スタッド・フランセ・パリ

スタッド・フランセ・パリ(Stade Français Paris)はフランスラグビーのプロクラブ。フランス一部リーグ、トップ14に参加している。

スタッド・フランセ
正式名称 Stade Français Club Athlétique des Sports Généraux
愛称 All Pinks
創設年 1883年
本拠地 フランスの旗 パリ
グラウンド スタッド・ジャン=ブーアン (収容人数: 20,000)
スタッド・ド・フランス (収容人数: 80,000)
会長 Hans-Peter Wild
コーチ Laurent Sempéré , Julien Arias
主将 ヨアン・マエストリ
所属リーグ トップ14
2020–21 6位(プレーオフ:準々決勝敗退)
ファーストカラー
セカンドカラー
公式サイト
www.stade.fr
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1995年5月、パリにある二つのスポーツ総合クラブ、スタッド・フランセ(Stade Français)とCASG(Club athlétique des sports généraux)が併合されて、現在のクラブが結成される。

スタジアムはパリ16区にあるスタッド・ジャン=ブーアン

クラブの選手たち、および種目を問わず招待された選手たちの黒白ヌード写真を収録したカレンダー、Dieux du Stade(スタジアムの神々)が2001年から売り出され、話題を集める。サッカーのジブリル・シセも登場した。2004年以降は撮影風景をおさめたDVDも発売されている。

歴史編集

スタッド・フランセは1883年にカルチエ・ラタンの学生たちによってスタジアム競技の総合スポーツクラブとして創設された(スタジアムを意味する「スタッド」の名前を冠しているのはその名残である)。 1882年に創設されたフランス選手権において、1883年から1927年までの間、一部リーグで8回の優勝、7回の準優勝という輝かしい成績をおさめる。1947年に初めて二部に降格し、以後徐々に弱体化し、1990年代初めまで二部、三部リーグで低迷する。

合併するもう一方のクラブ、CASGは1903年に設立。フランスの大手銀行、ソシエテ・ジェネラルのスポーツチームが発展したものである。

1992年にラジオ局、NRJの創始者の一人であるマックス・ガッジーニがスタッド・フランセを買い取る。さらに1995年、スタッド・ジャンブーワンを所有するCASGを買い取り、両チームを合併する。ベルナール・ラポルトを監督に迎え、三部リーグで優勝して二部へ昇格。さらに翌年には二部リーグ1位となり、一部リーグに返り咲く。一部リーグ初年度の1998年、ペルピニャンと決勝を戦い、優勝を飾る。

マックス・ガッジーニの優れた経営戦略のもと、試合前後のコンサートや打ち上げ花火などの演出、ケンゾーらを起用した洒落たユニフォームの導入などにより、個人主義的で飽きやすいといわれるパリのスポーツファンを引き付けることに成功した。中でも選手のヌード・カレンダーはクラブショップのみならず全国のスーパーマーケットにも並べられるほどの盛況ぶりである。

その一方で、クラブの伝統を無視したエンブレム変更、常にゲイ・カルチャーを彷彿させるマーケティングには、批判の声も多い。

タイトル編集

  • フランス選手権
    • 優勝:1893, 1894, 1895, 1897, 1898, 1901, 1903, 1908, 1998, 2000, 2003, 2004, 2007, 2015
    • 準優勝:1896, 1899, 1904, 1905, 1906, 1907, 1927, 2005
  • ハイネケンカップ準優勝:2001, 2005
  • フランスカップ優勝:1999
  • エスペランスカップ準優勝:1916

2021-2022スコッド編集

2021-2022のスコッドは次の通り。(2021年9月現在)

スタッド・フランセ トップ14 スコッド[1]

プロップ

フッカー

ロック

フランカー/No.8

スクラムハーフ

フライハーフ

センター

ウイング

フルバック

太字 はキャップを持っている選手。(c)はキャプテン。

在籍した選手編集

脚注編集

  1. ^ Effectif Pro . Stade Français. 2021年9月4日閲覧。

外部リンク編集