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ダイユウサクは、日本競走馬である。主な勝ち鞍は1991年有馬記念金杯(西)など。

ダイユウサク
Daiyusaku.JPG
2005年9月撮影(うらかわ優駿ビレッジ)
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1985年6月12日
死没 2013年12月8日(28歳没)
ノノアルコ
クニノキヨコ
生国 日本の旗 日本北海道門別町
生産 優駿牧場
馬主 橋元幸平
調教師 内藤繁春栗東
厩務員 不明 →平田修
競走成績
生涯成績 38戦11勝
獲得賞金 376,823,600円
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有馬記念では14番人気にもかかわらず、圧倒的1番人気のメジロマックイーンを差し切り、レコードタイムで優勝した。しかし、このレース以降は1つも勝てずに引退したため、「史上最強の一発屋」などと称された。

馬齢は旧表記(数え年)

目次

馬名の由来編集

馬主の孫の名前「コウサク」にちなんで「ダイウサク」と名づける予定が、手違いで「ダイウサク」になってしまったという。当時はデビュー後も馬名を変更できたが、あまりの惨敗続きに、馬主が「これでは孫の名前を付けようがない」と、ダイユウサクのままで通した。なお馬主の橋元幸平はシンザンの馬主・橋元幸吉の実弟に当たり、勝負服も袖の色が違うのみ[1]であった。

手違いから名付けられた馬名だったが、有馬記念の優勝時には本馬を松田優作[2]、2着のメジロマックイーンスティーブ・マックイーンと関連付けて話題にするマスコミや「映画馬券」として馬券を購入した競馬ファンが多く見られた。

戦績編集

4歳(1988年)〜5歳(1989年編集

ダイユウサクは体質の弱さもあってかデビューが大幅に遅れ、4歳になってからしばらく経った1988年10月30日京都での400万下条件戦でデビューした。しかし、このレースでは溝橋秀吉騎乗で臨むも、結果は勝ち馬から13秒も離された最下位(11着)に終わった。次走の福島での未勝利戦でも7.3秒遅れて最下位(14着)に敗れ、この年は2戦して未勝利に終わっている。2戦ともタイムオーバーに相当する大敗だった。

1989年、5歳になったダイユウサクは4月16日新潟での400万下条件戦で出口隆義の騎乗でデビューから5戦目にして待望の初勝利を挙げた。初勝利後は新潟で1戦した後、京都の400万下条件戦で2勝目を挙げた。この2勝目を挙げたレースから熊沢重文を主戦騎手にしている。

その後、ダイユウサクは6月の中京での御嶽特別(900万下)で3勝目を挙げると、高松宮杯(当時GII)に格上で重賞に初挑戦したが、7着に敗れた。秋になるとダイユウサクは自己条件に戻って、900万下条件戦を2連勝した。その中には阪神競馬場の芝1200mのコースレコードを更新したレースも含まれている。

準オープン馬になったダイユウサクはその後、ダートの貴船ステークスこそ10着と完敗したものの、比叡ステークス2着、ゴールデンホイップトロフィー2着、逆瀬川ステークス3着と好走して、シーズンを終えている。

6歳(1990年編集

6歳になったダイユウサクは半年の休養の後、6月のCBC賞から復帰した。格上挑戦だったCBC賞で4着、自己条件に戻ってジュライステークスで4着、再び格上挑戦したセントウルステークスで3着となった後、自己条件のムーンライトハンデキャップで村本善之とのコンビで勝ち、ついにオープン馬になった。

GI初挑戦となった天皇賞(秋)でも村本とのコンビで挑んだが、結果は7着に終わった。ただ、6着に終わったオグリキャップとは半馬身差だった事から、ダイユウサクにとっては希望を持てる結果であった。

天皇賞後、ダイユウサクはトパーズステークス、飛鳥ステークスとオープン特別を2連勝して、この年を終えている。

7歳(1991年編集

7歳になったダイユウサクは年明け、京都で行われた金杯(西)で1番人気で優勝、これがダイユウサクの初の重賞制覇だった。産経大阪杯ホワイトストーンの2着に入った後、裂蹄のため半年間休養したダイユウサクは秋に復帰すると、京都大賞典5着、スワンステークス4着、マイルチャンピオンシップ5着と好走した。

マイルチャンピオンシップが終わった後、騎手の熊沢と厩務員の平田は話し合い、「スプリンターズステークスに挑戦し、ダイユウサクにGIを獲らせたい」との思いを内藤に話したが、拒否された。しかし内藤繁春はこのレースで勝てれば、有馬記念に推薦で出走できるのではないかという意図をもって、有馬記念の2週前に行われるオープン特別の阪神競馬場新装記念にダイユウサクを出走させた。このレースでダイユウサクは2番人気だったが、見事勝利を収め、有馬記念の最終登録に名を連ねる事になった。

世紀の番狂わせ・有馬記念編集

1991年の有馬記念は、無敗のまま春のクラシック二冠を制したトウカイテイオーや菊花賞を制したレオダーバンなど有力馬の故障による出走回避もあり、ダイユウサクはJRAの推薦馬として有馬記念に出走する事が可能となった。しかし、世間の注目は天皇賞(秋)では1着入線も降着となり、ジャパンカップでは4着に終わったメジロマックイーンに集中した。それは、メジロマックイーンの単勝が1.7倍という圧倒的1番人気という数字に表れていた。

一方、ダイユウサクは単勝が137.9倍と15頭立ての14番人気というブービー人気だった[3]。内藤調教師も少し距離が長いと思っていたが、「無様なレースだけはしないだろう」という確信があったという。また、騎乗する熊沢重文も、直前の調教においてこれまでで一番調子が良いという手応えを感じており、内藤と同じく無様なレースはしないという確信があったという[4]

レースは最後の直線で、それまで中団に待機していたダイユウサクが鋭く伸びて内ラチ沿いを強襲し、早めに抜け出したプレクラスニーに並ぶ間もなく先頭に立つと、追いすがるメジロマックイーンに1馬身4分の1の差をつけて優勝した。この伏兵の大駆けにフジテレビの『スーパー競馬』で実況していた堺正幸が「これはビックリ、ダイユウサク!!」と叫ぶほどだった。この時の勝ちタイム2分30秒6は、イナリワンが持つ従来の記録を1秒1も更新するコースレコードであり、2003年の有馬記念でシンボリクリスエスに、コンマ1秒破られるまでの12年間レコードタイムであり続けた。

7歳で有馬記念に勝利したのはスピードシンボリグリーングラスに続いて3頭目だった。また、有馬記念の単勝馬券が万馬券となったのは初めてであった[5]。このダイユウサクの人気のなさに馬主の橋元幸平すらも有馬記念に勝てる訳が無いと思い、中山競馬場に観戦に来ず、表彰式では橋元の娘など関係者が代行で表彰式に出席したという逸話も残っている[6]。ただ、内藤はレース前から勝てるという確信があったため、正装で中山競馬場に入場している[4]

8歳(1992年編集

ダイユウサクは翌年も現役を続けたものの、大阪杯6着、天皇賞(春)9着、安田記念8着、宝塚記念8着、高松宮杯14着、スワンステークス15着と6戦していずれも5着以内に入れず、この年限りで引退した。

引退後編集

ダイユウサクは引退後、新冠の八木牧場で種牡馬となった。残した産駒が計17頭と少なかったこともあり、東海公営の重賞・グランドミックス(名古屋)を制したグランオラシオンらを出すに止まった。

1998年に種牡馬を引退し、観光施設・うらかわ優駿ビレッジAERUで余生を送っていたが、2013年12月8日老衰で死亡した[7]

うらかわ優駿ビレッジAERUではニッポーテイオーウイニングチケットらと仲が良かったという[8]

競走成績編集

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離馬場 タイム
上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1988 10. 30 京都 4歳上400万下 11 5 5 56.1(10人) 11着 溝橋秀吉 55 ダ1800m(良) 2:06.7(62.3) 13.0 キョウエイウエルス
11. 12 福島 4歳未勝利 14 3 4 81.3(13人) 14着 原田聖二 55 芝1800m(良) 2:00.0(43.5) 7.3 キョウエイタッチ
1989 3. 18 中京 5歳上400万下 10 7 7 8.4(4人) 5着 溝橋秀吉 56 ダ1700m(良) 1:51.9(41.5) 0.7 エイシンカンサイ
3. 25 中京 5歳上400万下 16 1 2 11.9(7人) 8着 溝橋秀吉 56 ダ1000m(不) 1:02.1(38.8) 0.7 アスコットジャガー
4. 16 新潟 5歳上400万下 12 7 9 26.7(10人) 1着 出口隆義 56 ダ1700m(重) 1:47.4(39.0) -0.5 (ハクサンコペル)
4. 29 新潟 三条特別 8 4 4 10.7(5人) 4着 出口隆義 56 ダ1200m(重) 1:13.8(37.6) 1.1 ギンセカイ
5. 13 京都 5歳上400万下 18 7 13 15.6(9人) 1着 熊沢重文 56 芝1600m(重) 1:37.9(45.3) -0.0 (グレートナポレオン)
5. 27 阪神 5歳上900万下 13 3 3 3.5(1人) 2着 熊沢重文 55 芝2000m(良) 2:05.0(51.0) 0.1 ヒラヨシルーキー
6. 10 阪神 鷹取特別 12 6 8 5.2(3人) 2着 熊沢重文 55 芝2000m(重) 2:04.6(50.4) 0.1 ワンダーメルベーユ
6. 25 中京 御嶽特別 15 7 12 2.9(1人) 1着 熊沢重文 55 芝2000m(重) 2:01.6(36.5) -0.2 (ミントスター)
7. 9 中京 高松宮杯 GII 14 7 11 47.8(11人) 7着 原田聖二 57 芝2000m(稍) 2:00.3(37.1) 1.4 メジロアルダン
8. 12 小倉 はづき賞 12 8 12 - 取消 熊沢重文 57 芝1800m(良) 出走取消 - センシュウルル
9. 10 阪神 4歳上900万下 14 5 8 4.3(2人) 1着 熊沢重文 56 芝1200m(良) R 1:08.9(45.3) -0.6 (タイレール)
9. 30 阪神 甲東特別 14 2 2 1.4(1人) 1着 熊沢重文 57 芝1400m(良) 1:21.8(46.5) -0.0 (ハクヨウコマンド)
10. 22 京都 貴船S 16 6 11 3.1(1人) 10着 熊沢重文 57 ダ1400m(良) 1:26.1(50.9) 1.8 ダンシングサム
11. 11 京都 比叡S 14 5 7 3.3(1人) 2着 熊沢重文 57 芝2000m(良) 2:01.5(47.2) 0.1 ミリオンハイライン
12. 3 京都 ゴールデンホイップT 12 7 10 1.8(1人) 2着 南井克巳 58 芝2000m(良) 2:00.6(48.0) 0.2 サツキオアシス
12. 16 阪神 逆瀬川S 12 4 4 2.0(1人) 3着 熊沢重文 57.5 芝1600m(良) 1:35.7(48.3) 0.6 メイショウマサムネ
1990 6. 24 中京 CBC賞 GII 16 2 4 19.9(9人) 4着 熊沢重文 57 芝1200m(稍) 1:09.1(35.0) 0.8 パッシングショット
7. 7 中京 ジュライS 14 6 10 3.2(2人) 4着 熊沢重文 57 芝1200m(良) 1:09.6(34.8) 0.9 ルイテイト
9. 9 中京 セントウルS GIII 11 3 3 12.1(5人) 3着 村本善之 55 芝1200m(良) 1:08.6(34.4) 0.1 エーコーシーザー
9. 29 中京 ムーンライトHC 9 2 2 1.6(1人) 1着 村本善之 58 芝2000m(稍) 2:01.3(34.5) -0.6 (ヤマヒサボーイ)
10. 28 東京 天皇賞(秋) GI 18 2 4 33.8(11人) 7着 村本善之 58 芝2000m(良) 1:59.0(36.7) 0.8 ヤエノムテキ
11. 25 京都 トパーズS OP 14 8 14 1.9(1人) 1着 熊沢重文 56 芝2000m(良) 2:00.1(46.7) -0.7 (ニチドウサンダー)
12. 8 京都 飛鳥S OP 10 2 2 1.3(1人) 1着 熊沢重文 56 芝1600m(良) 1:35.0(45.2) -0.3 (ヤグラステラ)
1991 1. 5 京都 金杯(西) GIII 16 8 16 2.7(1人) 1着 熊沢重文 56 芝2000m(良) 2:00.1(47.7) -0.2 (ホワイトアロー)
3. 31 京都 産経大阪杯 GII 10 2 2 3.9(3人) 2着 熊沢重文 57 芝2000m(稍) 2:01.7(47.7) 0.2 ホワイトストーン
9. 15 中京 朝日チャレンジC GII 16 3 6 9.6(5人) 7着 熊沢重文 57 芝2000m(稍) 1:59.9(35.2) 0.8 ヌエボトウショウ
10. 6 京都 京都大賞典 GII 7 3 3 9.3(3人) 5着 熊沢重文 57 芝2400m(良) 2:28.5(49.2) 2.0 メジロマックイーン
10. 26 京都 スワンS GII 16 5 9 13.9(6人) 4着 熊沢重文 57 芝1400m(良) 1:20.9(46.2) 0.3 ケイエスミラクル
11. 17 京都 マイルCS GI 15 6 10 15.4(5人) 5着 熊沢重文 57 芝1600m(良) 1:35.3(46.8) 0.5 ダイタクヘリオス
12. 7 阪神 阪神競馬場新装記念 OP 16 7 13 3.7(2人) 1着 熊沢重文 59 芝1600m(良) 1:36.1(49.0) -0.1 (ステイジヒーロー)
12. 22 中山 有馬記念 GI 15 5 8 137.9(14人) 1着 熊沢重文 56 芝2500m(良) R 2:30.6(35.3) -0.2 (メジロマックイーン)
1992 4. 5 阪神 産経大阪杯 GII 8 7 7 17.1(4人) 6着 熊沢重文 59 芝2000m(良) 2:07.1(47.9) 0.8 トウカイテイオー
4. 26 京都 天皇賞(春) GI 14 2 2 46.0(5人) 9着 熊沢重文 58 芝3200m(良) 3:24.0(51.0) 4.0 メジロマックイーン
5. 17 東京 安田記念 GI 18 6 11 21.8(8人) 8着 熊沢重文 57 芝1600m(良) 1:34.6(36.8) 0.8 ヤマニンゼファー
6. 14 阪神 宝塚記念 GI 13 7 11 11.5(4人) 8着 熊沢重文 56 芝2200m(良) 2:21.8(54.1) 3.2 メジロパーマー
7. 12 中京 高松宮杯 GII 18 8 18 9.3(5人) 14着 熊沢重文 59 芝2000m(稍) 2:02.7(39.2) 2.1 ミスタースペイン
10. 31 京都 スワンS GII 16 5 10 15.3(6人) 15着 熊沢重文 59 芝1400m(良) 1:23.8(46.8) 2.4 ディクターガール

※タイム欄のRはレコード勝ちを示す

エピソード編集

  • ダイユウサクを担当した厩務員の平田修は、当時若手であったことも影響し「未勝利馬専門」と仲間うちで呼ばれており、ダイユウサク以前に担当した馬は1頭の1勝馬を除き全て未勝利であった。ダイユウサクも入厩当初は見栄えが悪く、体力もなくてカイバが合わずに食が細ってしまうなど問題続きであったため、前任の厩務員が退職して後釜を探している際「どうせこんな馬は未勝利だ」と押し付けられてしまったのだという(平田本人いわく、「3戦目から担当になった」とのこと)。その後、滅多に担当できない「GI馬」を結果的に世話することになった彼は仲間うちで羨ましがられ、大いにやっかまれた。
  • 装蹄師は、1991年の有馬記念でダイユウサクとワンツーフィニッシュを果たしたメジロマックイーンも担当していた西内荘であった。
  • 内藤は、有馬記念の週に5枠の馬券を買って大儲けした夢を見た(実際は調教師は馬券を買うことはできない)。そのため、「もしダイユウサクが5枠にでも入ったらご祝儀と思って…」と周囲に馬券購入を勧めていた。ダイユウサクは内藤の夢のとおり5枠(8番)に入り、勝利を収めた。

血統表編集

ダイユウサク血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ニアークティック系
[§ 2]

*ノノアルコ
1971 鹿毛
父の父
Nearctic
1954 黒鹿毛
Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
父の母
Seximee
1966 栗毛
Hasty Road Roman
Traffic Court
Jambo Crafty Admiral
Bank Account

クニノキヨコ1977
鹿毛
ダイコーター
1962 鹿毛
*ヒンドスタン Bois Roussel
Sonibai
*ダイアンケー Lillolkid
Bonnie Luna
母の母
クニノハナ
1967 黒鹿毛
*ネヴァービート Never Say Die
Bride Elect
アキイヅミ クリノハナ
アサミドリ
母系(F-No.) 2号族(FN:2-c) [§ 3]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ ダイユウサク 5代血統表2017年9月4日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com ダイユウサク 5代血統表2017年9月4日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ ダイユウサク 5代血統表2017年9月4日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ ダイユウサク 5代血統表2017年9月4日閲覧。

祖母クニノハナはエリザベス女王杯の前身・ビクトリアカップの第1回優勝馬。

脚注編集

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  1. ^ 幸吉は「赤・黒襷・黒袖」、幸平は「赤・黒襷・黄袖」。
  2. ^ 松田は、ダイユウサクが有馬記念を優勝する前々年の1989年11月に膀胱ガンで他界している。
  3. ^ 仕上がりは素晴らしいものであったらしく、内藤は有馬記念の乗り役として、最初は岡部幸雄に声を掛けたという。
  4. ^ a b 『Gallop臨時増刊 週刊100名馬12 ダイユウサク』(産業経済新聞社)P9,10
  5. ^ 2012年現在においても唯一の記録である。
  6. ^ 橋元は娘などに「東京ディズニーランドに行って、そのついでに中山にでも行っておいで」と言っており、有馬記念の方がおまけ扱いであった。
  7. ^ ダイユウサクが老衰で死亡 91年有馬記念で大番狂わせV”. スポニチアネックス (2013年12月9日). 2013年12月9日閲覧。
  8. ^ 優駿2006年8月号、P22,23

外部リンク編集