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セルゲイ・レオニードヴィッチ・ソコロフСергей Леонидович СоколовSergei Leonidovich Sokolov1911年7月1日 - 2012年8月31日)は、ソビエト連邦軍人政治家ソ連邦元帥チェルネンコゴルバチョフ時代、ソ連国防相(在任期間1984年12月22日から1987年5月30日)を務めた。

経歴編集

クリミア・イェウパトーリヤ出身。1932年から赤軍。1934年、ゴリコフ装甲戦車学校を卒業し、極東で小隊長、中隊長、大隊長を歴任。1938年の張鼓峰事件に参加。

独ソ戦時、1941年6月~9月、戦車連隊参謀長として東部戦線で戦う。同年10月からカレリア戦線の自動車装甲戦車局の課長補佐、1942年4月から課長、6月から同局局長、1943年1月から同戦線の装甲戦車・機械化兵司令官局参謀長。同年にはまた、大佐に昇進。1944年3月~9月、同戦線第32軍の装甲戦車・機械化兵司令官。

戦後、1947年に装甲戦車・機械化兵軍事アカデミーを卒業し、戦車連隊長に任命。1948年、戦車師団参謀長。1951年に参謀本部軍事アカデミーを卒業し、1952年から機械化師団長。1953年に少将、1959年に中将に昇進。1960年~1964年、モスクワ軍管区参謀長を務め、在任中の1963年に大将に昇進。1964年7月から同管区第一副司令官。

1965年10月、レニングラード軍管区司令官。1967年4月、国防第一次官を兼務し、同年にはまた上級大将に昇進。1978年ソ連邦元帥となる。1984年ウスチノフ国防相の死去に伴い、後任のソ連国防相に就任した。前任者のウスチノフ国防相がクレムリンキングメーカーと言われるほどの実力者であったのに対し、ソコロフは純粋な職業軍人として地味な存在であった。また、グレチコ、ウスチノフの二人の前任者が共産党政治局員であったのに対し、ソコロフは議決権を持たない政治局員候補に据え置かれた。1987年西ドイツの青年マティアス・ルストがセスナ機でクレムリンの赤の広場に着陸した責任を取らされる形で国防相を解任された。

1966年からソ連共産党中央委員会委員候補、1968年から委員。第7期~第10期ソ連最高会議代議員。

レーニン勲章、赤旗勲章2個、三等「ソ連軍における祖国への奉仕に対する」勲章を受章。

2011年7月1日、100歳の誕生日を迎え、ドミートリー・メドヴェージェフ大統領から祝福された[1]

2012年8月31日、3日前の8月28日に亡くなったマリーヤ夫人の後を追うようにモスクワで死去。101歳没[2]。ワレリー(1940年生)とウラジーミル(1947年生)の2子もいずれも大将まで昇進した。

脚注編集