スーパーリーグ (オーストラリア)

スーパーリーグ: Super League)は、1997年の1シーズンのみオーストラリアニュージーランドにおけるプロ競技会を実行したオーストラリアのラグビーリーグフットボール統括団体である。ヨーロッパのスーパーリーグと共に、スーパーリーグ戦争の間にニューズ・コーポレーションによって作られた。ニューズ・コーポレーションがオーストラリアにおけるラグビーリーグの有料テレビ放映権の購入に失敗した後にスーパーリーグ戦争が勃発した。2年間の法廷闘争の後、1997年にはスーパーリーグおよびライバルのオーストラリアンラグビーリーグ(ARL)競技会が同時に行われた。1998年に2つは合併してナショナルラグビーリーグ(NRL)が設立された。

Super League
スポーツ ラグビーリーグ
創設 1997年
初回シーズン 1997
最終シーズン 1997
後継 ナショナルラグビーリーグ
Chief Executive John Ribot
チーム数 10
国数 オーストラリアの旗 オーストラリア
ニュージーランドの旗 ニュージーランド
プレミア Brisbane colours.svg ブリスベン・ブロンコズ (1997)

歴史編集

スーパーリーグ戦争は1990年代中頃に起こったオーストララシアの最上位ラグビーリーグフットボール競技会の放映権と支配権に関する企業間紛争であり、ルパート・マードック率いるニューズ・コーポレーションが支援するスーパーリーグとケリー・パッカー英語版率いるオプタス・テレビジョン英語版が支援するオーストラリアンラグビーリーグとの間で法廷内外で争われた[1][2][3]。既に存在していたARLは新リーグの設立を阻止するため多くの訴訟を起こしたが、スーパーリーグはARLから複数のクラブを引き抜き、1997年にARLと平行して1シーズンを開催した[4]。このシーズンの終わりにあたり、和平協定に至り、両リーグは合併して今日のナショナルラグビーリーグが設立された。

チーム編集

スーパーリーグには10クラブが参加した。そのうち8クラブは以前はオーストラリアンラグビーリーグでプレーしたクラブで、2クラブは新設クラブであった。

 
 
 
 
 
 
 
 
アデレード
 
 
 
 
 
 
 
 
オークランド
 
 
 
 
 
 
 
 
ブリスベン
 
 
 
 
 
 
 
 
キャンベラ
 
 
 
 
 
 
 
 
カンタベリー
 
 
 
 
 
 
 
 
クロヌラ
 
 
 
 
 
 
 
 
ハンター
 
 
 
 
 
 
 
 
ノースクイーンズランド
 
 
 
 
 
 
 
 
ペンリス
 
 
 
 
 
 
 
 
パース

スーパーリーグ競技会編集

テルストラ杯編集

テルストラ杯は18回戦で行われた10チームによる競技会である。レギュラーシーズンはブリスベン・ブロンコズが14勝を挙げマイナープレミアシップを手にした。グランドファイナルはブリスベンの本拠地ANZスタジアム英語版において58,912人の観客の前でプレーされた。ブロンコズはシャークスを26対8で破り、3度目のプレミアシップを勝ち取った。

各階級の優勝クラブ

  • 第1階級/シニア階級: ブリスベン・ブロンコズ
  • 第2階級/リザーブ階級: カンタベリー・ブルドッグズ
  • 第3階級/U-19: ペンリス・パンサーズ
  • 第4階級/U-17: ブリスベン・ブロンコズ

トライシリーズ編集

スーパーリーグ・トライシリーズはニューサウスウェールズ州選抜、ニュージーランド選抜、クイーンズランド州選抜の間で争われた。1回戦総当たり方式で、上位2チームがファイナルをプレーした。ANZスタジアムで行われたファイナルではニューサウスウェールズがクイーンズランドを23対22で破った。

国際試合編集

1997年、スーパーリーグ・オーストラリア代表はニュージーランド代表と2試合を行った(結果は1勝1敗)。シーズン終了後、オーストラリアはイギリスと3試合のテストシリーズをプレーした(結果は2勝1敗でオーストラリアの優勝)[5]。これらの試合はニュージーランドラグビーリーグおよびイングランドのラグビーフットボールリーグによってテストマッチと見なされているものの、オーストラリアンラグビーリーグには認められていない。

ニューズ・コーポレーションがオーストラリア国外のほとんどのラグビーリーグ団体と契約したため、ARLは国際試合を行うことができなくなった。ARLは、ARLのクラブと契約しているニュージーランド人選手からなるチームとの試合を行おうとしたが、ニュージーランドラグビーリーグはARLによる「テスト」、「代表チーム(Representative Team)」、「ニュージーランド」、「オールゴールズ(All Golds)」という用語の使用を差し止める命令を連邦裁判所から引き出した。ARLは代わりに1997年7月にパプアニューギニア代表およびフィジー代表とのテストマッチと、さらに世界のその他の地域(Rest of the World)チームとのテストマッチを行った。

1997年は、パシフィック・カップ英語版の代わりにオセアニア・カップがスーパーリーグによって運営された。この競技会はクック諸島フィジートンガニュージーランドマオリニュージーランドXIIIパプアニューギニアによって競われた。決勝ではニュージーランドXIIIがニュージーランドマオリを20対15で破った。

ワールドクラブチャレンジ編集

1975年から断続的に開催されてきたワールドクラブチャレンジは1997年に拡大され、オーストラリアのスーパーリーグの全10クラブとヨーロッパのスーパーリーグの全12クラブが対戦した。ヨーロッパのチームは83試合中わずか8勝しか挙げることができなかった。この大会はオーストラリアでは不人気で、観客の少なさと高い渡航費用のため6百万ドルの赤字となった。エリクソン・スタジアムオークランド)で行われた決勝ではブリスベン・ブロンコズハンター・マリナーズを36対12で破って優勝した。

スーパーリーグ・チャレンジカップ編集

スーパーリーグ・チャレンジカップ競技会はオーストラリア首都特別地域ノーザンテリトリー州南オーストラリア州西オーストラリア州の間でプレーされた。1997年5月19日(ANZスタジアム、ブリスベン)に首都特別地域チームがノーザンテリトリーチームを40対14で破り優勝した。

ワールドナインズ編集

1996年と1997年、9人制ラグビーリーグの大会であるスーパーリーグ・ワールドナインズが開催された。1997年大会はスポンサー名を冠して「ゲータレード・スーパーリーグ・ワールドナインズ」と呼ばれた。この大会はARLのワールドセブンズの代替として開催された。

1996年大会は2月22日から24日にかけてフィジー、スバで開催された。ニュージーランドが優勝した。1996年大会ではラグビーリーグの試合のためにビデオレフリーが初めて使われた。1997年大会は1月31日から2月2日にかけてクイーンズランド州タウンズビルで開催され、ニュージーランドが2連覇を果たした。

スーパーリーグ(ヨーロッパ)編集

ラグビー・フットボール・リーグがニューズ・コーポレーションと契約したため、ヨーロッパの12クラブ(イングランドの11クラブとフランスの1クラブ)によって1996年にスーパーリーグが始まった。

遺産編集

スーパーリーグはオーストラリアにおけるラグビーリーグに対する一般大衆の認識とその財政状態に損害を与えたものの[6]、スーパーリーグが導入した数多くの概念が21世紀に入っても残っている。

ANZACテスト編集

オーストラリアとニュージーランドとの定期開催のテストマッチに加えて、ANZACテストがスーパーリーグによって導入された(ANZACは第一次世界大戦時に作られたオーストラリア・ニュージーランド軍団 Australian and New Zealand Army Corpsの略称)。多くの人々がスポーツ選手と兵士を比較するのは不適切であると考えたため、当時ANZACという単語の使用に対していくつかの論争があった。21世紀の始めには毎年のスケジュールから落とされたものの、2004年に復活して2017年まで毎年開催された。

ナイト・グランドファイナル編集

NSWRLおよびARLのグランドファイナルは伝統的に土曜日の午後(1980年まで)あるいは日曜日の午後(1981年から)にプレーされていたが、スーパーリーグ・テルストラ杯グランドファイナルはブリスベンにおいて土曜日の夜にプレーされた。ニューサウスウェールズ州における翌日の祝日に合わせて、2001年からNRLは土曜日の日曜日の夜にグランドファイナルを開催している。

ナイン・ネットワークにおける視聴率の成功にかかわらず、このスケジュールは、ファンが(特にグランドファイナルバーベキューと共に)より楽しむためにグランドファイナルの日曜日午後開催が重要であると考える伝統主義者を苦しめ続けている。

ビデオレフリー編集

1996年のスーパーリーグ・ワールドナインズにおいて、ビデオレフリーが初めて使われた[7]。NRLは1998シーズンにビデオレフリーを導入した。

ルール変更編集

スーパーリーグ戦争の間、スーパーリーグとARLの両方で数多くのルール変更が行われ、それらはNRLによって採用されてきた。スーパーリーグが行なった革新としては、

人気のある40/20ルールはARLが1997シーズンに導入しNRLによって採用され、現在も有効である。このルールの下では、自陣40メートル以内から攻撃チームが蹴ったボールがグラウンドに触れた後に相手陣20メートル以内のサイドラインを横切ってタッチに出た場合、攻撃チームがスクラムにボールをフィードする権利を得るというものである。以前は守備側がスクラムの権利を得ていた。

出典編集

  1. ^ Maquire, Joseph and Possami, Catherine (2005). Power and global sport: zones of prestige, emulation and resistance. Routledge. p. 87. ISBN 9780415252799. https://books.google.com/books?id=RmYP0_YE3DIC&printsec=frontcover 
  2. ^ Headon, David (1999年10月). “Up From the Ashes: The Phoenix of a Rugby League Literature (PDF)”. Football Studies Volume 2, Issue 2. Football Studies Group. 2009年7月7日閲覧。
  3. ^ P. Dorian Owen (2002年12月). “Professionalization of New Zealand Rugby Union: Historical Background, Structural Changes and Competitive Balance”. Economics Discussion Papers No. 0214. University of Otago. p. 6. 2009年12月13日閲覧。
  4. ^ Cockerill, Ian (1999年10月3日). “Eye of the Storm”. The Sunday Age: p. 4. http://newsstore.fairfax.com.au/apps/viewDocument.ac?page=1&sy=smh&docID=news991004_0014_7918 2009年10月6日閲覧。 
  5. ^ Hadfield, Dave (1997年11月2日). “Rugby League: Daley in a different league”. The Independent. 2009年10月6日閲覧。
  6. ^ Cockerill, Ian (1999年10月3日). “Eye of the Storm”. The Sunday Age: pp. 4. http://newsstore.fairfax.com.au/apps/viewDocument.ac?page=1&sy=smh&docID=news991004_0014_7918 2009年10月6日閲覧。 
  7. ^ Sutton, Christopher (2009年3月13日). “Going to the tape”. Fox Sports. 2010年1月7日閲覧。

推薦文献編集

関連項目編集

外部リンク編集