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ダニエル・エルズバーグ

アメリカ合衆国の経済学者、核戦略研究者、平和運動家

ダニエル・エルズバーグ英語: Daniel Ellsberg1931年4月7日 - )は、アメリカ合衆国(米国)の経済学者核戦略研究者、平和運動家

ダニエル・エルズバーグ[1]
ジョージタウン大学にて、2014年4月22日
人物情報
全名 Daniel Ellsberg[1]
生誕 (1931-04-07) 1931年4月7日(88歳)[1]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ[1]
出身校 ハーバード大学経済学部[1]
キングス・カレッジ (ケンブリッジ大学)
学問
学位 博士号(ハーバード大学、1959年)[1]
主な受賞歴 ガンディー平和賞en:Gandhi Peace Award、1976年)
公式サイト
http://www.ellsberg.net/
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経歴編集

ミシガン州デトロイト出身[1]1952年ハーバード大学経済学部卒業[1]ケンブリッジ大学に留学[1]1954年アメリカ海兵隊に志願し入隊[1]1957年中尉退役[1]。のちハーバード大学、ランド研究所アメリカ合衆国国務省に勤務[1][2]1964年アメリカ国防総省に入り国防次官補ジョン・マクノートン(en:John McNaughton (government official))の補佐官に就任[1]ベトナム戦争を担当する中で米国のベトナム政策に批判的となり、タカ派からハト派に転向、1967年7月国防総省からランド研究所に移った[1]

1971年、自らも執筆に加わったベトナム政策決定過程に関する国防総省秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」などに持ち込んで暴露し、世論に反戦を訴えた[1][2]。スパイ防止法違反に問われ起訴されたものの公訴棄却の判決を受けた[1][2]

以来、軍縮の研究を続けつつ、平和運動に参加、米国で核廃絶をめざす超党派の運動体「マンハッタン・プロジェクト2」を主宰する[1]

日本との関係編集

1978年8月8日共同通信に「1950年代末から10年間、米軍岩国基地核兵器が貯蔵されていたのは確実」と述べた[3]1981年5月23日ワシントンD.C.記者会見し「1959年から1961年にかけて、1.1メガトン級の水素爆弾戦術核兵器を積載した揚陸艦が米軍岩国基地に停泊していた。基地地下の格納庫にも核兵器が貯蔵されていた」等と証言した[4]1978年10月[5]1982年1994年に来日した[1]

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r ダニエル エルズバーグ Daniel Ellsberg”. 現代外国人名録2012. 日外アソシエーツ (2012年). 2017年12月31日閲覧。
  2. ^ a b c ダニエル エルズバーグ Daniel Ellsberg”. 20世紀西洋人名事典. 日外アソシエーツ (1995年). 2017年12月31日閲覧。
  3. ^ ヒロシマの記録1978 8月”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社. 2017年12月31日閲覧。
  4. ^ ヒロシマの記録1981 5月”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社. 2017年12月31日閲覧。
  5. ^ ヒロシマの記録1978 10月”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社. 2017年12月31日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク編集