スモール・フェイセス

イギリスのロックバンド

スモール・フェイセス (Small Faces1965年 - 1969年)は、イギリスロック・バンド。スティーヴ・マリオットロニー・レーンに率いられ、ドラムスのケニー・ジョーンズとオルガン及びキーボードのイアン・マクレガンで活動していた。結成時はジミー・ウィンストンがメンバーであったがデビュー後、直ぐにイアン・マクレガンに交代させられた。メンバーは全員イースト・エンド出身で、ウエスト・エンドのザ・フーと並ぶイギリスの代表的モッズ・バンドであった。

スモール・フェイセス
Small Faces
Small Faces 1965.JPG
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル ロックR&Bブルー・アイド・ソウル
活動期間 1965年 - 1969年
1975年 - 1979年
レーベル デッカ・レコードRCAレコードイミディエイト・レコードアトランティック・レコードアトコ・レコード
共同作業者 フェイセズ
ハンブル・パイ
アンドリュー・オールダム
P.P.アーノルド
公式サイト www.thesmallfaces.com
旧メンバー スティーヴ・マリオット
ロニー・レーン
ケニー・ジョーンズ
イアン・マクレガン
ジミー・ウィンストン
ジミー・マカロック
リック・ウィルス

2012年に、フェイセズと共にロックの殿堂入りを果たした。

来歴編集

スティーヴ・マリオットロンドンのイーストエンドで生まれ育った。彼は子役俳優としてミュージカル『オリバー!』のアートフル・ドジャー役で有名になり、10代初期に2本の映画に出演した。1本はピーター・セラーズとの共演であった。俳優業の傍ら、ソロ・シングルやスティーヴ・マリオット&ザ・モーメンツ名義でのシングルを発表するが、いずれも不発。

ロニー・レーンとマリオットは1965年に出会う。マリオットはマナー・パークのJ60 ミュージック・バーで働いており、そこにレーンが父親のスタンと共にベース・ギターを買いに訪れた。レーンとマリオットはそこで会話し、ベースを買ったレーンはマリオットが仕事を終えた後、レコードを聴きに彼の家を訪れた。バンドの核は、その夜に誕生した。バンド名は、マリオット、レーン、ジョーンズの3人が小柄(Small)だったことと、シーンの顔役という意味を込めた「Face」が由来。

デッカ時代編集

彼らのデビュー・シングルは、1965年の「ホワッチャ・ゴナ・ドゥ・アバウト・イット」であった。第二弾の「アイヴ・ゴット・マイン」はチャート入りしなかった。ウィンストンが脱退し、元ザ・ミュールスキナーズのメンバーで経験豊富なイアン・マクレガンが後任となった。続くシングル「シャ・ラ・ラ・ラ・リー」はイギリスでのメジャー・ヒットとなった。1966年発表のファースト・アルバム『スモール・フェイセス』は、全英3位というヒット作となった。1966年には「オール・オア・ナッシング」[1]が全英1位のヒットとなる。

しかし、契約上の問題などからデッカ・レコードとの関係が悪化し、バンドは移籍を考えるようになる。

イミディエイト時代編集

1967年、バンドはイミディエイト・レコードに移籍する。マリオットとレーンは、イミディエイトと契約しているシンガー、クリス・ファーロウに「マイ・ウェイ・オブ・ギヴィング」を提供していたので、スムーズに契約。デッカが報復として、シングルと未発表テイクの寄せ集め『フロム・ザ・ビギニング』を出したが、イミディエイト移籍第1弾『スモール・フェイセス』(デッカ時代のデビュー・アルバムとは全く別物)も成功し、同時期に2枚のアルバムがヒットするという、変則的な事態となった。このイミディエイト盤『スモール・フェイセス』は、全曲オリジナルで固められ、アーティストとしての進歩を見せ付けた。

その後も、「イチクー・パーク」(全英3位)、「ティン・ソルジャー」(全英9位)が立て続けにヒット。この2曲で、念願の全米チャート・インも果たす。もっとも、「イチクー・パーク」は全米16位の大ヒットだが、「ティン・ソルジャー」は全米73位止まり。

1968年には、タバコの缶をあしらった変形ジャケットも話題となった『オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク』が、見事全英1位のヒット。「アフターグロウ」や「レイジー・サンデイ」等を収録している。

フェイセズとハンブル・パイ編集

ハンブル・パイを結成するべくスティーヴ・マリオットはバンドを脱退。残ったロニー・レーン、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズの3人は、ジェフ・ベック・グループをクビになっていたロッド・スチュアート(ボーカル)、ロン・ウッド(ギター)を加え、一時はクワイエット・メロンと名乗るが、数ヶ月で「フェイセズ」と改名して再出発する。ロッドがヴォーカルとなったフェイセズは、「玉つきリチャード」「ステイ・ウィズ・ミー」などをヒットさせた。スモール・フェイセズがまったく不人気で、バンド名すら知らないロック・ファンが多かった日本でも、この2曲は小ヒットした。ハンブル・パイはブルー・アイド・ソウルゴスペル色を強めたアルバムを発表し、好評を得た。

ハンブル・パイもフェイセズも解散した後、「イチクー・パーク」のリバイバル・ヒットがきっかけで、レーン以外の3人が集まり、スモール・フェイセスが再結成される。1977年に『プレイメイツ』、1978年に『78イン・ザ・シェイド』を発表。

一方、ロニー・レーンは、スリム・チャンスを率いて活動し、再結成スモール・フェイセスへの参加は断るが、多発性硬化症という難病を患う。1981年、マリオットとレーンが再会し、互いの曲を持ち寄ってレコーディングを楽しんだ(その時の音源は、2000年に『マジック・ミジッツ』というタイトルでCD化されるまで日の目を見なかった。)。その後スティーヴ・マリオットは、火事で焼死してしまった。44歳没。

ポール・ウェラーは、熱心なスモール・フェイセス信者で、ロニー・レーンの闘病生活の支援にも携わったという。ウェラーは更に、2001年にはスティーヴ・マリオットのトリビュート・コンサートで、ノエル・ギャラガーオアシス)、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズと共演。また、意外な所では、ジョン・サイクス率いるヘヴィメタル・バンド、ブルー・マーダーが、アルバム『ナッシング・バット・トラブル』で「イチクー・パーク」をカヴァーした。

メンバー編集

タイムライン編集

ディスコグラフィ編集

アルバム編集

関連項目編集

脚注編集

外部リンク編集