ダン・ラトゥシュニー(Dan Ratushny 1970年10月29日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州ネピーアン出身の元プロアイスホッケー選手。ポジションはディフェンスマン

獲得メダル
男子アイスホッケー
 カナダ
オリンピック
1992

経歴 編集

現役時代 編集

コーネル大学の1年次、1989年のNHLドラフト英語版ウィニペグ・ジェッツから指名されたが、入団せずに大学にとどまった。攻撃的なディフェンスマンであり、大学3年次には26試合で31ポイントをあげて、ECACカンファレンスのファーストチームに1990年、1991年と選ばれた。1990年のアイスホッケーU20世界選手権では金メダルを獲得した。アイスホッケーカナダ代表に選出され、大学を退学し、アルベールビルオリンピック出場。同大会ではで銀メダルを獲得した。

アルベールビルオリンピックで銀メダルを獲得したものの、ウィニペグ・ジェッツとの契約は難航し、そのシーズンはスイスでプレーした。1992-93シーズンはIHLフォートウェイン・コメッツでプレー、NHLのシーズントレードデッドラインぎりぎりにバンクーバー・カナックスにトレードされた。この年のロサンゼルス・キングス戦へ出場し、スーパースターのリュック・ロビタイユ英語版に果敢なボディチェックを行った。翌シーズンからNHLで活躍することが期待されたが、トレーニングキャンプでAHL送りとなり、その後はNHLでプレーすることはなかった。1995年にカナックスからカットされた。その後もマイナーリーグでプレーした後、1999年に日本アイスホッケーリーグ西武鉄道アイスホッケー部に入団したが1シーズンでチームを去った[1]。その後はフィンランドSMリーガスコットランドスウェーデン2部リーグでプレーした。

引退後 編集

1997年にコーネル大学に復学し卒業、その後HEC経営大学院MBAを取得した。大学院卒業後はトロント弁護士をしていた。

2009-10シーズンにはかつてプレーしたスイスのEHCオルテンのヘッドコーチに就任、その後シュトラウビング・ティーゲルスのヘッドコーチに就任している[2]

脚注 編集

  1. ^ 『第36回日本アイスホッケーリーグ観戦ガイド』228頁 日本アイスホッケー連盟 2001年
  2. ^ Ein Newcomer wird Trainer in Straubing; Rechtsanwalt mit Eishockey im Blut ist neuer Chef an der Bande: Dan Ratushny” (2011年3月30日). 2011年8月28日閲覧。

外部リンク 編集