ダリル・フランシス・ザナックDarryl Francis Zanuck, 1902年9月5日 - 1979年12月22日)は、アメリカ合衆国映画プロデューサー脚本家。息子のリチャード・D・ザナックもプロデューサーとなった。

ダリル・F・ザナック
Darryl Francis Zanuck
Darryl Francis Zanuck
生年月日 (1902-09-05) 1902年9月5日
没年月日 (1979-12-22) 1979年12月22日(77歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ネブラスカ州
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 パームスプリングス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
身長 168 cm
職業 映画プロデューサー脚本家
ジャンル 映画
活動期間 1922年 - 1973年
配偶者 ヴァージニア・フォックス(1924年 - 1956年)
 
受賞
アカデミー賞
アービング・G・タルバーグ賞
1937年1944年1950年
その他の賞
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略歴 編集

ネブラスカ州で生まれ、ロサンゼルスで育つ。14歳の時に年齢を偽ってアメリカ陸軍に入隊し、州兵としてフランスで従軍。帰国後、様々な仕事に就きながら作家となるべく売り込みを続け、1922年に初めての脚本を売ることが出来た。その後マック・セネットの元で働き、さらに1924年から1929年までワーナー・ブラザースで多くの脚本を執筆した。1929年以降はマネジメントに移行し、1933年にワーナーを去ってウィリアム・ゴーツらと共に映画制作会社20世紀ピクチャーズを設立。20世紀ピクチャーズは1935年フォックス・フィルムを買収し20世紀フォックス(2020年より20世紀スタジオに改名)となり、ザナックは副代表として数多くの作品に携わった。

制作した『わが谷は緑なりき』『紳士協定』『イヴの総て』の3本がアカデミー作品賞を受賞。ザナック自身も、1937年アービング・G・タルバーグ賞の第1回受賞者となった後、1944年1950年にも同賞を受賞した。

1950年代には一線から退き、ヨーロッパインディペンデント映画などに関わるようになったが、後に復帰して『史上最大の作戦』などを手がけた。

手がけた作品 編集

 
史上最大の作戦』(1962年)

受賞歴 編集

ゴールデングローブ賞 編集

受賞
1954年 セシル・B・デミル賞

脚注 編集

関連文献 編集

外部リンク 編集