タロコ族(Taroko、トゥルクTruku、中国語:太魯閣族)は、台湾の東部に居住する台湾原住民の一部族である。

タロコ族
Mokka and their house.jpg
日本統治時代に撮影された、バトラン社の村人。 花蓮渓の支流・木瓜渓の流域に居住する彼らは、「木瓜蕃」とも呼ばれていた。
総人口
約25,857人[1]
居住地域
台湾花蓮県北部
言語
タロコ語台湾語北京語日本語
宗教
キリスト教アニミズムシャーマニズム
関連する民族
タイヤル族セデック族

概要編集

台湾東部・花蓮県北部の秀林郷卓渓郷を中心に分布する。元来は南投県仁愛郷に居住していたが17世紀に人口増加と漢人入植者の増大による耕地不足により、花蓮地区に移動した。日本統治時代ではタイヤル族の支族とされていた。その分類は、戦後も引き継がれたが、2004年1月14日中華民国内政部より独自の民族としての認可を受け、台湾における12番目の原住民とされた[2]

ということから、過去の文献では、現在タロコ族と呼ばれている人たちを、「タイヤル族」もしくは「セデック族」に含んでいることもあり、注意が必要である。

「タロコ」という民族名は、古くよりタロコ渓谷に冠されていたので有名であった。

現在、約18,000人から23,000人が存在し、5番目に人口の多い民族である。

伝統的には、農耕、採集、狩猟を中心とした生活を送っている。父系小家族社会であり世襲の頭目が村落を取りまとめている。

日本統治時代編集

日本人の入植が始まるとタロコ族と日本人移民との間で紛争が起こるようになった。タロコ族が旧日本軍と森林資源などを争った「新城事件(zh:新城事件)」(1896年)、樟脳採取をめぐってぶつかり合った「威里事件zh:威里事件)」(1906年)、タロコ族が武装蜂起して旧日本軍に平定された「タロコ戦役(zh:太魯閣戰爭)」(1914年)がある[3]

新城事件は花蓮港駐屯中の日本兵が地元の台湾人有力者・李阿隆の義妹を強姦したことを発端に起こった事件で日本人20数名が殺害された。威里事件では、花蓮港庁太魯閣族の部落が連合して樟脳作業所を襲撃し、日本人の支庁長の大山十郎、巡査の阿部虎之助、 賀田組事務員の山田海三、鹿児島県人喜多川貞二郎など30名余りが首狩りなどで殺害された[4]

著名人編集

脚注編集

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  1. ^ 行政院原住民族委員會來源(引用於2010年2月
  2. ^ セデック族は、タロコ族の独立のあと、2008年に分離した。
  3. ^ 文化部、先住民の歴史事件を調査 当事者納得の記念碑設置へ/台湾フォーカス台湾、2020/02/28
  4. ^ 隘勇線社会の医療牧羊人:井上伊之助の『生蕃記』研究柳書琴(台湾・清華大学)

外部リンク編集