スティーヴ・ペリー
スティーヴン・レイ・“スティーヴ”・ペリー(Stephen Ray "Steve" Perry、1949年1月22日 - )は、アメリカの歌手、ミュージシャン。ロックバンドジャーニーの元ヴォーカリスト。
スティーヴ・ペリー | |
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![]() スティーヴ・ペリー(2019年) | |
基本情報 | |
出生名 |
スティーヴン・レイ・ペリー (Stephen Ray Perry) |
生誕 | 1949年1月22日(72歳) |
出身地 |
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ジャンル | ハード・ロック、ポップ・ロック、ポップ |
職業 | シンガーソングライター、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ヴォーカル、ギター、ベース、ピアノ、ドラム |
活動期間 | 1961年-現在 |
レーベル | 米コロムビア(ソニー・ミュージック)→コンコード |
事務所 | Associated_acts = ジャーニー、エイリアン・プロジェクト、USAフォー・アフリカ |
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第76位[1]。
来歴編集
カリフォルニア州出身でポルトガル系。父レイモンド・ペリー(ポルトガル語の姓はペレイラ)はシンガーであり、音楽やミュージシャンに慣れ親しんで育ったが、両親の離婚後母親に引き取られたため、彼の心に深い傷となって残った。1970年代からエイリアン・プロジェクトというバンドで音楽活動を始め、メジャーデビューを控えていたが、その直前にベーシストが事故死したことによりバンドは解散。それを機に音楽活動を諦め、その後は郷里で農業を営んでいたが、業界関係者を通じてエイリアン・プロジェクトのデモテープを耳にした、当時のジャーニーのマネージャー、ハービー・ハーバートが白羽の矢を立てた。ほどなくしてオーディションに合格したペリーは、ジャーニーの初代ヴォーカリスト、ロバート・フライシュマンとツアー中に入れ替わる形でバンドに加入した。
その後のジャーニーは、それまでのプログレッシブ・ロック風の音楽性をポップな方向に変えていく。加えて精力的なツアーをこなして人気の地歩を固め、1980年代前半にはバンド史上類例のない多数のヒット曲をチャートへ送り込む原動力となった。
ジャーニーが、アルバム『エスケイプ』並びに『フロンティアーズ』でスターへの仲間入りを果たした後、ネームバリューを得たペリーは、1984年にソロ活動も始めた。その中でも、当時交際中だった女性への想いを歌った「Oh,シェリー」は、ソロ・デビューアルバム『ストリート・トーク』の人気を牽引し、一説には「アメリカで知らない人が居ない」と言わしめる程のヒット曲となった(ちなみに、時期は前後するがペリーは以前にもケニー・ロギンスやネッド・ドヒニーのアルバムにゲスト参加したことがあった)。アルバム『ストリート・トーク』は、ジャーニーの楽曲とは一風異なるR&B寄りの作風で、彼独自の持ち味を広く訴求することに成功し、上述の「Oh, シェリー」の他にも「フーリッシュ・ハート」や「ストラング・アウト」などのヒット曲を生み出している。
1985年にはUSAフォー・アフリカのアルバムにも参加し、メイン曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」ではマイケル・ジャクソンやレイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダー、ボブ・ディラン、ポール・サイモン、ダイアナ・ロス、ブルース・スプリングスティーン、ライオネル・リッチーなど、数多の人気ミュージシャンと共演しつつ、新曲「モーメント・ガール」も提供している。
1986年のジャーニーのアルバム『Raised On Radio〜時を駆けて』ではプロデュースも担当するなど、ヴォーカリストに留まらない活躍を見せたが、1987年のツアー中にジャーニーを脱退。その後はしばらく表舞台から遠ざかっていたが、およそ7年の時を経て1994年にソロ・アルバム『ストレンジ・メディスン』を発表し、ファンの注目を集めた。ペリーは、このアルバムを引っ提げてツアーを行い、日本での公演も予告されていたが肺の感染症[2]が原因で体調を崩しツアーを中断。療養生活の中で、彼は自身が脱退後に空中分解の状態となっていたジャーニーの再結成へ向けて可能性を模索し始め、やがてメンバーとの合流を果たす。
1996年に再結成したジャーニーの中核としてアルバム『トライアル・バイ・ファイアー』で腕を振るうが、退行性骨関節疾患を患いツアーへの参加が困難な状態となった。メンバーとの協議の末、1998年に正式にバンドから脱退。その後は、ワーナー・ブラザースのアニメ映画『魔法の剣 キャメロット』のオリジナルサウンドトラックにおける主題曲の競演や、2003年には映画『モンスター』のサウンドトラックのプロデュースも手掛けたほか、デヴィッド・パックの作品にゲスト・ヴォーカルとして参加している。それ以外は表立った音楽活動を殆ど行っていなかった。
2014年6月、何の前触れもなくEelsのライブにゲスト参加し、その際に、2015年12月に3枚目のソロアルバムをリリースすることを表明したが、予定の実現はなかった。2017年4月にはロックの殿堂入りしたジャーニーの旧メンバーとして授賞式に参加した。ステージ上では、ジャーニーに在籍した者として、受賞の喜びと在籍中に関わったメンバーへの感謝を伝え、現ヴォーカリストのアーネル・ピネダには、ジャーニーで10年間頑張っている事への賛辞を送った。授賞式ではメッセージのみで、授賞式後のライブには出ていない。また、ニューアルバムを秋にリリースすると言及したが叶わなかった。
2018年8月15日、それまで準備中だった公式サイトで、黒画面のバックに「I Know It’s Been A Long Time Comin’…(長らく待たせていたのはわかってる)」の文字動画が現れた。一部でAmazonがリークしたとされているが、ニューアルバム『TRACES』の2018年10月5日に全世界同時リリースとシングルカット曲「No Erasin」も発表された。前作『FOR THE LOVE OF STRANGE MEDICINE』から、約四半世紀を経ての3枚目のソロアルバムとなる。
ディスコグラフィー編集
ジャーニー編集
スタジオ・アルバム編集
- INFINITY/インフィニティ (1978)
- EVOLUTION/エヴォリューション (1979)
- DEPARTURE/ディパーチャー (1980)
- DREAM AFTER DREAM/夢、夢のあと (1980)
- ESCAPE/エスケイプ (1981)
- FRONTIERS/フロンティアーズ (1983)
- RAISED ON RADIO/レイズド・オン・レイディオ (1986)
- TRIAL BY FIRE/トライアル・バイ・ファイアー (1996)
ライヴ・アルバム編集
- CAPTURED/ライヴ・エナジー (1981)
- GREATEST HITS LIVE/グレイテスト・ヒッツ・ライヴ (1998)
- LIVE IN HOUSTON 1981 ESCAPE TOUR/ライブ・イン・ヒューストン 1981 エスケイプツアー (2005)
ベストアルバム編集
- GREATEST HITS/グレイテスト・ヒッツ (1988)
- TIME3/TIME3 (1992)
- THE ESSENTIAL JOURNEY/エッセンシャル・ジャーニー (2002)
- GREATEST HITS VOL.2/グレイテスト・ヒッツ VOL.2 (2011)
ベスト・アルバム(日本発売のみ)編集
- JOURNEY THE BALLADE/ジャーニー・ザ・バラード (1991)
- THE JOURNEY CONTINUES.../ザ・ジャーニー・コンティニューズ (2001)
- OPEN ARMS~GREATEST HITS/オープン・アームズ~グレイテスト・ヒッツ (2004)
ソロ編集
スタジオ・アルバム編集
- STREET TALK/ストリート・トーク (1984)
- Oh, シェリー(en:Oh Sherrie) STREET TALK 収録
- FOR THE LOVE OF STRANGE MEDICINE/ストレンジ・メディスン (1994)
- TRACES/トレイシズ(2018/10/5)
- NO ERASIN' TRACES収録(2018/8/15)
ベスト・アルバム編集
- GREATEST HITS + FIVE UNRELEASED/グレイテスト・ヒッツ+5 (1998)
- THE VERY BEST OF STEVE PERRY/ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・スティーヴ・ペリー(2009)
脚注編集
- ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Steve Perry”. 2013年5月26日閲覧。
- ^ 『Burrn!』1997年1月号 p116