SPR

12
FRA
FEA

15
FRA
SPR

18
GBR
FEA

4
GBR
SPR

2
GER
FEA

4
GER
SPR

3
HUN
FEA

Ret
HUN
SPR

19
TUR
FEA

5
TUR
SPR

4
ITA
FEA

Ret
ITA
SPR

15
BEL
FEA

4
BEL
SPR

4
BHR
FEA

Ret
BHR
SPR

19
3位 67.5

F1 編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 総合順位 ポイント
2005年 レッドブル・レーシング レッドブル RB1 コスワース TJ2005 3.0 V10 AUS MAL BHR SMR ESP MON EUR CAN
TD
USA
TD
FRA GBR GER HUN TUR ITA BEL BRA JPN CHN
2006年 スクーデリア・トロ・ロッソ トロ・ロッソ STR1 コスワース TJ2006 3.0
V10 14 Series
BHR
13
MAL
Ret
AUS
9
SMR
15
EUR
11
ESP
Ret
MON
13
GBR
Ret
CAN
10
USA
Ret
FRA
10
GER
12
HUN
11
TUR
13
ITA
13
CHN
14
JPN
18
BRA
11
20位 0
2007年 スクーデリア・トロ・ロッソ トロ・ロッソ STR2 フェラーリ 056 2.4 V8 AUS
Ret
MAL
14
BHR
Ret
ESP
Ret
MON
9
CAN
Ret
USA
13
FRA
Ret
GBR
Ret
EUR
Ret
HUN TUR ITA BEL JPN CHN BRA 21位 0

リタイアしたが、レースの90%以上を完走したため完走扱い。

A1グランプリ 編集

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 総合順位 ポイント
2005–06 USA GBR
SPR

11
GBR
FEA

Ret
GER
SPR

Ret
GER
FEA

Ret
POR
SPR

13
POR
FEA

4
AUS
SPR
AUS
FEA
MYS
SPR
MYS
FEA
UAE
SPR
UAE
FEA
RSA
SPR
RSA
FEA
IDN
SPR
IDN
FEA
MEX
SPR
MEX
FEA
USA
SPR
USA
FEA
CHN
SPR
CHN
FEA
16位 23

フォーミュラE 編集

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
2014年-15年 アンドレッティ CHN
MAL
URU
ARG
MIA
2
LBH
Ret
MON
GER
GBR
11位 18

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集