セバスチャン・ボーデ

セバスチャン・オリビエ・ボーデ(Sébastien Olivier Bourdais、1979年2月28日 - )は、フランスル・マン出身のレーシングドライバーである。

セバスチャン・ボーデ
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基本情報
フルネーム セバスチャン・オリビエ・ボーデ
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 サルト県ル・マン
生年月日 (1979-02-28) 1979年2月28日(43歳)
F1での経歴
活動時期 2008 - 2009
所属チーム '08-'09 トロ・ロッソ
出走回数 27
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 6
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
最終戦 2009年ドイツGP
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チャンプカー2004年から4年連続してシリーズタイトルを獲得。2008年から2009年途中までF1スクーデリア・トロ・ロッソのレギュラードライバーを務めていた。

現在では珍しい、ドライブ中も眼鏡を着用して運転するレーシングドライバーの1人である。

名字のBourdaisは、彼の母国語であるフランス語ではブルデブールデと読まれる。日本ではボーデのほかにブーデブルデーとするメディアもある(日本のテレビ中継の実況ではブルデーと読まれている)。アメリカではボーダイスとの読み方が一般的であった。

2017年2月24日にGAORAで放送された「インディカー・シリーズ2017 開幕直前SP」においてのインタビューで自らセバスチャン・ブルデイであると答えた。

初期のキャリア編集

カート編集

ボーデはレースドライバーの家系に生まれた。父親のパトリスはヒルクライムツーリングカーレーススポーツカーレースに出走した経験があった。ボーデも10歳からカートを始め、レースキャリアをスタートさせた。ボーデはカートでレーサーとしての才覚を表し、1993年にはフランス選手権でチャンピオンになった。

ジュニア・フォーミュラ編集

1995年にはシングルシーターのレースにクラスアップした。フォーミュラ・ルノーでは2年間を過ごし、1997年には選手権2位になった。1998年にはフランスF3にステップアップし、その年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。翌年にはフランスF3でチャンピオンとなった。

F3000編集

2000年からプロストのジュニアチームに加わり、国際F3000に参戦した。F3000でのドライブは2002年まで続けられた。F3000では4勝を挙げ、最後の年の2002年にはチャンピオンを獲得。

チャンプカー編集

 
チャンプカー(2007年)

2002年にF3000チャンピオンになったボーデであったが、アロウズルノーなどでテスト走行は経験するものの、フランス国内からの強力なサポートが得られず、F1のレギュラーシートを得ることはできなかった。よって、新しい活躍の場をアメリカに求めることになり、2003年からチャンプカー・ワールドシリーズへの挑戦を始めた。4戦目のブランズハッチでのレースで優勝するなど、幸先の良い滑り出しを見せたボーデは、年間ポール5回、3勝で、2003年シーズンポイント4位に付けルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。

翌2004年にはシーズン6勝を挙げてチャンピオンに輝き、2003年から2007年までに31勝を挙げ2004年から2007年まで4年連続でチャンピオンを獲得する金字塔を樹立した。ヨーロッパのレースシーンでは未来を見出せなかったボーデであるが、チャンプカーでは最も成功したドライバーとして君臨した。

また、2005年にはインディ500に参戦した。

スポーツカーレース編集

ジュニア・フォーミュラー、チャンプカーでドライブを続けながらボーデはスポーツカーレースにも参戦している。これは同じスポーツカーレースであるル・マンで活躍するためにも必要なレース活動である。2002年にはスパ・フランコルシャンでのFIA GT選手権レースで優勝している。またアメリカン・ル・マン・シリーズにも参戦している。

ル・マン24時間レース編集

ル・マン出身のボーデにとって地元で開催される24時間耐久レースは特別なものである。彼が初めてル・マンにエントリーしたのは1999年で、ポルシェ・911でGT2クラスにエントリーした。このレースは134周目でエンジントラブルが発生しレースのリタイアを強いられた。2000年にはプジョーA32でLMP900クラスにエントリーして総合4位完走を成し遂げた。長い間この記録がボーデにとってル・マンでのベストリザルトであった。

 
2016年のル・マン24時間レースでクラス優勝を果たしたフォード・GT68号車

以降もル・マンへの参戦は続けられ、2003年にアメリカに渡ってからも彼は地元での一大祭典のために里帰りを繰り返していたが、パッとした成績を残せないでいた。2006年にワークスとしてのプジョーがル・マンに復活することを宣言すると、そのドライバーの1人としてボーデの名前が挙げられ、元F1チャンピオンのジャック・ヴィルヌーヴと共にプジョーワークスの目玉ドライバーになった。

2007年のレースは時折激しい雨が降り、ペースカーでの先導が繰り返される荒れたレースになった。優勝争いは3台のワークスアウディ・R10 TDIプジョー・908 HDi FAPの2台になると目されていたがアウディ、プジョーが1台ずつを残してリタイアし、残された1台ずつの争いになった。ボーデは残ったプジョーの1台をドライブしていたがアウディに一日の長があり2位でのフィニッシュとなった。

2009年もプジョーワークスの908 HDi FAPで参戦、3台体制の2台目としてフランク・モンタニーステファン・サラザンとのフランス人トリオで挑んで2位に入り、908のワン・ツー・フィニッシュに貢献した。

2010年もプジョーワークスの908 HDi FAPで参戦し、予選ではボーデ自身の走りによってポールポジションを獲得したものの、決勝ではボーデが走る前にチームはリタイアしてしまった。

2011年には改良型のプジョー・908サイモン・パジェノペドロ・ラミーとのトリオで参戦したが、同じ355周を走りながらアウディ・R18 TDIに優勝をさらわれ2位に終わり、念願の地元での24時間レース制覇を果たすことは出来なかった。

2016年はLMGTE Proクラスからジョーイ・ハンドディルク・ミューラーとのトリオでフォード・チップ・ガナッシ・チームUSA68号車を走らせた。リシ・コンペティツィオーネ82号車フェラーリ・488 GTEとの争いを制しクラス優勝。LMGTE Proクラスではあるものの、念願だった地元ル・マンで表彰台の頂点に登壇を果たした。その後、フォードのワークス活動が終了する2019年まで68号車のドライバーとして参戦を続けた。(2017年はインディ500でのクラッシュの後遺症のため欠場。トニー・カナーンが代役を務めた。)

ウェザーテック・スポーツカー選手権編集

2020年はジョアン・バルボーザと共にJDC・ミラー・モータースポーツからDPiクラスに参戦[1]。2021年は再びインディカーに全戦参戦することとなったため、ロイック・デュバルと交代して長距離戦のみに参戦した。セブリング12時間レースでは最終スティントを担当し、リアウイングのエレメントが脱落するトラブルを抱えながらも後続を抑えきって優勝。自身2度目のセブリング総合優勝を果たした[2]

2021年10月、DPiクラスに参戦するチップ・ガナッシ・レーシングは、22年シーズンより2台体制に拡大することに伴って新たにボーデを起用することを発表した。ボーデはレンガー・ヴァン・デル・ザンデと共に01号車に乗り込むこととなる[3]

F1編集

チャンプカー参戦以前編集

F3000チャンピオンのボーデはトロ・ロッソでのドライブが決まる前から、将来のF1ドライバー候補としてしばしば名前が挙げられていた。ボーデがはじめてF1をドライブしたのは2002年のアロウズが最初であったが、アロウズが破産してしまったのでこの話は自然消滅した。

また、この年の12月にはルノーでテストドライブを行ったが、翌年のルノーのテストドライバーのラインナップはフランク・モンタニーでこのテストもドライバーシートの獲得には繋がらなかった。

トロ・ロッソ加入編集

 
モナコGP(2008年)

2006年の12月にボーテはトロ・ロッソのテストドライブを行った。ボーデはチャンプカーで実績を示したドライバーに成長していたが、一方で年齢の高さが不安材料になっていた。ボーデのテストはこの後2007年に入ってからも断続的に継続された。

翌年8月にトロ・ロッソは来季からのドライバーラインナップを一新することを決定。すでにハンガリーGPから新しいドライバーとして加わっているセバスチャン・ベッテルのチームメイトとして、ボーデを迎えることを正式に発表した。

2008年(デビュー)

F1初戦となったオーストラリアGPでは非力なマシンながら終盤まで4位を力走、チャンプカー4年連続チャンピオンとしての格の違いを見せた。結局は終了間際にメカニカルトラブルでストップしたものの、7位完走扱いとなり見事デビュー戦での入賞を記録した。その後は長く入賞が無く、新車STR3にも順応できずに苦しんだものの、ベルギーGPでは予選で9位を獲得。決勝でも再び力走を見せ終盤まで3位を走行し、雨に翻弄され順位を下げた結果ではあるが、2度目の7位入賞を果たした。

続くイタリアGPでは、予選で4位を獲得し好結果が期待されたものの、スタートでエンジンが始動せず、遅れてレースに復帰し、終盤ファステストラップ2位を記録しながらも無念の18位に終わり、日本GPでは6位でチェッカーを受けたが、レース中のフェリペ・マッサとの接触を巡って25秒加算ペナルティを受けるなど運にも恵まれなかった。

2008年は何度かの不運もあり2度の7位入賞、4ポイントに終わり、1勝・35ポイントをあげたセバスチャン・ベッテルとの成績差が大きく、契約は保留状態となり、佐藤琢磨とのシート争いとなったが、最終的に残留を勝ち取り、2年目のシーズンに臨むこととなった。

2009年

開幕戦のオーストラリアGPでは荒れたレース展開の中でポジションを上げ、チームメイトのルーキーセバスチャン・ブエミに次いで9位でフィニッシュし、その後ルイス・ハミルトンに失格処分が下されたため、繰り上がりで8位に入賞しポイントを獲得した。第6戦モナコGPでも8位入賞したが、成績はパッとせず予選では最下位になることもしばしばあった。追い打ちをかけるように第9戦ドイツGPの週末にパドックでは彼の解雇の噂が広まった。このレースでは油圧系のトラブルでリタイアに終わり、マシンを降りた後チーム関係者と抱き合うシーンを「お別れの挨拶」とも解釈した者もいたとされる[4]。本人はドイツGP以降も参戦すると発言していたが[4]、7月16日にトロ・ロッソからドイツGPを最後に離脱の発表がなされ[5]レースシートを失った。この解雇に対しボーデはトロ・ロッソに対して契約覆行義務に違反しているとして、法的措置を検討していると報じられていたが[6]、後にチーム側と和解したことが発表された。

その他

その後、F1に関して触れることはなかったが、2021年にレッドブル・ホンダが最終戦でワールドチャンピオンを獲得した翌週、ソーシャルメディアにこのレースに関する自身のコメントを投稿。レッドブルの戦略を「でたらめだ。(セルジオ・ペレスによるハミルトンに対してのディフェンスを)なぜ皆が称賛し拍手するのか全く理解できない」と疑問を呈し、「あのチーム(レッドブル)にスポーツマンシップはゼロだ。あのチーム全体がいつもそうだ」と付け加えた。これについてはトロロッソを放出されたことも関係しているのではと聞かれた際、「過去のトロ・ロッソでのいざこざは全く関係がない」とした上で、「僕はレッドブルの人間だったことは過去に一度も無いよ」「彼ら(レッドブル)はペレスのレースを完全に犠牲にして、彼をあのポジションに置いたんだ。 (ハミルトンを)妨害するために、意図的に1周あたり数秒を失っていたよ」とペレスのレースが犠牲になってしまった事実を考慮しない状況に苦言を呈した[7]。ただし、ペレスの行為については同一周回での順位争いという扱いになるため、規定上は問題ないものの、争う過程でコースの低速区間で意図的にペースを変えてブロックしたことの是非やこれによってペレスのレース戦略に影響が起きたことも事実である。ペレス自身も最終戦に関して、他人のチャンピオン争いに関わりたくないものの、チームを優先するのは当然と納得はしつつも複雑な心境を示唆するコメントをしている[8]

スーパーリーグ・フォーミュラ編集

2009年のシーズン途中でF1のシートを失ったボーデであったが、その後、スーパーリーグ・フォーミュラにスペインのセビージャFCからアルゼンチン人ドライバーのエステバン・グエリエリに代わり参戦することが発表された。

デビュー戦となった第4戦のポルトガル、エストリルのレースでは、第1レースは11位であったが、第2レースでは2位でフィニッシュした。さらに、第1、第2両レースでの獲得ポイントの上位者によって争われるスーパー・ファイナルでは、4位グリッドから追い上げ優勝し、デビュー戦で表彰台の中央に立った。

続く第5戦のイタリア、モンツァのレースでは予選で2位につけると、第1レースでは前のドライバーをかわし優勝した。更に、リバースグリッドで最後尾スタートとなった第2レースでも3位でフィニッシュした。

最終戦の第6戦のスペイン、ハラマでは初のポールポジションを獲得。第1レース2位、第2レース6位、スーパー・ファイナル2位の成績を残した。

ボーデはシーズン途中からの参戦であったが、セビージャFCのランキングを最下位(19位)から9位まで押し上げた。

2010年はフランスのオリンピック・リヨンから参戦。開幕戦のイギリス、シルバーストーンの第2レースで優勝し、スーパー・ファイナルでも4位に入ったものの、その後のレースではリタイアも多く苦戦が続いていた。ボーデは第5戦のドイツ、ニュルブルクリンクまで参戦していたが、第6戦のベルギー、ゾルダーにはチーム自体が出場せず、第7戦のイギリス、ブランズハッチからはボーデに代わり同じフランス人のフランク・ペレラがオリンピック・リヨンから参戦している。

インディカー・シリーズ編集

2011年、ボーデは引き続きル・マン24時間レースを中心に耐久レースに参戦するが、そのスケジュールの合間を縫ってインディカー・シリーズに参戦、アメリカのレースシリーズに復帰することになった。デイル・コイン・レーシングから年間スケジュールのうちロードコース・市街地コースの全9戦に参戦した。

2012年シーズンはドラゴン・レーシングからインディカーシリーズにフル参戦を予定していた。しかしシーズン途中にエンジンをロータスからシボレーに変更、これによりチームは1台体制を取らざるを得ず、インディ500以降は以前と同様にロードコース・市街地コースのレースのみ出場した(オーバルはチームメイトのキャサリン・レッグが担当)が、2013年はエンジン体制が整い、セバスチャン・サーベドラとの2台体制でドラゴン・レーシングからフル参戦した。

KVレーシング・テクノロジー (2014-16)編集

デイル・コイン・レーシング (2017-19)編集

2016年10月、ブルデーは担当エンジニアのオリヴィエ・ポワソンと共にデイル・コイン・レーシングに復帰することを発表した[9]。開幕戦セントピーターズバーグでは予選中のクラッシュで最後尾からスタートしたものの、戦略を活かして首位に浮上。そのまま移籍初戦を優勝で飾った[10]。翌戦ロングビーチでも2位を獲得し、一時ランキング首位となっていた。インディ500のプラクティスでもトップタイムを記録するなど好調を維持していたが、好タイムを刻んでいた予選3周目のターン2付近で挙動を乱してクラッシュ。骨盤など数か所を骨折する重傷を負い、以後のレースを欠場した[11]。長期間の療養を余儀なくされたブルデーだったが、医師も驚く速度で回復を見せ、8月にはレース活動を再開する許可が出された。同月末のゲートウェイ戦でインディカーに復帰し、終盤3戦を走った[12]

2018年の開幕戦では予選14番手から着実に順位を上げ、レース終盤には3位を走行していたが、残り3周のリスタート時にトップを争うロバート・ウィケンスアレクサンダー・ロッシが接触。ブルデーが漁夫の利を得る形で2年連続で開幕戦を制した。2017年5月の負傷以来初めての勝利でもあった[13]。続くISMレースウェイのレースでは2006年以来、インディカー・シリーズでは初となるオーバルでのポールポジションを獲得した[14]

2019年にはプラクティス時の走行をめぐり、佐藤琢磨と乱闘騒ぎを起こしていた[15]

A.J.フォイト・エンタープライズ (2020-)編集

レース戦績編集

フォーミュラ編集

国際F3000選手権編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2000年 ゴロワーズ・フォーミュラ ローラ・B99/50 ザイテック IMO
Ret
SIL
10
CAT
8
NÜR
4
MON
Ret
MAG
2
A1R
9
HOC
DNS
HUN
14
SPA
Ret
9位 9
2001年 DAMS INT
3
IMO
Ret
CAT
11
A1R
Ret
MON
4
NÜR
8
MAG
6
SIL
1
HOC
4
HUN
3
SPA
6
MNZ
9
4位 26
2002年 スーパーノヴァ・レーシング ローラ・B02/50 INT
14
IMO
1
CAT
3
A1R
Ret
MON
1
NÜR
1
SIL
2
MAG
2
HOC
Ret
HUN
3
SPA
2
MNZ
Ret
1位 56

F1世界選手権編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 WDC ポイント
2008年 トロ・ロッソ STR2B フェラーリ 056 2.4L V8 AUS
7
MAL
Ret
BHR
15
ESP
Ret
TUR
Ret
17位 4
STR3 MON
Ret
CAN
13
FRA
17
GBR
11
GER
12
HUN
18
EUR
10
BEL
7
ITA
18
SIN
12
JPN
10
CHN
13
BRA
14
2009年 STR4 AUS
8
MAL
10
CHN
11
BHR
13
ESP
Ret
MON
8
TUR
18
GBR
Ret
GER
Ret
HUN EUR BEL ITA SIN JPN BRA ABU 19位 2

(key)

アメリカン・オープンホイール編集

CART/チャンプカー・ワールド・シリーズ編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2003年 ニューマン・ハース・レーシング ローラ B02/00 コスワース STP
11
MTY
17
LBH
16
BRH
1
LAU
1
MIL
9
LAG
17
POR
14
CLE
1
TOR
4
VAN
3
ROA
2
MDO
5
MTL
19
DEN
2
MIA
17
MXC
2
SRF
17
4位 159
2004年 LBH
3
MTY
1
MIL
18
POR
1
CLE
1
TOR
1
VAN
5
ROA
3
DEN
1
MTL
15
LAG
8
LVS
1
SRF
2
MXC
1
1位 369
2005年 LBH
1
MTY
5
MIL
6
POR
2
CLE
5
TOR
5
EDM
1
SJO
1
DEN
1
MTL
4
LVS
1
SRF
1
MXC
17
1位 348
2006年 LBH
1
HOU
1
MTY
1
MIL
1
POR
3
CLE
18
TOR
3
EDM
2
SJO
1
DEN
7
MTL
1
ROA
3
SRF
8
MXC
1
1位 387
2007年 ニューマン・ハース・ラニガン・レーシング パノス・DP01 LVS
13
LBH
1
HOU
1
POR
1
CLE
12
MTT
2
TOR
9
EDM
1
SJO
5
ROA
1
ZOL
1
ASN
7
SRF
1
MXC
1
1位 364

インディカー・シリーズ編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2005年 ニューマン・ハース・レーシング パノス ホンダ HMS PHX STP MOT INDY
12
TXS RIR KAN NSH MIL MCH KTY PPIR SNM CHI WGL FON 28位 18
2011年 デイル・コイン・レーシング ダラーラ STP
DNS
ALA
11
LBH
27
SAO
26
INDY TXS TXS MIL IOW TOR
6
EDM
6
MDO
9
NHM SNM
6
BAL
28
MOT
6
KTY LVS 23位 188
2012年 ロータスドラゴン・レーシング ダラーラ・DW12 ロータス STP
21
ALA
9
LBH
17
SAO
18
25位 173
ドラゴン・レーシング シボレー INDY
20
DET
24
TXS MIL IOW TOR
14
EDM
15
MDO
4
SNM
22
BAL
23
FON
2013年 STP
11
ALA
16
LBH
15
SAO
14
INDY
29
DET1
24
DET2
11
TXS
20
MIL
22
IOW
14
POC
16
TOR1
2
TOR2
3
MDO
12
SNM
10
BAL
3
HOU1
8
HOU2
5
FON
12
12位 370
2014年 KVレーシング・テクノロジー STP
13
LBH
14
ALA
15
IMS
4
INDY
7
DET1
13
DET2
20
TXS
20
HOU1
4
HOU2
5
POC
16
IOW
19
TOR1
1
TOR2
9
MDO
2
MIL
12
SNM
11
FON
18
10位 461
2015年 STP
6
NLA
21
LBH
6
ALA
8
IMS
4
INDY
11
DET1
14
DET2
1
TXS
14
TOR
5
FON
14
MIL
1
IOW
9
MDO
17
POC
23
SNM
20
10位 406
2016年 STP
21
PHX
8
LBH
9
ALA
16
IMS
24
INDY
9
DET1
1
DET2
8
RDA
18
IOW
8
TOR
7
MDO
20
POC
5
TXS
10
WGL
5
SNM
10
14位 404
2017年 デイル・コイン・レーシング ホンダ STP
1
LBH
2
ALA
8
PHX
19
IMS
22
INDY
Wth
DET1 DET2 TXS ROA IOW TOR MDO POC GMP
10
WGL
17
SNM
9
21位 214
2018年 デイル・コイン・レーシング
with バッサー・サリバン
STP
1
PHX
13
LBH
13
ALA
5
IMS
4
INDY
28
DET1
13
DET2
21
TXS
8
ROA
13
IOW
11
TOR
19
MDO
6
POC
4
GTW
21
POR
3
SNM
6
7位 425
2019年 STP
24
COA
5
ALA
3
LBH
11
IMS
11
INDY
30
DET
11
DET
9
TXS
8
ELK
12
TOR
8
IOW
9
MDO
11
POC
7
GTW
19
POR
9
LAG
7
11位 387
2020年 A.J.フォイト・エンタープライズ シボレー TXS IMS ROA1 ROA2 IOW1 IOW2 INDY GTW1 GTW2 MDO1 MDO2 IMS1
21
IMS2
18
STP
4
28位 53

インディ500編集

シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
2005年 パノス ホンダ 15 12 ニューマン・ハース・レーシング
2012年 ダラーラ シボレー 25 20 ドラゴン・レーシング
2013年 15 29
2014年 17 7 KVレーシング・テクノロジー
2015年 7 11
2016年 19 9
2017年 ホンダ Wth デイル・コイン・レーシング
2018年 5 28 デイル・コイン・レーシング
with バッサーサリバン
2019年 5 28

スポーツカー編集

ル・マン・シリーズ編集

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 順位 ポイント
2010年 プジョー・スポール トタル プジョー・908 HDi FAP LMP1 CAS SPA
1
ALG HUN SIL 21位 18
2011年 プジョー・908 LMP1 CAS SPA
8
IMO
1
SIL
1
EST NC 0

インターコンチネンタル・ル・マン・カップ編集

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7
2010年 プジョー・スポール トタル プジョー・908 HDi FAP LMP1 SIL PET ZHU
4
2011年 プジョー・908 LMP1 SEB SPA
8
LMN
2
IMO
1
SIL
1
PET
Ret
ZHU
1

FIA 世界耐久選手権編集

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2012年 ペスカロロ・チーム 童夢 S102.5 LMP1 SEB SPA
15
LMN
NC
SIL SAO BHR FUJ SHA 86位 0.5

(key)

ユナイテッド・スポーツカー選手権編集

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
2014年 アクション・エクスプレス・レーシング コヨーテ・コルベットDP P DAY
1
SEB
3
LBH LGA DET WGL MOS IMS ELK CTA PET
2
24位 100
2015年 P DAY
2
SEB
1
LBH LGA DET WGL MOS ELK CTA PET
1
11位 105
2016年 フォード・チップ・ガナッシ・レーシング フォード・GT GTLM DAY
7
SEB
8
LBH LGA WGL MOS LIM ELK VIR CTA PET
2
15位 82
2017年 GTLM DAY
1
SEB
2
LBH CTA WGL MOS LIM ELK VIR LGA PET
7
12位 91
2018年 GTLM DAY
2
SEB
9
LBH MDO WGL MOS LIM ELK VIR LGA PET
7
13位 78
2019年 GTLM DAY
7
SEB
2
LBH
4
MDO
7
WGL MOS LIM ELK VIR LGA PET
8
12位 131
2020年 JDC・マスタング・サンプリング・レーシング キャデラック・DPi-V.R DPi DAY
3
DAY
3
SEB
3
ELK
4
PET
4
MDO
6
PET
4
LGA
7
SEB
5
5位 249
2021年 DPi DAY
7
SEB
1
MDO DET WGL
7
MOS ELK LGA LBH PET
7
13位 1180
2022年 キャデラック・レーシング DPi DAY
7
SEB
7
LBH
LGA
MDO
DET
WGL
MOS
ELK
PET
7位* 541*

ル・マン24時間レース編集

ル・マン24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
1999年   ラルブル・コンペティション   ジャン=ピエール・ジャリエ
  ピエール・ド・トワジー
ポルシェ・911 GT2 GTS 134 DNF DNF
2000年   ペスカロロ・スポール   オリビエ・グルイヤール
  エマニュエル・クレリコ
クラージュ・C52-プジョー LMP900 344 4位 4位
2001年   ジャン=クリストフ・ブイヨン
  ローレン・レドン
クラージュ・C60-プジョー LMP900 271 13位 4位
2002年   ジャン=クリストフ・ブイヨン
  フランク・ラゴルス
LMP900 343 10位 9位
2004年   エマニュエル・コラール
  ニコラ・ミナシアン
クラージュ・C60-ジャッド LMP1 282 DNF DNF
2007年   プジョー・スポール トタル   ステファン・サラザン
  ペドロ・ラミー
プジョー・908 HDi FAP LMP1 359 2位 2位
2009年   ステファン・サラザン
  フランク・モンタニー
LMP1 381 2位 2位
2010年   サイモン・パジェノ
  ペドロ・ラミー
LMP1 38 DNF DNF
2011年   サイモン・パジェノ
  ペドロ・ラミー
プジョー・908 LMP1 355 2位 2位
2012年   ペスカロロ・チーム   ニコラ・ミナシアン
  荒聖治
童夢・S102.5-ジャッド LMP1 203 NC NC
2016年   フォード・チップ・ガナッシ・チームUSA   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
フォード・GT GTE
Pro
340 18位 1位
2018年   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
GTE
Pro
343 17位 3位
2019年   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
GTE
Pro
342 DSQ DSQ
2020年   リシ・コンペティツィオーネ   オリヴィエ・プラ
  ジュール・グーノン
フェラーリ・488 GTE Evo GTE
Pro
339 23位 4位

デイトナ24時間レース編集

デイトナ24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2005年   ニューマン・レーシング
  シルバーストーン・レーシング
  ポール・ニューマン
  マイケル・ブロックマン
  クリスチアーノ・ダ・マッタ
クロウフォード・DP03-フォード DP 290 DNF DNF
2006年   ドラン・レーシング   B. J. ザカリアス
  ラウル・ボーセル
ドラン・JE4-フォード DP 156 DNF DNF
2010年   クラウンロイヤル・NPNレーシング   クリストフ・ブシュー
  エマニュエル・コラール
  サッシャ・マーセン
  スコット・タッカー
ライリー・Mk. XI-BMW DP 619 DNF DNF
2013年   スターワークス・モータースポーツ   ライアン・ダルジール
  アラン・マクニッシュ
  アレックス・ポポフ
ライリー・Mk. XXVI-フォード DP 696 6位 6位
2014年   アクション・エクスプレス・レーシング   クリスチャン・フィッティパルディ
  ジョアン・バルボーザ
コヨーテ・コルベットDP P 695 1位 1位
2015年   クリスチャン・フィッティパルディ
  ジョアン・バルボーザ
P 740 2位 2位
2016年   フォード・チップ・ガナッシ・レーシング   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
フォード・GT GTLM 690 31位 7位
2017年   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
GTLM 652 6位 1位
2018年   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
GTLM 783 12位 2位
2019年   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
GTLM 559 28位 7位
2020年   JDC・マスタング・サンプリング・レーシング   ジョアン・バルボーザ
  ロイック・デュバル
キャデラック・DPi-V.R DPi 833 3位 3位
2021年   ロイック・デュバル
  トリスタン・ヴォーティエ
DPi 723 DNF DNF
2022年   キャデラック・レーシング   レンガー・ヴァン・デル・ザンデ
  スコット・ディクソン
  アレックス・パロウ
DPi 722 14位 7位

セブリング12時間レース編集

セブリング12時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2001年   ペスカロロ・スポール   ジャン=クリストフ・ブイヨン
  ローレン・レドン
クラージュ・C60-プジョー LMP900 167 DNF DNF
2005年   ラルブル・コンペティション   クリストフ・ブシュー
  ファブリツィオ・ゴリン
フェラーリ・550-GTSマラネロ GT1 155 DNF DNF
2006年   マルチマティック・モータースポーツ   デビッド・ブラバム
  スコット・マクスウェル
パノス・エスペランテ GT-LM GT2 320 9位 1位
2009年   プジョー・スポール トタル   ステファン・サラザン
  フランク・モンタニー
プジョー・908 HDi FAP LMP1 383 2位 2位
2010年   ニコラ・ミナシアン
  ペドロ・ラミー
LMP1 367 2位 2位
2014年   アクション・エクスプレス・レーシング   クリスチャン・フィッティパルディ
  ジョアン・バルボーザ
コヨーテ・コルベットDP P 291 3位 3位
2015年   クリスチャン・フィッティパルディ
  ジョアン・バルボーザ
P 346 1位 1位
2016年   フォード・チップ・ガナッシ・レーシング   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
フォード・GT GTLM 229 26位 8位
2017年   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
GTLM 334 8位 2位
2018年   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
GTLM 277 DNF DNF
2019年   ジョーイ・ハンド
  ディルク・ミューラー
GTLM 330 11位 2位
2020年   JDC・マスタング・サンプリング・レーシング   ジョアン・バルボーザ
  ロイック・デュバル
キャデラック・DPi-V.R DPi 346 5位 5位
2021年   ロイック・デュバル
  トリスタン・ヴォーティエ
DPi 349 1位 1位
2022年   キャデラック・レーシング   レンガー・ヴァン・デル・ザンデ
  ライアン・ハンター=レイ
DPi 307 35位 7位

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ “ブルデー&バルボサ、JDCミラーのキャデラックでIMSAフル参戦へ。ロイック・デュバルが助っ人に”. As-web. (2019年11月25日). https://www.as-web.jp/sports-car/546577 2022年1月8日閲覧。 
  2. ^ “終盤のウイングトラブルに対処し辛勝のブルデー「クラッシュするかと思った」/IMSAセブリング12時間”. As-web. (2021年3月21日). https://www.as-web.jp/sports-car/678897 2022年1月8日閲覧。 
  3. ^ “チップ・ガナッシ、2022年は2台目のキャデラックDPiを投入。ドライバー4名も正式決定/IMSA”. As-web. (2021年10月20日). https://www.as-web.jp/sports-car/750238 2022年1月8日閲覧。 
  4. ^ a b F1-TopNews (2009年7月15日). “ブルデー、「ハンガリーに行く」”. 2012年1月18日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2009年7月27日閲覧。
  5. ^ トーチュウ (2009年7月17日). “ブルデー、スクーデリア・トロロッソを離脱(7/16付)”. 2009年7月27日閲覧。
  6. ^ フランス通信社 (2009年7月17日). “ブーデ 解雇したトロ・ロッソに法的措置を検討”. 2009年7月27日閲覧。
  7. ^ トロロッソの元ドライバーがレッドブルとセルジオ・ペレスを批判www.topnews.jp(2021年12月15日)2021年12月17日閲覧。
  8. ^ ペレス、壁となりリタイヤする事でフェルスタッペンの戴冠を援護「何より大切なのはチーム。これ以上の喜びはない」formula1-data.com(2021年12月13日)2022年1月29日閲覧。
  9. ^ ブルデーが古巣のデイル・コイン・レーシングに復帰”. As-web (2016年10月15日). 2022年1月8日閲覧。
  10. ^ インディ開幕戦:表彰台を争う琢磨に不運。ブルデーが最後尾から開幕戦を制す”. As-web (2017年3月23日). 2022年1月8日閲覧。
  11. ^ インディ500予選でクラッシュしたブルデーの手術が成功。代役はデイビソンに決定”. As-web (2017年5月22日). 2022年1月8日閲覧。
  12. ^ インディ500での大怪我から14週間。驚異的な回復でブルデーが今週末レース復帰へ”. As-web (2017年8月24日). 2022年1月8日閲覧。
  13. ^ インディ開幕戦:ルーキーの手からこぼれた勝利をブルデーが掴む。琢磨は追突され12位に”. As-web (2018年3月12日). 2022年1月8日閲覧。
  14. ^ インディカー第2戦:ブルデーが12年ぶりにオーバルでポール。琢磨は13番手に”. As-web (2018年4月6日). 2022年1月8日閲覧。
  15. ^ Bourdais, Sato fight after IndyCar practice in Toronto”. www.youtube.com. 2019年7月18日閲覧。

外部リンク編集