スティーリー・ダン

スティーリー・ダンSteely Dan)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド

スティーリー・ダン
Steely Dan
Steely Dan - Donald Fagen - Luzern 2007.jpg
スイス・ルツェルン公演 (2007年7月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル ロックブルー・アイド・ソウルラテン音楽R&B、ソウル・ミュージック、クロスオーバージャズAOR
活動期間 1972年 - 1981年
1993年 - 現在
レーベル ABCレコード
MCAレコード
ワーナー・ブラザース・レコード
リプリーズ・レコード
公式サイト steelydanofficial.com
メンバー ドナルド・フェイゲン
旧メンバー ウォルター・ベッカー
ジェフ・バクスター
デニー・ダイアス
ジム・ホッダー
デイヴィッド・パーマー
マイケル・マクドナルド
ロイス・ジョーンズ
ジェフ・ポーカロ
ジャズ

主にドナルド・フェイゲンウォルター・ベッカーによるデュオ体制で活動し、世界的な成功を収めた。2017年にベッカーが死去し、以降はフェイゲンのソロユニットとして継続している。

2000年度『グラミー賞』を3部門で受賞[1]2001年『ロックの殿堂』入り[2]。世界の作品の売り上げは4000万枚を超える。[3][4]

概要編集

ラテン音楽やR&B/ソウル、ブルー・アイド・ソウルやジャズなど黒人音楽寄りで幅広く多様性を持った音楽性が特徴だった。彼らは、ジャズ的な代理コードや意表をつくコード進行で曲にひねりを加え、著名なスタジオ・ミュージシャンを起用し高度なアンサンブルを構築。その独特なサウンドは、クロスオーバーや黒人音楽に関心を持つミュージシャンに、多大な影響を与えた。テクニカルな面が強調されがちだが、1950年代、60年代のジャズやR&Bが持つフィーリングを重視しており、ボブ・ディランに影響を受けた、ドナルド・フェイゲンの奇妙で難解な歌詞も特徴の一つとしてあげられる。

略歴編集

スティーリー・ダン結成まで編集

ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーはニューヨークのバード・カレッジ在学中に知り合い、共同で曲作りを始める。カレッジ卒業後(ベッカーは中退)2人は作曲家として活動するが仕事には恵まれず、ジェイ&ジ・アメリカンズのバックミュージシャンなどで糊口を凌いでいた。この頃に作られたデモテープは、後に「ベッカー&フェイゲン」名義の作品集としてレコード、CD化されている。ようやくABCレコードのプロデューサーのゲイリー・カッツに才能を見出された2人はロサンゼルスに移住、バンドとしてレコード・デビューするために旧知のミュージシャンを呼び寄せ、スティーリー・ダンを結成した。バンド名は、ウィリアム・S・バロウズの小説『裸のランチ』に登場する男性器の張型「Steely Dan III from Yokohama」に由来する。

結成当初のメンバーは、ドナルド・フェイゲン(ボーカル、キーボード)、ウォルター・ベッカー(ベース)、デニー・ダイアス(ギター)、ジェフ・バクスター[5](ギター)、ジム・ホッダー(ドラム、ボーカル)、デイヴィッド・パーマー(ボーカル)。主なスタッフにゲイリー・カッツ(プロデューサー)、ロジャー・ニコルズ(エンジニア)。

デビューから活動休止まで(1972年 - 1981年)編集

1972年発表のデビュー・アルバム『キャント・バイ・ア・スリル』からシングル・カットされた「ドゥ・イット・アゲイン」は全米6位の大ヒットを記録[6]した。

プロのミュージシャンとなればライブ活動は必要不可欠だが、本来作曲家としての活動を望んでいたベッカーとフェイゲンは肉体的にも精神的にもきついライブを嫌い、それがやがて他のメンバーとの軋轢を生む。また作品を追うごとに理想とするサウンドとバンドの演奏力の差が明らかになると、メンバーの感情を無視して外部のスタジオ・ミュージシャンを積極的に起用するようになり、バンドとしての一体感は失われていった。73年にはセカンド・アルバムを発表した。

1974年発表のサード・アルバム『プレッツェル・ロジック』からシングルカットされた「リキの電話番号(Rikki Don't Lose That Number)」は全米4位と、シングルとしては彼ら最大のヒットを記録した[7]。しかしすでにこの頃はバンド形態は崩壊寸前、同年にジェフ・バクスターとジム・ホッダーがクビにされ、ライブ活動を停止した(デイヴィッド・パーマーは既にクビ)。なおこの年のライブではマイケル・マクドナルド[8]ジェフ・ポーカロ[9]がツアーメンバーとして参加している。76年に4枚目のアルバムを発表。

以降はスタジオ・レコーディングのみの活動に専念、トム・スコットラリー・カールトンチャック・レイニーバーナード・パーディースティーヴ・ガッドら主に、クロスオーバー系の腕利きミュージシャンを大勢起用するようになった。

1977年発表のアルバム『彩(エイジャ)』は全米3位、200万枚を売り上げる大ヒットを記録した彼らの代表作である。同アルバムでは、東西の有名スタジオ・ミュージシャンを贅沢に起用していた。音楽評論家からも高い評価を受け、このアルバムはスティーリー・ダンの名声を決定的なものにした。なおデニー・ダイアスが本作を最後に正式にメンバーから外れ、スティーリー・ダンは名実共にベッカーとフェイゲンの2人だけのグループとなった。

1980年発表のアルバム『ガウチョ[10]を最後にスティーリー・ダン、すなわちベッカーとフェイゲンのコンビは翌年に活動を停止する。『ガウチョ』もヒットを記録、高い評価を獲得したが、前作の評価があまりにも高かったゆえに制作時のプレッシャーは並々ならぬものがあった。フェイゲンやプロデューサーゲイリー・カッツの完璧主義は前作を超え、演奏に寸分の狂いも許さず、一方ベッカーは麻薬に溺れレコーディングどころではなくなっていた。前作に比べ、膨大な時間(2年半)と費用(日本円で1億円以上)がかさんだり、曲がミスで消されるなどのトラブルが頻発したが、完成度の高さは頂点を極めている。スティーリー・ダンはこのアルバムを区切りに、長い休止期に入る。

ソロ活動〜再結成〜ベッカーの死去(1982年 - 2017年)編集

1982年にドナルド・フェイゲンはソロ・アルバム『ナイトフライ』を発表。スティーリー・ダン時代のサウンドにさらに磨きをかけ、以前に劣らぬヒットと高い評価を獲得した。3M製32トラックのデジタル・マルチトラックレコーダーを使用した音響面のクオリティの高さも絶賛され、一時期はPAエンジニアのサウンド・チェックの定番となっていたほど「音のいいアルバム」といわれていた。

一方のウォルター・ベッカーは麻薬中毒から脱するためにハワイに移住。1985年チャイナ・クライシスのプロデューサーとして音楽界に復帰した。その後はフェイゲン、ベッカーともどもさほど目立った活動をすることはなかったが、1993年にフェイゲンのソロ・アルバム『カマキリアド』をベッカーがプロデュースしたことをきっかけに2人での活動を再開する。そして同年に「スティーリー・ダン・フィーチャリング・ウォルター・ベッカー&ドナルド・フェイゲン」名義でライブツアーを開始、翌年には初来日も果たした。このツアーの模様は公式のライブ盤として発売されている。1996年にも再び世界ツアーを行ない、同年に発表したベッカーのソロ・アルバム『11の心象(11 Tracks Of Whack)』をフェイゲンがプロデュースしている。

2000年、スティーリー・ダン名義としては『ガウチョ』以来20年ぶりとなるスタジオ・レコーディング・アルバム『トゥー・アゲインスト・ネイチャー』を発表。全米6位の大ヒットを記録し、同年のグラミー賞では最優秀アルバムをはじめ4部門を獲得した。2001年に「ロックの殿堂」入りを果たした。2003年には、『彩(エイジャ)』がグラミー賞殿堂入りを果たしている。

2017年9月3日、ウォルター・ベッカーの死去が、ベッカーのオフィシャルサイト上で発表された。67歳没[11]。当初死因等の詳細は発表されていなかったが、11月16日にベッカーの妻デリアにより、死因については急激な進行の食道癌であったことが公表された[12]。癌は毎年受けていた健康診断で発見され、化学療法による治療を行っていたものの、進行が早く発見から4ヶ月も経たないうちに死去したという。ドナルド・フェイゲンは追悼声明で、大学時代からの長年の友人でありバンドメイトでもあったベッカーを回想するとともに、スティーリー・ダンとして作り上げてきた音楽を、自分ができうる限り続けていきたいと語った。

フェイゲン単独体制〜以降(2017年 - 現在)編集

ベッカー死去の翌週から、意向の通りバンド活動を継続。ベッカー亡き後初のツアーは10月13日、オクラホマ州タッカービル公演からスタートし、「ドゥービー・ブラザーズ」とのジョイントライブをイギリスで3公演開催する事を発表した。

2019年秋、過去の名作『幻想の摩天楼』『彩(エイジャ)』『ガウチョ』『ナイトフライ』のアルバム全曲を再現する日替り企画を、秋の米東海岸ツアーにて実施[13]

メンバー編集

 
ベッカー&フェイゲン (2007年)

主要ラインナップ編集

旧メンバー編集

  • ジェフ・バクスター (Jeff "Skunk" Baxter) – ギター (1972年–1974年)
  • デニー・ディアス (Denny Dias) – ギター (1972年–1974年)
  • ジム・ホダー (Jim Hodder) – ドラムス、ボーカル (1972年–1974年)
  • デヴィッド・パーマー (David Palmer) – ボーカル (1972年–1973年)
  • ロイス・ジョーンズ (Royce Jones) – ボーカル (1973年、1974年)
  • マイケル・マクドナルド (Michael McDonald) – キーボード (1974年)
  • ジェフ・ポーカロ (Jeff Porcaro) – ドラムス (1974年)

旧メンバー降板の経緯編集

当初、フェイゲンは自分がボーカルを取ることをとても嫌がっていた。自分の声域が狭く理想的な声質でないこと、大学までボーカルなんてやったこともなかったこと、あがり症でライブなどではMCもこなさければいけない事が不安という理由があった。そのため、ボーカリストをいつも探していた(しかし、プロデューサーのゲイリー・カッツら周囲の人間は、フェイゲンのボーカルを気に入り強く勧めていた)。デイヴィッド・パーマーをボーカリストとして迎え入れ数曲演奏したが、やはりフェイゲンが歌ったほうがいい、ということになり、フェイゲンがリードボーカリストとして定着する。

3rdアルバムの頃からは、演奏者にもより高いレベルの演奏を要求するようになったため、腕の良いスタジオミュージシャンを呼んで演奏をさせることが多くなり、オリジナル・メンバーの出番が少なくなっていった。それはフェイゲン、ベッカー自身にも当てはまり、彼らも演奏に参加しなくなる曲も増えていた。ツアーもやめることで、2人以外の人間の仕事は余計なくなっていった。ただし、2人はすぐに他のメンバーをクビにしたというわけではなく、アルバムでほとんど演奏していないメンバーも、その後の活動の準備が整った段階で自ら脱退を決めてもらうようにしていた。

ディスコグラフィ編集

スタジオ・アルバム編集

ライブ・アルバム編集

  • 『アライヴ・イン・アメリカ』 - Alive in America (Giant, 1995年) ※1994年8月~9月録音、US #40
  • Two Against Nature - Steely Dan's Plush TV Jazz-Rock Party In Sensuous Surround Sound (2000年) ※DVD-Video

コンピレーション・アルバム編集

  • 『グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1978年) ※US #30
  • 『スティーリー・ダン』 - Steely Dan (1978年) ※日本のみベスト盤
  • 『ゴールド』 - Gold (1982年) ※US #115
  • 『ザ・ベスト・オブ・スティーリー・ダン』 - A Decade of Steely Dan (1985年)
  • 『ザ・ベリー・ベスト・オブ・スティーリー・ダン』 - The Very Best of Steely Dan: Reelin' In the Years (1985年)
  • 『リマスタード・ザ・ベスト・オブ・スティーリー・ダン - ゼン・アンド・ナウ』 - Remastered: The Best of Steely Dan – Then and Now (1993年)
  • 『シチズン スティーリー・ダンBOX』 - Citizen Steely Dan (1993年)
  • 『ショウビズ・キッズ : ザ・スティーリー・ダン・ストーリー』 - Showbiz Kids: The Steely Dan Story, 1972–1980 (2000年)
  • 『ベリー・ベスト・オブ・スティーリー・ダン』 - Steely Dan: The Definitive Collection (2006年) ※US #92
  • 20th Century Masters – The Millennium Collection:The Best of Steely Dan (2007年)

シングル編集

1972年

  • "Dallas" / "Sail The Waterway"

1973年

  • "Do It Again" (US #6) / "Fire In The Hole"
  • "Reelin' In The Years" (US #11) / "Only A Fool Would Say That"
  • "Show Biz Kids" (US #61) / "Razor Boy"
  • "My Old School" (US #63) / "Pearl Of The Quater"

1974年

1975年

  • "Black Friday" (US #37) / "Throw Back The Little Ones"
  • "Bad Sneakers" (US #--) / "Chain Lightning"

1976年

  • "Kid Charlemagne" (US #82) / "Green Earrings"
  • "The Fez" (US #59) / "Sign In Stranger"

1977年

  • "Peg" (US #11) / "I Got The News"

1978年

  • "Deacon Blues" (US #19) / "Home At Last"
  • "FM (No Static At All)" (US #22) / "(reprise)"
  • "Josie" (US #26) / "Black Cow"

1980年

  • "Hey Nineteen" (US #10) / "Bodhisative [Live]"

1981年

  • "Time Out Of Mind" (US #22) / "Bodhisative [Live]"

2000年

  • "Cousin Depree" / "[Album Version]"

※アルバムチャート順位は「Billboard 200」、シングルチャート順位は「Billboard Hot 100」より。

スティーリー・ダンとしてデビューする前の作品編集

  • Walter Becker & Donald Fagen名義のデモ曲集(タイトル、収録曲とも様々な盤がある)
  • You Gotta Walk It Like You Talk It (自主制作映画のサントラ盤)

映像作品編集

  • 『彩(エイジャ)』 (アルバム『彩(エイジャ)』の制作ドキュメンタリー)
  • 『シークレット・ライブ・イン・NY』 (『トゥー・アゲインスト・ネイチャー』発売直前に行なわれたプロモーションライブの映像)

ドナルド・フェイゲンおよびウォルター・ベッカーのソロ・アルバムについてはそれぞれの項目を参照。

日本公演編集

4月15日 大阪城ホール、16日 名古屋市民会館、17日 東京ベイNKホール、19日,20日,21日 国立代々木競技場第一体育館、23日,24日 福岡市民会館
10月8日、9日 日本武道館、11日 福岡サンパレス、12日 名古屋センチェリーホール、13日 大阪城ホール
5月14日、15日 東京国際フォーラムホールA、16日 グランキューブ大阪、18日 愛知県勤労会館、19日 メルパルクホール福岡
8月18日、19日、20日、22日、23日、24日 Billboard Live TOKYO
8月26日、27日、28日、30日、31日、9月1日 Billboard Live OSAKA
9月3日、4日、5日 Billboard Live FUKUOKA

脚注編集

  1. ^ Steely Dan” (英語). GRAMMY.com (2019年6月4日). 2019年10月20日閲覧。
  2. ^ Steely Dan” (英語). Rock & Roll Hall of Fame. 2019年10月20日閲覧。
  3. ^ https://web.archive.org/web/20130921035431/http://steelydan.com/hof.html
  4. ^ https://web.archive.org/web/20160309142355/http://www.steelydan.com/tour13pr.html
  5. ^ ドゥービー・ブラザーズに加入
  6. ^ http://www.allmusic.com/album/do-it-again-mw0000081544
  7. ^ http://www.allmusic.com/album/do-it-again-mw0000081544
  8. ^ 後にドゥービー・ブラザーズに加入
  9. ^ ドラマーとして後にTOTOに加入
  10. ^ http://www.discogs.com/ja/Steely-Dan-Gaucho/release/844094
  11. ^ スティーリー・ダンのウォルター・ベッカー、死去”. BARKS (2017年9月4日). 2018年1月9日閲覧。
  12. ^ 死後3ヶ月が経ち、故ウォルター・ベッカーの死因が明らかに。妻デリアが闘病生活を明かす-rockinon.com|https://rockinon.com/news/detail/169654” (日本語). rockinon.com. 2019年10月20日閲覧。
  13. ^ スティーリー・ダン、秋のツアーで『彩』『ガウチョ』『ナイトフライ』全曲パフォーマンス”. Rolling Stone Japan (2019年4月30日). 2019年8月19日閲覧。

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集