スコット・ハッテバーグ

スコット・アレン・ハッテバーグ: Scott Allen Hatteberg, 1969年12月14日 - )は、MLBの元選手で、ポジションは一塁手。右投左打。アメリカ合衆国オレゴン州セイラム出身。一塁手以外に、捕手三塁手としてのプレー経験がある。

スコット・ハッテバーグ
Scott Hatteberg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オレゴン州セイラム
生年月日 (1969-12-14) 1969年12月14日(54歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
212 lb =約96.2 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
初出場 1995年8月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

ハッテバーグは10歳のころから捕手としてプレイ[1]1988年フィラデルフィア・フィリーズからドラフト12巡目(全体の302番目)で受けるも入団せず[2]ワシントン州立大学へ進学。1990年には捕手として国際親善試合の全米代表として出場[1]。1991年のドラフトでボストン・レッドソックスから1巡目(全体の43番目)で指名され入団[2]

1995年にメジャーデビューを果たし、1997年にはメジャーに定着。2001年は肘の神経断裂のまま出場し、シーズン終了後に神経をつなぎ合わせる手術を受けた[3]。12月19日にポーキー・リースとのトレードでコロラド・ロッキーズへ移籍[2]年俸調停を申請をしないことを通告し、ロッキーズは2002年の年俸として50万ドルを提示したが、ハッテバーグはこれを拒否[4]。12月20日午前0時に交渉権が期限切れとなり、この1分後にオークランド・アスレチックスが一塁手として獲得に名乗りをあげ、2002年1月2日に1年95万ドル(2年目は球団オプション)の契約でアスレチックスへ移籍[5][2]

ハッテバーグは2002年開幕を指名打者として開幕を迎え、カルロス・ペーニャが一塁手として出場[6]。6月以降、一塁手としての出場が増え、ペーニャを球団はトレードで7月5日に放出。当初、ぎこちなかった守備は平均水準以上と評価されるようになった[7]2004年はこれまでの2番打者ではなく5番打者として出場し、自己最多の81打点を記録。

2005年のオフ、アスレチックスから再契約されず、2006年2月14日に1年75万ドルでシンシナティ・レッズFA移籍[8][2][9]。2006年はチーム1位となる出塁率.389を記録するなど期待以上の活躍をみせ[10]、球団はシーズン半ばの7月26日には1年150万ドル(2年目はオプション)で契約延長した[8]

左投手を苦手としているため、2007年は左投手が登板時の出場機会が減少し[11]、出場試合数も2002年以降最少の116。規定打席に到達しなかったものの、自身初の打率3割を達成。2008年ジョーイ・ボットの台頭で控え一塁手兼代打要員となった。しかし打率1割台と不振だった上、若手有望株のジェイ・ブルースの昇格に伴い、5月27日に戦力外となった[12]

選手としての特徴 編集

ハッテバーグ本人によるとリトルリーグ時代から球にバットを当てるのがうまく、きわどい球を打って凡フライやぼてぼてのゴロに終わるぐらいなら、見逃し三振の方がましと考えていたという[13]。初球を打ってアウトになることが一番嫌いだという[13]。メジャーでは選球眼はトップクラス[11]。出塁率が高く、1打席あたりの球数も多い。ツーストライクまでバットを振らないことが多く、そこから空振りをせず、安打を放つ[14]。ハッテバーグのプレイスタイルはレッドソックスでは評価されなかったが、アスレチックスでは評価された[15]。その様子は映画『マネーボール』で見ることができる。クリス・プラットがハッテバーグを演じた。

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1995 BOS 2 2 2 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .500 .500 .500 1.000
1996 10 14 11 3 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 3 0 0 2 2 .182 .357 .273 .630
1997 114 395 350 46 97 23 1 10 152 44 0 1 2 1 40 2 2 70 11 .277 .354 .434 .788
1998 112 410 359 46 99 23 1 12 160 43 0 0 0 3 43 3 5 58 11 .276 .359 .446 .805
1999 30 100 80 12 22 5 0 1 30 11 0 0 0 1 18 0 1 14 2 .275 .410 .375 .785
2000 92 271 230 21 61 15 0 8 100 36 0 1 1 2 38 3 0 39 8 .265 .367 .435 .802
2001 94 316 278 34 68 19 0 3 96 25 1 1 0 1 33 0 4 26 7 .245 .332 .345 .677
2002 OAK 136 568 492 58 138 22 4 15 213 61 0 0 1 1 68 1 6 56 8 .280 .374 .433 .807
2003 147 622 541 63 137 34 0 12 207 61 0 1 3 3 66 0 9 53 14 .253 .342 .383 .725
2004 152 638 550 87 156 30 0 15 231 82 0 0 3 8 72 5 5 48 10 .284 .367 .420 .787
2005 134 523 464 52 119 19 0 7 159 59 0 1 2 2 51 4 4 54 22 .256 .334 .343 .677
2006 CIN 141 539 456 62 132 28 0 13 199 51 2 2 2 4 74 3 3 41 13 .289 .389 .436 .825
2007 116 417 361 50 112 27 1 10 171 47 0 0 1 3 49 6 3 35 8 .310 .394 .474 .868
2008 34 61 52 3 9 3 0 0 12 7 0 1 0 2 7 0 0 7 0 .173 .262 .231 .493
通算:14年 1314 4876 4226 538 1153 249 7 106 1734 527 3 8 15 31 562 27 42 503 117 .273 .361 .410 .771
  • 2008年度シーズン終了時

参考文献 編集

  • マイケル・ルイス (著)、 中山 宥 (訳)『マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男ランダムハウス講談社、2004年。ISBN 9784270000120 

脚注 編集

  1. ^ a b マイケル・ルイス、214頁
  2. ^ a b c d e Scott Hatteberg Transactions” (英語). Baseball-Reference. 2009年4月13日閲覧。
  3. ^ マイケル・ルイス、211頁
  4. ^ マイケル・ルイス、212頁
  5. ^ マイケル・ルイス、212 - 213頁
  6. ^ マイケル・ルイス、215頁
  7. ^ マイケル・ルイス、221頁
  8. ^ a b Sheldon, Mark (2006年7月26日). “Reds extend Hatteberg through 2007” (英語). MLB.com. 2009年4月15日閲覧。
  9. ^ Sheldon, Mark (2006年7月26日). “Reds extend Hatteberg through 2007” (英語). MLB.com. 2009年4月15日閲覧。
  10. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、348頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  11. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、378頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  12. ^ Sheldon, Mark (2008年5月27日). “Reds designate Hatteberg for assignment” (英語). MLB.com. 2009年4月13日閲覧。
  13. ^ a b マイケル・ルイス、224頁
  14. ^ マイケル・ルイス、223 - 224頁
  15. ^ マイケル・ルイス、225頁

外部リンク 編集