スーラト条約
スーラト条約(スーラトじょうやく、英語:Treaty of Surat)は、1775年3月6日にインドのスーラトにおいて、イギリス東インド会社とマラーター王国の前宰相ラグナート・ラーオとの間に結ばれた条約。
スーラト条約 | |
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署名 | 1775年3月6日 |
署名場所 | スーラト |
締約国 | イギリス東インド会社とマラーター王国の前宰相ラグナート・ラーオ |
主な内容 | ラグナート・ラーオは、イギリスから兵員の援助を受ける代償としてサルセットとバセインの周辺領土の割譲を約束した。 |
概要
編集1773年8月、マラーター王国の宰相ナーラーヤン・ラーオが暗殺され、叔父のラグナート・ラーオが宰相となった[1]。だが、ラグナート・ラーオにはその暗殺の嫌疑がかかっていた[1]。
1774年4月、ナーラーヤン・ラーオの未亡人が息子マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンを生んだ[1]。そして、マーダヴ・ラーオの代からの幕僚ナーナー・ファドナヴィースがその後見人になり、ラグナート・ラーオは廃位された[1]。
廃位されたラグナート・ラーオはプネーから離れ、宰相マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンを擁するナーナー・ファドナヴィースを打倒するため、イギリス東インド会社(ボンベイ管区政府)の援助で対抗しようと考えた[2]。
こうして、1775年3月6日にラグナート・ラーオはイギリスとスーラト条約を結び、イギリスから兵員の援助を受けることとなった[2]。その代償として、彼はサルセットとバセインの周辺領土の割譲を約した。
その後、イギリスに援助を受けたラグナート・ラーオは宰相府との戦争に突入し、ここに第一次マラーター戦争が始まった。
脚注
編集参考文献
編集- 小谷汪之『世界歴史大系 南アジア史2 ―中世・近世―』山川出版社、2007年。