スパトラディット・ディッサクン

モムチャオ=スパトラディット・ディッサクンディスクンとも、タイ語: หม่อมเจ้าสุภัทรดิศ ดิศกุล1923年11月23日[1] - 2003年11月6日)は、タイ考古学者美術史学者である。国賓がタイに訪れた際には、ワット・プラケーオおよび王宮のガイドをつとめる[2]など歴史にも造詣が深かった。

スパトラディット・ディッサクン
สุภัทรดิศ ดิศกุล

出生 (1923-11-23) 1923年11月23日
タイ王国の旗 シャム
死去 (2003-11-06) 2003年11月6日(79歳没)
タイ王国の旗 タイ
配偶者 オラピン ・インタラトゥット
子女 MRスパーニー・ディッサクン
MRダムロンデット・ディッサクン
MRオンアノン・ディッサクン
MRアピラディー ・ディッサクン
父親 ダムロンラーチャーヌパープ
母親 ジェム・ゾンティラット
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称号:モムチャオ
敬称 殿下
His Serene Highness the Prince
หม่อมเจ้า

略歴 編集

ダムロン親王のチューム婦人(プラヤー・ウタイモントリーの娘[3])との間にダムロンの32番目の息子として生まれる。

ワチラーウットウィッタヤーライ学校トリアムウドムスックサー学校で中等教育を受けた後[要出典]、1943年チュラーロンコーン大学卒業[4]。在学中は言語学を専攻した[要出典]。1947年、文部省芸術局古文書課長[4]、ダムロン図書館課長[4]。1948年、イギリスへ渡り考古学を学び、1951年、フランス・パリのルーブル美術館付属のエコール・ドゥ・ルーブルで考古学歴史学を学び[要出典]、キュレータ資格を取得[4]。その後、ロンドン大学で考古学博士の号を取得した[要出典]

1958年、オーラピン・インタラトゥーンと結婚、その後4子をもうけた[要出典]

1964年からシラパコーン大学考古学部教授兼学部長[4]。1976年から1981年まで、同大学大学院研究科長[4]。1982年から1986年まで同大学学長[4]。シラパコーン大学内に「モムチャオ=スパトラディット・ディッサクン教授図書館」が設置された[要出典]

2003年に心不全で死去[要出典]

受賞歴 編集

脚注 編集

  1. ^ スパトラディット・ディッサクン”. 福岡アジア文化賞. 2022年4月23日閲覧。
  2. ^ MCスパトラディット・ディスクン 『エメラルド仏寺院の歴史』 ブィー文子・村本理子訳、バンコクAmarin Printing Group、1987年、マハ チャクリ シリートーン王女殿下による「御挨拶」参照。
  3. ^ Finestone, Jeffrey: The Children and Grandchildren of King Mongkut (Rama IV) of Siam, Thailand: Goodwill Press (Thailand) Co., Ltd., 2000, pp.254, 263 ISBN 9748714888
  4. ^ a b c d e f g h i j スパトラディット・ディッサクン プロフィール”. 福岡アジア文化賞委員会. 2022年4月閲覧。

外部リンク 編集