セビージャFC

スペインのサッカークラブ

セビージャFCSevilla Fútbol Clubスペイン語発音: [seˈβiʎa ˈfuðβol ˈkluβ])は、スペインセビリアに本拠地を置くプロサッカークラブである。スペインサッカーのトップリーグのラ・リーガに所属している。UEFAヨーロッパリーグを7回制しており、最多の優勝回数となっている。その他にラ・リーガを1回、コパ・デル・レイを5回、スーペルコパ・デ・エスパーニャを1回、UEFAスーパーカップを1回制覇している。同じセビリアを本拠地とし、労働者階級に強い支持基盤を持つレアル・ベティスとの対戦はセビリア・ダービーと呼ばれ、スペインで最も熱いダービーと言われている[1]

セビージャFC
原語表記 Sevilla Fútbol Club, S. A. D
愛称 Sevillistas (セビジスタス),
Los Rojiblancos (赤と白),
Los nervionenses,
Los palanganas (ほら吹き)
クラブカラー    
   
創設年 1890年
所属リーグ ラ・リーガ
所属ディビジョン 1部(2022–23
ホームタウン セビリア
ホームスタジアム
エスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアン
収容人数 45,500
代表者 スペインの旗 ホセ・カストロ・カルモナ
監督 ウルグアイの旗 ディエゴ・アロンソ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史 編集

20世紀前半 編集

1890年、セビージャ市の統治者はセビージャFCの設立を発表し、初代会長にはD・ホセ・ルイス・ガジェゴスが就任した。1908年にはレクレアティーボ・ウェルバとの間でスペイン初の公式戦が行われた。1914年にはコパ・デ・セビージャで優勝した。1935年のコパ・デル・レイ(当時はコパ・デル・プレジデンテと呼ばれていた)では決勝でCEサバデルを3-0で破って優勝した。スペイン内戦後の1938-39シーズンには、決勝でラシン・フェロルを6-2で破って2度目のコパ・デル・レイ(当時はコパ・デル・ヘネラリシモと呼ばれていた)制覇を果たした。スペイン内戦後初のリーグ戦となった1939-40シーズンにはかなりリーグ優勝に近づき、FCバルセロナに11-1で、バレンシアCFに10-3で、エルクレスCFに8-3で勝利するなど驚くべき勝利をいくつも挙げたが、エルクレスCFとのシーズン最終戦は3-3の引き分けに終わり、アトレティコ・アビアシオンに優勝をさらわれた。1942-43シーズンには再びリーグ2位となり、1943-44シーズンには3位となった。1945-46シーズンには初のプリメーラ・ディビシオン(1部)優勝を果たした。1947-48シーズンのコパ・デル・レイ決勝ではセルタ・デ・ビーゴを4-1で破って3度目の優勝を遂げた。

20世紀後半 編集

1958年にはエスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアンが完成し、レアル・ハエン戦 (3-3) で幕を開けた。1960年代はプリメーラ・ディビシオン中位に低迷し、1968-69シーズン終了後にはセグンダ・ディビシオン(2部)に降格したが、1年でプリメーラ・ディビシオン復帰を果たした[2][3]

1970年代初頭には再びセグンダ・ディビシオンに降格した。1990年代にはプリメーラ・ディビシオン中位に確固たるポジションを築いたが、1997-98シーズンにセグンダ・ディビシオン降格となった[4]。再び昇格したものの、1999-2000シーズンはわずか勝ち点28しか挙げられず、最下位でセグンダ・ディビシオン降格となった[5]

2000年代の巻き返し 編集

2000年夏に就任したホアキン・カパロス監督の下、2000-01シーズンにはセグンダ・ディビシオンで優勝した[6]。2002年に就任した弁護士出身のホセ・マリア・デル・ニド新会長はクラブの財政を整理し、強化担当のモンチスポーツ・ディレクターの辣腕もあって強豪クラブへの道を歩み出すことになった。移籍金が安いが実力のある良質な選手をスカウトし、自らの下部組織で育成した将来有望な若手選手と組み合わせることによって、ビッグクラブほど資金をかけずにビッグクラブに対抗できる強力なチームを作り上げることに成功。2004年1月にはクラブ生え抜きのスター選手であるMFホセ・アントニオ・レジェスアーセナルFCに売却して移籍金1050万ポンドを得て[7]、2005年夏にはやはり生え抜きのセルヒオ・ラモスレアル・マドリードに売却して移籍金2700万ユーロを得た。

2003-04シーズンは20年以上ぶりにコパ・デル・レイで準決勝に進出した(準決勝ではレアル・マドリードに1-2で敗れた)だけでなく、リーグ戦では6位となってUEFAカップ出場権を獲得した[8]。2004-05シーズンも6位となってUEFAカップ出場権を維持した。

2005-06シーズン 編集

2005年夏にはカパロス監督が退任してファンデ・ラモス監督が就任し、バレンシアCFからGKアンドレス・パロップを、AFCアヤックスからDFジュリアン・エスキュデを、FCバルセロナからFWハビエル・サビオラを、FCポルトからFWルイス・ファビアーノを、トッテナム・ホットスパーFCからFWフレデリック・カヌーテを獲得するなど大量補強を行った。UEFAカップでは1回戦、グループリーグと順調に勝ち上がり、ラウンド32ではロシアのFCロコモティフ・モスクワを倒してラウンド16に進出した[9]リールと対戦したラウンド16では1stレグを0-1で落としたが[10]、クラブの欧州カップ戦50試合目となった2ndレグは2-0で勝利し、準々決勝に進出した[11]。準々決勝ではロシアのFCゼニト・サンクトペテルブルクと対戦し、2試合合計5-2で勝ちぬけた[12]。準決勝のシャルケ04戦は2試合180分を終えて0-0であったが、延長戦でDFアントニオ・プエルタが決勝点を決めた。この得点はファンの間で「生き返った得点」(el gol que nos cambió la vida) と呼ばれ、セビージャFCは欧州カップ戦で初めて決勝に進出した[13]アイントホーフェンで行われた決勝ではイングランドのミドルズブラFCを4-0で下し、58年ぶりにタイトルを獲得するとともに、アンダルシアのクラブで初めて欧州カップ戦を制した。4点差は歴代のUEFAカップ決勝で最大の得点差だった。L・ファビアーノが1得点、MFエンツォ・マレスカが2得点、カヌーテが1得点を決めた[14]。特にホームでは無類の強さを誇り、2006年12月14日にAZアルクマールに敗れるまで欧州カップ戦では27戦無敗を続けた。2005-06シーズンはリーグ戦で5位となり、再びUEFAカップ1回戦の出場権を獲得した。

2006-07シーズン 編集

UEFAカップ優勝でUEFAスーパーカップの出場権を得て、2006年8月にはUEFAチャンピオンズリーグ王者のFCバルセロナと対戦した。スタッド・ルイ・ドゥで行われた試合はMFレナトが序盤に先制し、後半にはカヌーテとマレスカ (PK) が追加点を決めて3-0で快勝した[15]。2006-07シーズンのUEFAカップでは1回戦でギリシャのアトロミトスFCを倒し、グループリーグでは5クラブ中2位で決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメントではルーマニアのFCステアウア・ブカレスト、ウクライナのFCシャフタール・ドネツク、イングランドのトッテナム・ホットスパーFC、スペインのCAオサスナを下し、2シーズン連続で決勝に進出した。FCシャフタール・ドネツク戦は絶体絶命であったが、セカンドレグの試合終了間際にゴールキーパーのパロップがヘディングシュートを決め、2試合合計で5-4と上回って勝ち抜けを決めている[16]グラスゴーで行われた決勝ではスペインのRCDエスパニョールと対戦し、PK戦の末に勝利して大会2連覇を果たした[17]。2連覇を果たしたのはレアル・マドリード(1984-85シーズンと1985-86シーズンに優勝)以来2クラブ目であった。同シーズンのコパ・デル・レイでも決勝に進出し、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われた決勝のヘタフェCF戦 (1-0) ではカヌーテが決勝点を決めて4度目のタイトルを獲得した。リーグ戦ではレアル・マドリードやFCバルセロナと最終節まで優勝争いを繰り広げ、最終的には3位に終わったものの、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

2007-08シーズン 編集

2007年8月、スーペルコパ・デ・エスパーニャでリーグ王者のレアル・マドリードに勝利した。ホームでの1stレグはL・ファビアーノの得点を守りきって1-0で勝利し、アウェーでの2ndレグではレナトの2得点、カヌーテの3得点で5-3と乱打戦を制した。2試合合計6-3で勝利し、2005-06シーズン以来5個目のタイトルを獲得した。8月25日、リーグ開幕戦のヘタフェCF戦の試合中にプエルタが意識を失って倒れた。DFイヴィツァ・ドラグティノヴィッチやパロップ、メディカルスタッフが駆け寄り、プエルタが舌を詰まらせないようにすると、彼は息を吹き返して途中交代した。しかしその後、控室で再び倒れて病院に運ばれたが、3日後の28日に帰らぬ人となった。8月31日のUEFAスーパーカップではセビージャFC、ACミランの選手すべてがプエルタの顔をデザインしたシャツを着てプエルタの死を忍んだ。この試合はACミランが3-1で勝利したが[18]、悲しみに耐えるセビージャFCを尊重してACミランの選手たちはゴール後も歓声を上げず、ACミランの勝利はプエルタに捧げられた。セビージャFCはプエルタの背番号16番を永久欠番にする予定だったが、スペインサッカー連盟 (REEF) の規則で1から25までの背番号は登録選手に割り当てなければならなかったことから、プエルタの親友であったダビド・プリエトが背番号16番を受け継いだ。2007-08シーズンのすべてのリーグ戦で試合前に1分間の黙祷をささげ、すべてのホーム戦では背番号と同じ16分に拍手が捧げられた[19][20]。2009-10シーズンよりディエゴ・カペルが背番号16を受け継ぎ、2011-12シーズンはホセ・カンパーニャが着けている。

10月26日にはファンデ・ラモス監督が突然辞任し、3600万ユーロという高額の報酬でイングランドのトッテナム・ホットスパーFCに引き抜かれた。フィットネスコーチのマルコス・アルバレスも辞任し、リザーブチームのセビージャ・アトレティコを率いていたマヌエル・ヒメネスがトップチームの監督に就任した[21]

2009-10シーズン 編集

2009-10シーズンのコパ・デル・レイではラウンド16でFCバルセロナ(2-2、アウェイゴールの差で勝利)、準々決勝でデポルティーボ・ラ・コルーニャ(3-1)、準決勝でヘタフェCF (2-1) を破って決勝に進出した。アトレティコ・マドリードとの対戦となった決勝はMFディエゴ・カペルとMFヘスス・ナバスの得点で2-0で勝利し、3シーズンぶり5度目の優勝を飾った。ジョゼップ・グアルディオラ監督率いるFCバルセロナは2008-09シーズンにコパ・デル・レイ、リーガ・エスパニョーラ、UEFAチャンピオンズリーグの3冠を達成し、2009-10シーズンにはスーペルコパ・デ・エスパーニャ、FIFAクラブワールドカップの2冠を達成しており、グアルディオラ就任後初めてタイトルを獲得できなかったのがセビージャFCに敗れたコパ・デル・レイであった。

2010-11シーズン 編集

2010年8月にはスーペルコパ・デ・エスパーニャでFCバルセロナと対戦した。1stレグは3-1で勝利したが、2ndレグは0-4で敗れ、2度目のスーペルコパ制覇はならなかった。

2013-14シーズン 編集

2013年夏にはステファーヌ・エムビアマルコ・マリンなどをレンタルで獲得した。UEFAヨーロッパリーグでは、予選3回戦から決勝まで勝ち上がった。その決勝では、SLベンフィカをPK戦で破り、7年ぶりの欧州タイトルを獲得した。

2014-15シーズン 編集

FCバルセロナへと移籍したイヴァン・ラキティッチの後釜としてグジェゴシュ・クリホビアクを獲得したのを皮切りに、他にもエベル・バネガアレイクス・ビダルジェラール・デウロフェウデニス・スアレスらを獲得した。UEFAヨーロッパリーグでは、2年連続の欧州タイトルを獲得した。

2015-16シーズン 編集

ACミランにエースであるカルロス・バッカを、バルセロナにアレイクス・ビダルを引き抜かれた。しかし移籍市場では積極的に動きアディル・ラミチーロ・インモービレフェルナンド・ジョレンテイェウヘン・コノプリャーンカといった実力者を獲得した。リーグ戦ではアウェイゲームで1つも勝てないという記録を作ったが、UEFAヨーロッパリーグでは、3年連続の欧州タイトルを獲得した。シーズン終了後、ウナイ・エメリ監督が退任。後任はホルヘ・サンパオリ

2016-17シーズン 編集

ルシアーノ・ビエットサルヴァトーレ・シリグガンソ清武弘嗣ホアキン・コレアウィサム・ベン・イェデルフランコ・バスケスを補強。また、移籍期間最終日にサミル・ナスリの補強に成功した。リーグ戦はレアル・マドリードFCバルセロナアトレティコ・マドリードと上位争いをくり広げた。UEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメントに進出するも、1回戦でレスター・シティに2戦合計2-3で敗れた。

2017-18シーズン 編集

夏の移籍市場では、エベル・バネガセバスティアン・コルシアルイス・ムリエルを獲得した一方、ビトーロアトレティコ・マドリードに、ビセンテ・イボーラレスター・シティに、アディル・ラミオリンピック・マルセイユに、マリアーノガラタサライSKに売却した。

2018-19シーズン 編集

夏の移籍市場でトマーシュ・ヴァツリークイブラヒム・アマドゥマキシム・ゴナロンらを獲得。シーズン前半戦は、パブロ・マチン監督が好む3-5-2による攻撃的なサッカーが機能し、11月の終わりには首位に輝くなど良好なシーズンを送っていたが、アンカーを務めていたエベル・バネガの疲労とともにチームも失速し始め、年明けの2月には4試合未勝利といった状態に陥った。3月初めのレアル・ソシエダ戦後にマチンを解任し、後任にホアキン・カパロスを据えた。カパロス就任以降は守備的な振る舞いに切り替えたが、得点源だったウィサム・ベン・イェデルの不調もあって復調の兆しは見られず、シーズン6位という結果に終わった。また、3月にはSDのモンチが復帰した。

クラブ情報 編集

組織 編集

クラブは株式を保持するサポーターに所有されている。スペインでも屈指の充実した下部組織を擁することで知られ、2000年代だけでもホセ・アントニオ・レジェスセルヒオ・ラモスヘスス・ナバスアントニオ・プエルタディエゴ・カペルなどのスペイン代表選手を輩出した。スペインのサッカークラブで初めてセビージャFCラジオという自前のラジオ局を開設しており、さらにSFC TVという自前のテレビチャンネルも持っている。

スカウト 編集

敏腕SDであるモンチを中心に低コストで選手を獲得し、ビッグクラブに高額な移籍金で売却することで収益を得るという手法を用いてきた。代表的なケースにカルロス・バッカ(ミラン)、グジェゴシュ・クリホビアク(PSG)、ジョフレイ・コンドグビア(ASモナコ)、ケヴィン・ガメイロ(アトレティコ・マドリード)、フェデリコ・ファシオ(トッテナム)、アルバロ・ネグレド(マンチェスター・シティ)、ビセンテ・イボーラ(レスター・シティ)、ビトーロ(アトレティコ・マドリード)などがある。中でもFCバルセロナは最も多くの選手を売却してきた、いわゆる"お得意様"として有名であり、過去にダニエウ・アウヴェスアドリアーノ・コレイアセイドゥ・ケイタイヴァン・ラキティッチアレイクス・ビダルジュール・クンデらを売却している。下部組織も優秀でビッグクラブに移籍した例としてセルヒオ・ラモス(レアル・マドリード)、ホセ・アントニオ・レジェス(アーセナル)、ヘスス・ナバス(マンチェスター・シティ)、アルベルト・モレノ(リヴァプールFC)がある。

スタジアム 編集

 
エスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアン

セビージャFCのホームスタジアムはかつての会長であるラモン・サンチェス・ピスフアンから名付けられている。セビージャ市の東部にあるネルビオン地区に位置しており、45,500人を収容する。1958年9月7日にレアル・ハエンとの間で初試合が行われた[22]。スペインで開催された1982 FIFAワールドカップでは、グループリーグのブラジルソビエト連邦戦、準決勝の西ドイツフランス戦の2試合が行われた[22]。1986年にはUEFAチャンピオンズカップ決勝のFCステアウア・ブカレストFCバルセロナ戦が行われた[22]。1974年の70,000人を最高として、何回か収容人数の削減が行われているが、1990年代の全席固定席化完了によって、現在は45,500人収容のスタジアムとなっている[22]

ユニフォーム 編集

伝統的にホームでは赤い縞模様を袖に入れた白いシャツと黒いソックスを着用し、アウェーでは白い縞模様を袖に入れた赤いシャツを着用する。現在のユニフォームはナイキによって製造されている。

サポーター集団 編集

スタジアムの北側に陣取るビリス (Biris) と呼ばれるサポーター集団がある。本名・アルハジ・モルモド・ニジェスペイン語版英語版 (Alhaji Momodo Njie)選手の愛称ビリ=ビリ (Biri-Biri) に由来している[23]。アルハジは激しさと気まぐれさが特徴のガンビア出身の選手で、黒人にもかかわらずセビージャFCのサポーターにとても人気があった。彼らはスペイン最古のサポーター集団でもある。しかし2012年7月、デル・ニド会長はビリスのサンチェス・ピスファンからの追放を決定した[24]。近年相次いでいた乱闘や暴力行為に対する処分と見られ、現在はチケット購入やスタジアム入場の際に多くの規制を設けている。これに対しビリスは今回の決定とデル・ニド会長を批判、2012-13シーズンの開幕戦ではスタジアムの外から応援することでクラブへの抗議を示した。

下部組織・提携クラブ 編集

リザーブチームとしてセビージャ・アトレティコがあり、2011-12シーズンはセグンダ・ディビシオンB(3部)に所属している。プエルトリコにはセビージャFCという同名のクラブが本体の傘下に置かれている。

ライバル 編集

1909年、セビージャFCの首脳陣の中で意見対立が起こり、それが元で1914年にレアル・ベティスが設立された。1915年10月8日、初のセビージャ・ダービーが開催され、セビージャFCが4-3で勝利した[23]。1916年にはコパ・アンダルシアの第1回大会で再び顔を合わせ、やはりセビージャFCが勝利している[23]。セビージャFCはセビージャ市の東にあるエスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアンに本拠地を置き、レアル・ベティスはセビージャ市の南にあるエスタディオ・ベニート・ビジャマリンに本拠地を置いている。両者のライバル意識はセビージャ市を二分しており、スペインでもっとも過激でもっとも重要なダービーのひとつであるとみなされている。

過去のダービーでは様々な事件が起こっている。2002年10月6日にエスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアンで行われたダービーでは、警備員と口論となったセビージャFCのサポーターが他のサポーターに借りた松葉杖で警備員に殴りかかった。さらにセビージャFCのサポーターがベティスのゴールキーパーのトニ・プラッツを襲撃しようとしたために試合は中断された[25]

2007年2月28日にエスタディオ・マヌエル・ルイス・デ・ロペーラで行われたコパ・デル・レイ準々決勝は、ベティスのサポーターがふさわしくない振る舞いをしたとして中断延期された。60分にベティスのサポーターがセビージャFCのファンデ・ラモス監督に中身の入ったペットボトルを投げつけ、それが直撃してファンデ・ラモス監督は倒れた[26][27]。監督はすぐに救急車で病院に運ばれて一晩入院したが、大事には至らずに済んだ[28]。このサポーターの行いに対する処置として、スペインサッカー協会はベティスに対してホーム戦3試合を本拠地以外で行うように命じた。セビージャFCは自動的に勝ちぬけとなり、マドリードで行われた決勝でヘタフェCFを1-0で下して優勝した。

2008-09シーズン、ベティスは13年ぶりにアウェーでセビージャFCを下したが[23]、そのシーズンのセビージャFCはリーグ戦で3位に躍進してUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得し、ベティスは18位でセグンダ・ディビシオン(2部)降格となったが、2011-12シーズンに、ベティスは1部に復帰している。

2022年コパ・デル・レイでのダービーにてベティスのフェキールのゴールの直後にベティコがアルミ製の棒を投げそれがセビージャのジョルダンに直撃し、試合は中断となった。 試合は翌日に再開しベティスが勝利をした。 ベティスには2試合の無観客試合処分が下された

近年の試合一覧 編集

シーズン 日時 ホームチーム スコア アウェーチーム 大会 ホーム得点者 アウェー得点者
1987-88 1987年8月30日 セビージャFC
1-2
レアル・ベティス プリメーラ ? ?
1988年1月30日 レアル・ベティス
0-1
セビージャFC プリメーラ - ?
1990-91 1990年9月30日 レアル・ベティス
0-3
セビージャFC プリメーラ - ?
1991年3月2日 セビージャFC
3-2
レアル・ベティス プリメーラ ? ?
1994-95 1994年1月21日 セビージャFC
0-1
レアル・ベティス プリメーラ - ?
1995年6月10日 レアル・ベティス
2-1
セビージャFC プリメーラ ? ?
1995-96 1995年12月15日 レアル・ベティス
1-1
セビージャFC プリメーラ ? ?
1996年4月27日 セビージャFC
1-0
レアル・ベティス プリメーラ ? -
1996-97 1996年12月21日 セビージャFC
0-3
レアル・ベティス プリメーラ - ?
1997年5月16日 レアル・ベティス
3-3
セビージャFC プリメーラ ? ?
1999-00 1999年10月11日 セビージャFC
3-0
レアル・ベティス プリメーラ ? -
2000年2月26日 レアル・ベティス
1-1
セビージャFC プリメーラ ? ?
2000-01 2000年11月18日 レアル・ベティス
1-3
セビージャFC セグンダ ? ?
2001年4月21日 セビージャFC
1-1
レアル・ベティス セグンダ ? ?
2001-02 2001年11月9日 セビージャFC
0-0
レアル・ベティス プリメーラ - -
2002年3月22日 レアル・ベティス
0-0
セビージャFC プリメーラ - -
2002-03 2002年10月5日 セビージャFC
1-1
レアル・ベティス プリメーラ ? ?
2003年3月21日 レアル・ベティス
0-1
セビージャFC プリメーラ - ?
2003-04 2003年10月18日 セビージャFC
2-2
レアル・ベティス プリメーラ ? ?
2004年2月27日 レアル・ベティス
1-1
セビージャFC プリメーラ ? -
2004-05 2004年12月18日 セビージャFC
2-1
レアル・ベティス プリメーラ ? ?
2005年5月6日 レアル・ベティス
1-0
セビージャFC プリメーラ ? -
2005-06 2005年11月18日 セビージャFC
1-0
レアル・ベティス プリメーラ マレスカ 50' (PK) -
2006年4月1日 レアル・ベティス
2-1
セビージャFC プリメーラ ロベルト 15' (PK), バレラ 44' サビオラ 29'
2006-07 2006年9月16日 セビージャFC
3-2
レアル・ベティス プリメーラ カヌーテ 26', 59',
レナト 85'
ソビス 40', 52'
2007年2月1日 セビージャFC
0-0
セビージャFC コパ・デル・レイ - -
2007年2月10日 レアル・ベティス
0-0
セビージャFC プリメーラ - -
2007年3月2日 レアル・ベティス
0-1
セビージャFC コパ・デル・レイ - カヌーテ 56'
2007-08 2008年9月21日 セビージャFC
3-0
レアル・ベティス プリメーラ L・ファビアーノ 26', 42',
D・アウヴェス 63'
-
2008年5月11日 レアル・ベティス
0-2
セビージャFC プリメーラ - L・ファビアーノ 32',
ファシオ 51'
2008-09 2008年9月21日 レアル・ベティス
0-0
セビージャFC プリメーラ - -
2009年2月7日 セビージャFC
1-2
レアル・ベティス プリメーラ カヌーテ 90' S・ガルシア 70',
R・オリヴェイラ 83'
2011-12 2012年1月21日 レアル・ベティス
1-1
セビージャFC プリメーラ ベニャ 26' ネグレド 41'
2012年5月12日 セビージャFC
1-2
レアル・ベティス プリメーラ ネグレド 5' ベニャ 44', 92'
2012-13 2012年11月8日 セビージャFC
5-1
レアル・ベティス プリメーラ レジェス 1', 32', ファシオ 4', 41',
ラキティッチ 91'
カストロ 66'
2013年4月12日 レアル・ベティス
3-3
セビージャFC プリメーラ パボン 42', カストロ 53',
イギエボー 88'
ラキティッチ 7', 18',
ネグレド 32'
2013-14 2013年11月24日 セビージャFC
4-0
レアル・ベティス プリメーラ バッカ 3', エムビア 44',
ビトーロ 59', イボーラ 88'
-
2014年3月13日 セビージャFC
0-2
レアル・ベティス ヨーロッパリーグ - レオ 15', セビージャ 77'
2014年3月20日 レアル・ベティス
0-2
セビージャFC ヨーロッパリーグ - レジェス 20', バッカ 75'
2014年4月13日 レアル・ベティス
0-2
セビージャFC プリメーラ - ガメイロ 30' (PK) , 82'

通算成績 編集

2013-14シーズン終了時点
大会 レアル・ベティス勝利 引き分け セビージャFC勝利
プリメーラ・ディビシオン 29 20 41
セグンダ・ディビシオン 4 4 6
コパ・デル・レイ 4 5 7
ヨーロッパリーグ 1 0 1
通算 38 29 55

タイトル 編集

国内タイトル 編集

プリメーラ・ディビシオン : 1回
  • 1945-46
セグンダ・ディビシオン : 4回
  • 1929, 1933-34, 1968-69, 2000-01
コパ・デル・レイ : 5回
  • 1934-35, 1938-39, 1947-48, 2006-07, 2009-10
スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1回
  • 2007

国際タイトル 編集

UEFAヨーロッパリーグ: 7回        
  • 2005-06, 2006-07, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2019-20, 2022-23
UEFAスーパーカップ : 1回  
  • 2006

過去の成績 編集

シーズン ディビジョン 順位 国王杯 欧州カップ戦 備考
1996-97 プリメーラ 42 12 7 23 50 69 43 20位 3回戦敗退 降格
1997-98 セグンダ 38 12 17 9 44 31 53 7位 1回戦敗退
1998-99 38 16 13 9 49 38 61 4位 ベスト32 昇格
1999-00 プリメーラ 38 5 13 20 42 67 28 20位 1回戦敗退 降格
2000-01 セグンダ 38 14 8 16 46 44 50 1位 ベスト64 昇格
2001-02 プリメーラ 38 14 11 13 51 40 53 8位 ベスト64
2002-03 38 13 11 14 38 39 50 10位 準々決勝敗退
2003-04 38 15 10 13 56 45 55 6位 準決勝敗退
2004-05 38 17 9 12 44 41 60 6位 準々決勝敗退 UC ベスト16
2005-06 38 20 8 10 54 39 68 5位 ベスト16 UC 優勝
2006-07 38 21 8 9 64 35 71 3位 優勝 UC 優勝
USC 優勝
2007-08 38 20 4 14 75 49 64 5位 ベスト16 CL ベスト16 SCE優勝
USC 準優勝
2008-09 38 21 7 10 54 39 70 3位 準決勝敗退 UC GS敗退
2009-10 38 19 6 13 65 49 63 4位 優勝 CL ベスト16
2010-11 38 17 7 14 62 61 58 5位 準決勝敗退 CL プレーオフ敗退 SCE準優勝
EL ベスト32
2011-12 38 13 11 14 48 47 50 9位 ベスト16 EL プレーオフ敗退
2012-13 38 14 8 16 58 54 50 9位 準決勝敗退
2013-14 38 18 9 11 69 52 63 5位 ベスト16 EL 優勝
2014-15 38 23 7 8 71 45 76 5位 準々決勝敗退 EL 優勝
USC 準優勝
2015-16 38 14 10 14 51 50 52 7位 準優勝 CL GS敗退
EL 優勝
USC 準優勝
2016-17 38 21 9 8 69 49 72 4位 ベスト16 CL ベスト16
USC 準優勝
2017-18 38 17 7 14 49 58 58 7位 準優勝 CL 準々決勝敗退
2018-19 38 17 8 13 62 47 59 6位 準々決勝敗退 EL ベスト16
2019-20 38 19 13 6 54 34 70 4位 ベスト16 EL 優勝
2020-21 38 24 5 9 53 33 77 4位 準決勝敗退 CL ベスト16
USC 準優勝
2021-22 38 18 16 4 53 30 70 4位 ベスト16 CL GS敗退
EL ベスト16
2022-23 38 13 10 15 47 54 49 12位 ベスト8 CL GS敗退
EL 優勝
2023-24 38 CL GS敗退
USC 準優勝
優勝 2位/準優勝 3位 昇格 降格

欧州の成績 編集

UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ 編集

UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ 編集


UEFAカップウィナーズカップ 編集

インターシティーズ・フェアーズカップ 編集

UEFAスーパーカップ 編集

個人記録 編集

2022-23シーズン終了時点

最多試合出場 編集

# 選手 出場数 在籍期間
1   ヘスス・ナバス 653試合 2003-2013
2017-
2   パブロ・ブランコ 415試合 1972-1984
3   フアン・アルサ 414試合 1971-1984
4   マヌエル・ヒメネス 413試合 1984-1997
5   マルセリーノ・カンパナル 403試合 1950-1966

最多得点 編集

# 選手 得点数 在籍期間
1   ギジェルモ・カンパナル 226得点 1929-1946
2   フアン・アルサ 206得点 1971-1984
3   フアン・アラウホ 159得点 1945-1956
4   フレデリック・カヌーテ 136得点 2005-2012
5   ルイス・ファビアーノ 107得点 2005-2011

現所属メンバー 編集

ラ・リーガ2022-23 第4節フォーメーション

 


2024年1月10日現在[29]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   マルコ・ドミトロヴィッチ
2 DF   フェデリコ・ガットーニ ( )
3 DF   アドリア・ペドロサ
4 DF   セルヒオ・ラモス
5 FW   ルーカス・オカンポス ( )
6 MF   ネマニャ・グデリ ( )
7 FW   スソ
8 MF   ジョアン・ジョルダン
9 FW   ラファ・ミル
10 MF   イヴァン・ラキティッチ ( )(副主将)
11 FW   ドディ・ルケバキオ ( )
12 FW   マリアーノ・ディアス ( )
13 GK   エルヤン・ニーラン
No. Pos. 選手名
14 DF   タンギ・ニアンズ ( )
15 FW   ユセフ・エン=ネシリ
16 DF   ヘスス・ナバス  
17 FW   エリク・ラメラ ( )
18 MF   ジブリル・ソウ ( )
19 DF   マルコス・アクーニャ
21 MF   オリベル・トーレス
22 DF   ロイク・バデ ( )
23 DF   マルコン
24 MF   ブバカリ・スマレ ( )
26 MF   フアンル
27 DF   キケ・サラス
42 MF   ルシアン・アグメ ( )

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

登録外選手 編集

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- FW   アドナン・ヤヌザイ

リザーブチーム 編集

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
28 MF   マヌ・ブエノ
31 GK   アルベルト・フローレス
No. Pos. 選手名
33 GK   マティアス・アルボル

レンタル選手 編集

in 注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
24 MF   ブバカリ・スマレ (レスター・シティ)
42 MF   ルシアン・アグメ (インテル)

out 注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF   ゴンサロ・モンティエル (ノッティンガム・フォレスト)
-- DF   ホセ・アンヘル・カルモナ (ヘタフェ)
-- DF   ルドビク・アウグスティンソン (アンデルレヒト)
No. Pos. 選手名
-- MF   オスカル・ロドリゲス (ヘタフェ)
-- MF   トーマス・デラネイ (アンデルレヒト)
-- FW   ルイスミ・クルス (テネリフェ)

スタッフ 編集

役職 氏名
監督   ディエゴ・アロンソ
アシスタント   フラン・リコ
  フアン・ディアス
GKコーチ   ホセ・ルイス・シルバ

歴代監督 編集

期間 監督
1908–10   ホアキン・バレンスエラ
1910–17   エウヘニオ・エイサギーレ
1917–21   ペペ・ブランド
1921–23   アルトゥーロ・オストス
1923–24   チャールズ・オヘイガン
1924–27   アンヘル・ビジャグラン
1927–30   リッポ・ヘルツカ
1930–33   ホセ・キランテ
1933–36   ラモン・エンシナス
1939–41   ペペ・ブランド
1941–42   ビクトリアノ・サントス
1942   ペペ・ブランド
1942–45   パトリック・オコネル
1945–47   ラモン・エンシナス
1947–49   パトリシオ・カイセド
1949–53   ギジェルモ・カンパナル
1953–56   エレニオ・エレーラ
1956–57   サトゥール・グレチ
1957   ギジェルモ・カンパナル
1957–58   ディエゴ・ビジャロンガ
1958   カルマール・イェネー
1958–59   フアン・アントニオ・イピーニャ
1959   ギジェルモ・カンパナル
1959   ラモン・エンシナス
1959–61   ルイス・ミロ
1961   ディエゴ・ビジャロンガ
1961–63   アントニオ・バリオス
1963–64   オット・バンベル
1964–65   フェルディナンド・ダウチーク
1965–66   イグナシオ・エイサギーレ
1966   フアン・アルサ
1966   サビノ・バリナガ
1967   フアン・アルサ
1967–68   アントニオ・バリオス
1968–69   フアン・アルサ
1969–71   マックス・メルケル
1971   ディエゴ・ビジャロンガ
1971–72   ダン・ゲオルギアディス
1972   ヴィク・バッキンガム
1972   ディエゴ・ビジャロンガ
1972–73   フアン・アルサ
1973   サルバドール・アルティガス
1973   エルンスト・ハッペル
1974–76   ロケ・オルセン
1976–79   カリエガ
1979–81   ミゲル・ムニョス
1981–86   マノロ・カルド
1986–87   ジョック・ウォレス
1987–88   ハビエル・アスカルゴルタ
1989   ロケ・オルセン
1989–91    ビセンテ・カンタトーレ
1991–92   ビクトル・エスパラーゴ
1992年7月-1993年6月   カルロス・ビラルド
1993年7月-1995年6月   ルイス・アラゴネス
期間 監督
1995年7月-1995年12月   トニ
1995年10月-1996年1月   フアン・カルロス・アルバレス
1996年1月-1996年6月   ビクトル・エスパラーゴ
1996年7月1日-1997年2月11日   ホセ・アントニオ・カマーチョ
1997年2月   カルロス・ビラルド
1997年2月-1997年10月   フリアン・ルビオ
1997年10月-1997年12月   ビセンテ・ミエラ
1998年1月   フアン・カルロス・アルバレス
1998年1月-1999年1月   フェルナンド・カストロ・サントス
1999年1月-2000年3月   マルコス・アロンソ
2000年3月-2000年5月   フアン・カルロス・アルバレス
2000年7月1日-2005年6月30日   ホアキン・カパロス
2005年7月1日-2007年10月26日   ファンデ・ラモス
2007年10月27日-2010年3月23日   マノロ・ヒメネス
2010年3月25日-2010年9月26日   アントニオ・アルバレス
2010年9月27日-2011年6月30日   グレゴリオ・マンサーノ
2011年7月1日-2012年2月6日   マルセリーノ
2012年2月17日-2013年1月14日   ミチェル
2013年1月14日-2016年6月12日   ウナイ・エメリ
2016年6月27日-2017年5月29日   ホルヘ・サンパオリ
2017年5月27日-2017年12月22日   エドゥアルド・ベリッソ
2017年12月30日-2018年4月28日   ヴィンチェンツォ・モンテッラ
2018年4月28日-2018年5月24日   ホアキン・カパロス
2018年5月28日-2019年3月15日   パブロ・マチン
2019年3月15日-2019年5月22日   ホアキン・カパロス
2019年6月4日-2022年10月5日   フレン・ロペテギ
2022年10月6日-2023年3月21日   ホルヘ・サンパオリ
2023年3月21日-2023年10月8日   ホセ・ルイス・メンディリバル
2023年10月10日-   ディエゴ・アロンソ

歴代所属選手 編集

脚注 編集

  1. ^ 【海外サッカー コラム】ベティス対セビージャ、世界屈指の情熱を誇るダービーが久々に有観客で行われる。お祭り男ホアキンにとっては、ホームで戦う最後のダービーだ。”. dazn (2021年11月17日). 2022年2月28日閲覧。
  2. ^ Historia de la Liga – 1967/68”. セビージャFC公式サイト. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月24日閲覧。
  3. ^ Historia de la Liga – 1968/69”. セビージャFC公式サイト. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月24日閲覧。
  4. ^ Historia de la Liga – 1997/98”. セビージャFC公式サイト. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月24日閲覧。
  5. ^ Historia de la Liga – 1999/2000”. セビージャFC公式サイト. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月24日閲覧。
  6. ^ Historia de la Liga – 2000/01”. セビージャFC公式サイト. 2007年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月24日閲覧。
  7. ^ Fletcher, Paul (2007年7月20日). “Spanish trio hoping to sign Reyes”. BBC Sport. http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/a/arsenal/6221686.stm 2007年8月24日閲覧。 
  8. ^ Historia de la Liga – 2003/04”. セビージャFC公式サイト. 2007年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月24日閲覧。
  9. ^ “Sevilla glide past Lokomotiv”. UEFA.com. (2006年2月23日). http://www.uefa.com/competitions/uefacup/history/season=2005/round=2210/match=82432/index.html 2007年8月22日閲覧。 
  10. ^ “Blunder hands Lille the advantage”. UEFA.com. (2006年3月9日). http://www.uefa.com/competitions/uefacup/history/season=2005/round=2211/match=83824/index.html 2007年8月22日閲覧。 
  11. ^ “Sevilla leave Lille hopes in ruins”. UEFA.com. (2006年3月15日). http://www.uefa.com/competitions/uefacup/history/season=2005/round=2211/match=83825/index.html 2007年8月22日閲覧。 
  12. ^ “Kepa cameo seals Sevilla passage”. UEFA.com. (2006年4月6日). http://www.uefa.com/competitions/uefacup/history/season=2005/round=2212/match=84041/index.html 2007年8月22日閲覧。 
  13. ^ “Puerta sends Sevilla through”. UEFA.com. (2006年4月27日). http://www.uefa.com/competitions/uefacup/history/season=2005/round=2213/match=84076/index.html 2007年8月22日閲覧。 
  14. ^ “Sevilla run away with the trophy”. UEFA.com. (2006年5月10日). http://www.uefa.com/competitions/uefacup/history/season=2005/round=2214/match=84102/index.html 2007年8月22日閲覧。 
  15. ^ “Sevilla win big in Monaco”. UEFA.com. (2006年8月25日). http://www.uefa.com/competitions/supercup/fixturesresults/round=2378/match=84343/report=rp.html 2007年8月22日閲覧。 
  16. ^ “Sevilla saved by last gasp Palop”. UEFA.com. (2007年3月15日). http://www.uefa.com/competitions/uefacup/fixturesresults/round=2367/match=300520/report=rp.html 2007年8月22日閲覧。 
  17. ^ Espanyol – Sevilla  : 3–5 Match report from ScoresPro.com
  18. ^ AC Milan – Sevilla  : 3–1 Match report from ScoresPro.com
  19. ^ “Sevilla star dies after collapse”. CNN. (2007年8月28日). http://edition.cnn.com/2007/SPORT/football/08/28/spain.critical.reut/ 2007年8月30日閲覧。  [リンク切れ]
  20. ^ “Sevilla midfielder Puerta dies”. Guardian Unlimited. (2007年8月28日). http://football.guardian.co.uk/europeanfootball/story/0,,2157667,00.html?gusrc=rss&feed=networkfront 2007年8月30日閲覧。 
  21. ^ “Ramos quits Sevilla to join Spurs”. BBC. (2007年10月27日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/t/tottenham_hotspur/7064928.stm 2007年10月27日閲覧。 
  22. ^ a b c d “Estadio Ramón Sánchez Pizjuán”. The Stadium Guide.com. http://www.stadiumguide.com/ramonsanchez/ 2012年8月11日閲覧。 
  23. ^ a b c d “Sevilla FC - Real Betis Balompie: a century of football rivalry”. andalucia.com. http://www.andalucia.com/sports/football/sevillafc-realbetis.htm 2012年8月11日閲覧。 
  24. ^ “セビージャ会長、過激ウルトラスを追放へ”. Goal.com. (2012年7月15日). http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2012/07/15/3243457/%E3%82%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E4%BC%9A%E9%95%B7%E9%81%8E%E6%BF%80%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%92%E8%BF%BD%E6%94%BE%E3%81%B8 2012年9月24日閲覧。 
  25. ^ “Cinco detenidos tras el Sevilla-Betis”. El Mundo. (2002年10月7日). http://www.elmundo.es/elmundodeporte/2002/10/07/liga/1034016536.html 2010年4月27日閲覧。 
  26. ^ “ラモス監督負傷でダービーが延期”. UEFA.com. (2007年2月28日). http://jp.uefa.com/memberassociations/news/newsid=511651.html 2012年8月11日閲覧。 
  27. ^ “試練の1週間を迎えるバルサ”. UEFA.com. (2007年3月2日). http://jp.uefa.com/memberassociations/news/newsid=512162.html 2012年8月11日閲覧。 
  28. ^ “ペットボトル直撃のフアンデ・ラモス監督、無事退院へ”. livedoorスポーツ. (2007年3月2日). http://news.livedoor.com/article/detail/3054350/ 2012年8月11日閲覧。 
  29. ^ Sevilla FC - Primer Equipo”. 2022年8月5日閲覧。

外部リンク 編集