タウンズビル

オーストラリアの都市
タウンズヴィルから転送)

タウンズビル[1]英語: Townsville)は、オーストラリアクイーンズランド州北東岸に位置する港湾都市。人口は約18万人。ノーザン・クイーンズランド地方最大規模の都市であり、クイーンズランド州北部のみならずファー・ノース・クイーンズランド地域およびノース・ウェスト・クイーンズランド地域をカバーする経済、交通、政治、教育、軍事の中心となっている。州都で最大都市のブリスベンの1300キロメートル(km)北方、ケアンズの350km南方に位置する。

タウンズビル
Townsville
タウンズビル中心街およびキャッスル・ヒル
タウンズビル中心街およびキャッスル・ヒル
位置
タウンズビル オーストラリア大陸東部に位置するの位置図
タウンズビル
オーストラリア大陸東部に位置する
座標 : 南緯19度15分23秒 東経146度49分6秒 / 南緯19.25639度 東経146.81833度 / -19.25639; 146.81833
行政
オーストラリアの旗 オーストラリア
  クイーンズランド州の旗 クイーンズランド州
 市 タウンズビル
地理
面積  
  市域 140.2 km2 (54.1 mi2)
人口
人口 (2018年現在)
  市域 180,820人
    人口密度   1290人/km2
  備考 第13回国勢調査による
その他
等時帯 AEST (UTC+10)
夏時間 なし
公式ウェブサイト : http://www.townsville.qld.gov.au
クイーンズランドの行政区画地図

周辺地域の主要産業は農林業、鉱業、観光であり、同市の商業、交通、サービス産業はそれらを支えている。行政、軍事、教育機関も都市経済の重要な要素となっている。

グレート・バリア・リーフ中央部に面する。

歴史 編集

1864年にメルトン・ヒルにキャンプが設営され、初期の開拓が始まった。ロバート・タウンズ(Robert Towns)が1866年に後のタウンズビルになる場所を訪れる。しかし、タウンズは3日間滞在したのみであり、その他の期間に滞在したことはない。しかし、タウンズはこの町の発展のために資金の提供の協力をした。タウンズビルの名は、ロバート・タウンズにちなむものである。

1896年のタウンズビル周辺には、サトウキビ栽培、真珠の養殖、なまこの採集などの産業に従事する日本人労働者が増加。約4000人ほどが滞在するようになったため、日本政府はオーストラリアで最初の領事館をタウンズビルに開設した。しかし、1901年にオーストラリアが独立し白豪主義政策を導入[2]すると、タウンズビルを離れる日本人が増え、1908年には閉鎖された。

1942年-1946年太平洋戦争時にはタウンズビルは軍事基地が設置され、オーストラリア軍アメリカ軍など併せて90,000人が駐屯した。1942年日本軍の空襲を受けた。現在は米軍は駐留していない。同州中部・北部の都市からは多くの戦争花嫁がアメリカに渡った。

2019年1月末に数日間続く豪雨があり、100年に1度の災害となった。数百件の家屋が浸水する被害が出たほか、冠水に乗じてオーストラリアワニヘビが大量に押し寄せるという地域独特の可能性も指摘され、住民らは警戒を余儀なくされた[3]

経済 編集

タウンズビルには亜鉛の精錬所が存在し、マウント・アイザから運ばれてくる銅鉱石と、外国から輸入した亜鉛鉱石を精錬している[4]

交通 編集

文化 編集

教育 編集

スポーツ 編集

姉妹都市 編集

  ポートモレスビーパプアニューギニア 1983年締結
  周南市日本 1990年締結
  いわき市日本 1991年8月締結
  常熟市中華人民共和国 1995年締結
  水原市大韓民国 1996年締結
  仏山市中華人民共和国 2006年締結

脚注 編集

  1. ^ タウンスビルとも。また、第二次大戦前の日本の公文書において、しばしばタウンスビールと表記されている。
  2. ^ 鈴木 清史 (2010年). “オーストラリアの戸惑い : 2つの巨大貿易国のはざまで (日本とアジアの相互の照射 p54” (PDF). 静岡大学人文学部アジア研究センター. 2020年12月17日閲覧。
  3. ^ 「100年に1度」の洪水で2万世帯に浸水危機、ワニやヘビも街へ”. CNN (2019年2月4日). 2019年2月10日閲覧。
  4. ^ 「地理的オーストラリア論」p108-109 谷内達 古今書院 2018年9月22日初版第1刷発行

参考文献 編集

A Chronological History of Townsville

外部リンク 編集