ソ連占領地域ドイツ
Sowjetische Besatzungszone Deutschlands
ソビエト連邦連合軍軍政期ドイツ)の軍政
Flag of Germany (1935–1945).svg
1945年 – 1949年 Flag of East Germany.svg

Soviet occupation zoneの旗

ソビエト連邦の国旗

Soviet occupation zoneの位置
ソビエト軍占領地域(赤)と西側諸国の占領地域(グレー)
首都 東ベルリン
政府 軍政
在独ソ連軍政府長官
 - 1945–1946 ゲオルギー・ジューコフ
 - 1946–1949 ワシーリー・ソコロフスキー
 - 1949 ワシーリー・チュイコフ
時代 冷戦
 - ドイツの降伏 1945年5月8日
 - ドイツ民主共和国建国 1949年10月7日
現在 ドイツの旗 ドイツ

ソ連占領地域(ソれんせんりょうちいき、: Sowjetische Besatzungszone; SBZ)または東部地域: Ostzone)は、ヤルタ会談での連合国の協定に基づき、第二次世界大戦後に連合国の統治下に置かれた連合軍軍政期ドイツ(1945-1949)においてソビエト連邦が占領統治した地域である。

概要編集

 
ソ連占領地域・ドイツ民主共和国(東ドイツ)の (Länder) (1945 - 1952):
   メクレンブルク州
   ブランデンブルク州
   ザクセン=アンハルト州
   ザクセン自由州
   テューリンゲン州

ザクセン自由州テューリンゲン州ザクセン=アンハルト州ブランデンブルク州の大部分と、メクレンブルク州[1]フォアポンメルンドイツ語版[1]が含まれる。旧ドイツ東部領土は、平和条約を締結するまでポーランドとソ連が統治することになっていたため、含まれなかった。1949年にソ連占領地域(SBZ)は、新たに建国したドイツ民主共和国(DDR)の領土となった。

ソ連占領地域(SBZ)編集

1949年以降の冷戦期、西ドイツは、東ドイツの存在を承認していなかったため、1972年東西ドイツ基本条約を締結するまで「DDR」(ドイツ民主共和国)の代わりに、「SBZ」という略字を使った。政治対立のなかで西ドイツは、「いわゆるDDR」や「ソ連ドイツ」、「東部地域」、「ソ連地域」、あるいは単純に「地域」という言葉も使った。新聞社、特にアクセル・シュプリンガー社は、東ドイツの存在を承認することができないという態度を示すために、1989年夏まで一貫して、カッコつきで「DDR」という書き方をした[2][3]

東ドイツは1970年代まで、場合によってはそれ以降も、ベルテルスマン出版の本、西ドイツの行政用語や一般用語でも「中部ドイツ」と書かれた。オーデル・ナイセ線自由都市ダンツィヒを含む)の東側はポーランド政府の統治下にあり、ケーニヒスベルクを含む東プロイセン北部(カリーニングラード州)はソ連の統治下にあったが、国際法的には、ドイツ最終規定条約が結ばれるまではドイツに所属していることになっていたためである。

脚注編集

  1. ^ a b 1945年に統合され、一旦はメクレンブルク=フォアポンメルン州に変更。1947年にメクレンブルク州に戻された。
  2. ^ Beispielhaft hier in einem Artikel des Hamburger Abendblatts von 1978
  3. ^ Heiner Bröckermann und Sven Felix Kellerhoff: Als aus der „DDR“ die DDR wurde. Der Verzicht auf die Gänsefüßchen kam in der WELT zur rechten Zeit, in: Die Welt, 1. August 2009.

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集