スペイン第一共和政
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スペイン第一共和政(Primera República Española)は、1873年に国王アマデオ1世が退位した後、翌1874年に王政復古するまで続いたスペイン史上初の短命な共和政体。公式国名はスペイン共和国(República Española)。
概要編集
策謀とクーデターにまみれた先代女王イサベル2世の治世の後、アマデオ1世が当時の政界実力者フアン・プリム将軍らによってサヴォイア家から迎えられ、スペイン国王として即位した。しかし、その治世もまた絶えず政治的混乱に見舞われた。1871年1月にマドリードへ入ったものの、プリム将軍は新憲法制定後に暗殺され、後ろ盾を無くしたアマデオ1世に対する風当たりは強まった。共和派からは国王の退位を求める声が噴出し、アマデオ1世は即位からわずか3年後の1873年2月11日に、自ら王位を退くこととなった。それに伴い、スペイン史上初の共和制が樹立された。
しかし、共和国となったスペインの統治はいっこうに安定せず、大統領が短期間に次々と変わる異常事態となった。1874年にはカンポス将軍主導のクーデターが発生し、共和制は2年に満たない短命に終わった。スペインは王政復古に国の安定を託すことになり、イサベル2世の息子アルフォンソ12世が国王に即位することで、スペインは再びボルボン家の王政国家となった。
第一共和政期の大統領編集
- エスタニスラオ・フィゲラス(1873年)
- フランシスコ・ピ・イ・マルガイ(1873年)
- ニコラス・サルメロン(1873年)
- エミリオ・カステラル(1873年 - 1874年)