ゾフィー・ツー・ゾルムス=ラウバッハ
ゾフィー・ツー・ゾルムス=ラウバッハ(Sophie zu Solms-Laubach, 1594年5月15日 - 1651年5月16日)は、ドイツのブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨアヒム・エルンストの妻。長姉のアグネスはヘッセン=カッセル方伯モーリッツの妻、すぐ上の姉のジビュレ(1590年 - 1659年)はアンハルト=プレッツカウ侯アウグストの妻である。
ゾフィー・ツー・ゾルムス=ラウバッハ Sophie zu Solms-Laubach | |
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出生 |
1594年5月15日 神聖ローマ帝国 ゾルムス=ラウバッハ伯領、ラウバッハ |
死去 |
1651年5月16日(57歳没) 神聖ローマ帝国 アンハルト=プレッツカウ侯領、プレッツカウ |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 アンスバッハ辺境伯領、アンスバッハ、聖グンベルトゥス教会 |
配偶者 | ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨアヒム・エルンスト |
子女 |
ゾフィー フリードリヒ アルブレヒト アルブレヒト クリスティアン |
家名 | ゾルムス家 |
父親 | ゾルムス=ラウバッハ伯ヨハン・ゲオルク |
母親 | マルガレーテ・フォン・シェーンブルク=グラウハウ |
ゾルムス=ラウバッハ伯ヨハン・ゲオルク(1547年 - 1600年)とその妻のマルガレーテ・フォン・シェーンブルク=グラウハウ(1554年 - 1606年)の末娘(第16子、八女)として生まれた。1612年10月14日にアンスバッハにおいて、ヨアヒム・エルンストと結婚した。1625年に夫が死ぬと、当時9歳だった長男フリードリヒの摂政としてアンスバッハ侯領を統治した。1634年に摂政を一旦退くが、直後にフリードリヒがネルトリンゲンの戦いで戦死したため、後を継いだ14歳の三男アルブレヒトの摂政となり、1639年まで務めた。なお、摂政統治に際しては次兄のゾルムス=レーデルハイム伯フリードリヒを相談役とした。
子女
編集夫との間に4男1女の5人の子女をもうけた。
- ゾフィー(1614年 - 1646年) - 1641年、ブランデンブルク=バイロイト辺境伯世子エルトマン・アウグストと結婚
- フリードリヒ(1616年 - 1634年) - ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯
- アルブレヒト(1617年)
- アルブレヒト(1620年 - 1667年) - ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯
- クリスティアン(1623年 - 1633年)
参考文献
編集- M. Spindler, A. Kraus: Geschichte Frankens bis zum Ausgang des 18. Jahrhunderts, München 1997. ISBN 3-406-39451-5