ステファン・ペテランセル

ステファン・ペテランセル(フランス語Stephane Peterhansel1965年4月6日 - )は、フランス人モーターサイクルライダー・ラリードライバーである。一部ではステファン・ピーターハンセルとの記述も見受けられる。

ステファン・ペテランセル(2009年)
ファンたちからのサイン要請に応えるペテランセル(2009年、ブエノスアイレス)

ダカール・ラリー(旧パリダカ)において、二輪部門で6度の総合優勝(史上最多、すべてヤマハ)、四輪部門で8度の総合優勝(史上最多、三菱で3度、MINIで3度、プジョーで2度)を果たしている。また、同ラリーの二輪と四輪の両部門での総合優勝を成し遂げた数少ない人物でもある[1]

人物編集

幼少期編集

フランス東部のヴズールの郊外にて生まれる。父親は配管工、母親はカーディーラー秘書であった。やがて父母の元から離されて同じヴズールの祖父母の元で育つ。そのころ、父親は小さなラリーやトライアルに関わっていた。

1973年、8歳のとき、父親は彼にモーターサイクルを与えた。森、丘、原野、河原など、ヴズールのあらゆる場所が遊び場であり、トレーニング場であった。

スケートボードのチャンピオン編集

1975年、12歳になるころには競技でよりよい成績を残すことの魅力にすっかりはまっていた。ペテランセルの情熱の向いた先はスケートボードであり、毎日、学校が終わると仲間と数人でトレーニングを重ねた。

1976年、13歳のとき、スケートボードのフリーフィギュアとスラロームのコンペ競技会)に出場しはじめた。翌年にはフランスでの両種目のほか、ダウンとコンビネーションのチャンピオンに輝いた。フランスのチームに所属し、欧州での選手権に参加した。

プロのバイクライダーとして編集

1978年、15歳になるとスケートボードをやめ、父親の金銭的援助に報いるためにモーターサイクル競技に打ち込むことにした。彼は年齢が参加資格に満たなかったために父親名義で参加した初めてのレースで優勝してしまう。そのとき、ペテランセルは自分にはレースにおける天賦の才能があると確信した。

1980年、17歳のとき、あまり才能を発揮できない学校を辞めた。そのころにはプロのライダーになりたいと思っていた。父親は彼をサポートすることに決め、父親の配管会社と統合した。

翌年18歳になり、晴れて正式に競技への参加資格を得た。父親の協力もあり、1981年のフランスエンデューロ選手権でチャンピオンとなった。同時にハスクバーナと初のプロとしての契約を結んだ。そして、彼は祖父母の元を離れ、婚約者であるコリンとヴズールに住み始めた。

ラリーライダーとして編集

 
ヤマハ・XTZ850R(1995年のダカール・ラリーで優勝した時のマシン)

1987年、21歳のとき、彼はジャン=クロード・オリビエ(JCO)に見出され、スカウトされた。オリビエというのはヤマハのフランス現地法人、ヤマハモーターフランス(YMF)の社長であり、かつパリダカ黎明期にバイクを開発しつつ自身がライダーとしても活躍し、1985年には同ラリーの二輪部門で(1位とほんの僅差の)2位を獲得した実績もある、フランスで有名な人物であった。1987年9月、ヤマハ・モーター・フランスと契約。

こうしてペテランセルは、ペテランセルにとってそれまでチームメイトでアイドルと言ってもよかったようなユベール・オリオールフランス語版英語版シリル・ヌブーフランス語版の元は去り、あこがれだったアンドレ・マレルベフランス語版(=モトクロス世界選手権500ccクラスで3度チャンピオンを獲得したベルギー人)とともに、ヤマハ・モーター・フランス(YMF)チームの一員としてパリダカに参戦することになった。ペテランセルは、ジャン=クロード・オリビエをして「秘蔵っ子」と言わしめた。

初めてのパリダカ参戦となる1988年大会では総合18位に終わる。チームメイトのマラーベは、3日目にクラッシュして四肢麻痺となる重傷を負ってしまうが、ペテランセルはパリダカの魅力にとりつかれてしまう。同年、コリンと結婚し、またインターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ英語版(ISDE)でも優勝した。

翌1989年、2回目のパリダカでは総合4位。

1991年は、25歳の彼にとって記念すべき年となった。初めてパリダカで二輪部門の総合優勝を果たし、それまでホンダが勝ち続けてきたメーカータイトルをヤマハにもたらしたのである。以後、1992年、1993年、1995年、1997年、1998年と合計6度の優勝を飾る。後年、ワークスチームは実質的にヤマハとKTM一騎討ちの様相であったが、一人ペテランセルだけが総合トップを走り続けて総合1位を獲得、総合2位以下はすべてKTMライダーというような状況であった。優勝していない1994年はヤマハチームが不参加だった年、1996年はラリー中に誤って軽油を給油され大幅に順位を落としたことに抗議し、レースをボイコットした年である。

1998年、6度目の優勝を飾り、ヌブーの持つパリダカ優勝回数記録を塗り替える。しかし、レース中に手首にひどい傷みが生じ、それが彼を苦しめ、精神的にもダメージを被る。それが元で、以後のパリダカへは、バイクに比べれば肉体的負担の少ない四輪で出場することになる。

2014年現在の記録で、パリダカにおける二輪のスペシャルステージ優勝回数はペテランセルが33回で2位となっている。また、メーカー別優勝回数はヤマハが9回で2位であり、そのうち6回がペテランセルの功績であることも特筆すべき事実といえる。

四輪でのラリー編集

 
三菱・パジェロ(2007年のダカール・ラリーで優勝した時のマシン)
 
Rally Dakar 2013にて、X-raid Mini ALL4 Racingで車(MINI)を飛ばす運転を見せるペテランセル(2013年1月15日)
 
プジョーチームのドライバーのひとりとして活躍するペテランセル(写真左端。2014年11月)

ペテランセルは、バイクでのレースを続けながらも、時折アイスレース等の四輪でのレースにも参加していた。その下地もあり、1999年から四輪でパリダカに出場。マシンはニッサン(ただし当時の日産はパリダカでのワークス活動は行っていなかったので、フランスの日産系ディーラーチームからの出場だった)。22回ものパンク記録を樹立しながらも総合7位を記録。翌年は2位。とはいえ、完全に四輪に転向したわけではなく、バイクでラリーやエンデューロ世界選手権へも参戦し、「出れば優勝」という存在感を示していた。

2002年夏に三菱のワークス・チームであるラリーアートに加入し、2004年には初の四輪でのパリダカ優勝。続く2005年と、1年おいて2007年も優勝。現役ドライバーの中では二輪と四輪で総合優勝した唯一の人物となっている。当時三菱陣営では増岡浩リュック・アルファンと並ぶエース格のドライバーであった。

しかし三菱が2009年限りでダカール・ラリーのワークス参戦を取りやめたため、2010年以降ペテランセルはBMWに移籍してダカール・ラリーに参戦。最大のライバルであるフォルクスワーゲン2011年限りでダカールから撤退したことから、2012年は事実上X-raid MINI勢同士の争いとなったが、その争いを制し5年振りに総合優勝を飾り、翌年には連覇した。

2016年には前年ダカールに復帰した母国メーカーのプジョーへ移籍し、二輪駆動のバギーで2016・2017年と連覇。プジョーが撤退した後はX-raid MINIへと舞い戻り、同僚のカルロス・サインツとトヨタのナッサー・アルアティヤを退けて2021年にも二輪駆動のミニ・ジョンクーパーワークスバギーで総合優勝を果たし、記録を更新した。

妻のアンドレア・マイヤードイツ語版は、かつてのBMWKTMのワークスライダーで、のちに三菱から四輪でラリーに出場し、2002年のダカールラリーで総合5位に入賞した女性ライダー/ドライバーである。2019年には彼女をコ・ドライバーとして、クロスカントリーラリー・ワールドカップのタイトルを獲得している。また彼女とダカールへと参戦する計画もあったが、こちらは諸事情により果たせなかった。

2022年は新規参入のアウディが開発した電動車両『RS Q e-tron』でダカールに参戦するが、トラブルの連発で完走するのがやっとだった。この年新しく発足したW2RC(世界ラリーレイド選手権)では、X-raid ヤマハの軽量プロトタイプをドライブし、四輪ながら久々にヤマハへの復帰を果たした。

2023年には再びアウディでダカールに参戦。総合2番手でステージ6を走行中、ジャンプからの着地の衝撃でコ・ドライバーが負傷。リタイアした[2]

レース戦績編集

  • 1988
    • パリダカ18位(二輪・ヤマハ)
    • インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ 総合優勝 2ストローク500クラス優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1989
    • パリダカ4位(二輪・ヤマハ)
    • インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ 総合優勝 2ストローク500クラス優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1990
    • チュニジアラリー優勝(二輪・ヤマハ)
    • アトラスラリー優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1991
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、初)
    • インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ 総合優勝 2ストローク250クラス優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1992
  • 1993
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、3回目)
  • 1994
    • (パリダカ不参加)
    • チュニジアラリー優勝(二輪・ヤマハ、2回目)
    • インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ 総合優勝 2ストローク250クラス優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1995
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、4回目)
    • インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ 総合優勝 2ストローク250クラス優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1996
    • パリダカリタイヤ(二輪・ヤマハ)
    • UAEデザートチャレンジ優勝(二輪・ヤマハ、初)
  • 1997
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、5回目)
    • エンデューロ世界選手権 2ストローク250チャンピオン(二輪・ヤマハ、初)
    • UAEデザートチャレンジ4位(二輪・ヤマハ、初)
  • 1998
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、6回目)
    • シャモニー24時間レース優勝(四輪)
  • 1999
    • パリダカ7位(四輪・ニッサン)
  • 2000
    • パリダカ2位(四輪・メガ)
  • 2001
    • パリダカ総合12位、T1クラス優勝(四輪・ニッサン)
    • エンデューロ世界選手権優勝(二輪・ヤマハ、2回目。4スト250cc)
  • 2002
    • チュニジアラリー優勝(四輪・三菱)

 *UAEデザートチャレンジ優勝(四輪・三菱)

  • 2003
    • パリダカ3位(四輪・三菱)
    • バハイタリア2位(四輪・三菱)
    • UAEデザートチャレンジ優勝(四輪・三菱、2回目)
  • 2004
    • パリダカ優勝(四輪・三菱、初)
    • チュニジアラリー優勝(四輪・三菱、2回目)
    • モロッコラリー優勝(四輪・三菱)
    • UAEデザートチャレンジ8位(四輪・三菱)
  • 2005
    • パリダカ優勝(四輪・三菱、2回目)
    • パタゴニア=アタカマラリー2位(四輪・三菱)
    • モロッコラリーリタイヤ(四輪・三菱)
    • UAEデザートチャレンジ優勝(四輪・三菱、3回目)
  • 2006
    • パリダカ4位(四輪・三菱)
    • チュニジアラリー優勝(四輪・三菱、3回目)
    • UAEデザートチャレンジ2位(四輪・三菱)
  • 2007
    • パリダカ優勝(四輪・三菱、3回目)
  • 2008
    • パリダカは開催中止
  • 2012
    • パリダカ優勝(四輪・MINI、4回目)
  • 2013
    • パリダカ優勝(四輪・MINI、5回目)

脚注編集

  1. ^ 両部門優勝経験はユベール・オリオール(のちのTSO=パリダカ主催者代表)とともに達成。
  2. ^ アウディ、ダカール制覇は絶望的か。大ダメージのサインツ車は「修復して、ステージ優勝を狙う」”. motorsport.com. 2023年1月6日閲覧。

関連項目編集