ダン・レアリー

アイルランドのダブリン近郊にある町

ダン・レアリーDún Laoghaire)は、アイルランドダブリン州ダン・レアリー=ラスダウン市に位置する町。

ダン・レアリー

Dún Laoghaire
View of Dun Laoghaire from Ferris Wheel.JPG
観覧車からのダン・レアリーの眺め
ダン・レアリーの位置(ダブリン内)
ダン・レアリー
ダン・レアリー
アイルランドにおける位置
ダン・レアリーの位置(アイルランド内)
ダン・レアリー
ダン・レアリー
アイルランドにおける位置
座標:北緯53度18分 西経6度08分 / 北緯53.30度 西経6.14度 / 53.30; -6.14座標: 北緯53度18分 西経6度08分 / 北緯53.30度 西経6.14度 / 53.30; -6.14
アイルランド
地方 レンスター
伝統的な州 ダブリン州
ダン・レアリー=ラスダウン
標高
24m
人口
(2016)[1]
 • 合計 26,525人
  近隣地区を含む(グレナゲリー、サリーノギン、ソルトヒルなど)
エールコード
(ルーチングキー)
A96
市外局番 01 (+3531)
ウェブサイト dunlaoghairetown.ie

概要編集

ダン・レアリーDún Laoghaire[dʌn ˈlɪəri]アイルランド語: [d̪ˠuːn̪ˠ ˈl̪ˠeːɾʲə]または[d̪ˠuːn̪ˠ ˈl̪ˠiːɾʲə])はダブリンから南に12kmに位置する町。まれに「Dún Laoire」や英語化されて「Dunleary」と綴られることもある。2016年現在、総人口は、26,525人であり、ダン・レアリー=ラスダウン市の中心街でもある。ダブリン郊外のシーサイドタウンである。ダン・レアリーは、ダブリンへ運航する主要な港の建設を許可した1816年の法律に従って建設された。イギリス王ジョージ4世が訪れたことを記念して、1821年にキングスタウンと改名されたが、現在、英語化された綴りよりもアイルランド語の綴り 「Dún Laoghaire」 で表記されることが通常である。アイルランドの独立の前年の1920年にアイルランド古来の名前に復元された。時間の経過とともに、町は住宅地、海辺のリゾート地、そしてアイルランドの最初の鉄道駅の終点となった。

ダン・レアリーの港湾はかつてウェールズホーリーヘッドとフェリーで結ばれ、アイルランドからイギリスへの主要な海上交通の入口となっていた。近くのサンディコーブにはジェイムス・ジョイスタワーとして知られるマーテロー塔がありジェイムズ・ジョイスの資料館となっている。

地名編集

 
海洋博物館のステンドグラスの窓のロガー

ダン・レアリーは「レアリーの砦」を意味する[15]。これは、5世紀アイルランド上王であるロガー・マック・ニール(Lóegaire mac Néill、現代の綴り:Laoghaire Mac Néill)を指しており、イギリスガリアを襲撃する海の基地としてこの場所を選んだ。また、この土地で聖パトリックにキリスト教の布教活動を許したことで知られる。海岸には当時の要塞の痕跡があり、一部は海事博物館に保管されている。

Dún Laoghaire」と綴られているのが、現代のアイルランドの正書法での正式名称である。時節、非公式に「Dún Laoire」と綴られている[16][17]。英語化した「Dunleary」の古い綴りも見られるが[16][18]、当町の英語での発音に近い。

歴史編集

 
1895年頃、キングスタウンとして知られているダン・レアリーの港湾

ダン・レアリーの起源は一般に、レアリーに属していた可能性が高い砦に遡ると推定されている[15]1728年地図は、古い港にある小さな漁村を示し、「Dunlary」として示されている。当時、この地域は岩だらけの牧草地で、採石場がいくつかあった[19]

1807年11月18日から19日の夜にかけて、ダブリン港を出発した2隻の軍艦、プリンス・オブ・ウェールズ号とロッチデール号がブラックロックとダン・レアリーの間の岩に衝突し、400名以上が死亡した。これにより、ダブリン付近に新たな港を建設するという既存の計画が進められた。1816年までに、現在の「ウェストピア(西桟橋)」と呼ばれる堤防の建設を認可する法律が可決された。1821年イギリス王ジョージ4世が建設中の新しい港を訪れ、ダン・レアリーの町名は「キングスタウン」に改称された。当町は1920年アイルランド自由国の成立に向け、以前の名称に戻った。

1834年に開通したダブリン市内からキングスタウンへ向かうアイルランドの最初の鉄道は、西桟橋の近くを終点とした。これにより、人気のダブリン郊外となり、住宅街の建設につながった。1844年までに、ロバート・マレットの設計によるドルキー大気圧鉄道がキングスタウンをドルキーに接続し、さらなる発展をもたらした。ドルキー大気圧鉄道は1854年に廃止されたが、鉄道の延長に置き換えられ、その後ロスレアのフェリーポートに延長された。ダブリンから鉄道が開通したことで、キングスタウンはビクトリア朝時代の海辺のリゾートになった。

1890年、キングスタウンの町の委員が枯渇した採石場の跡地にピープルズ・パークが開園された。1900年までに、町の中心部は混雑し、通りを広げる措置がとられた。この工事により、パトリック通りからマルグレイブ通りへのジョージズ通りの店舗間口の解体、および新しい間口への交換が約4.5m後退した。マリン通りとジョージズ通りの角にある小店も取り壊された。

モンクスタウンとブラックロックを経由するダブリンへの主要道路は、1932年までダブリン市への唯一の道路接続だった。同年、聖体大会は何千人もの訪問者をダブリンにもたらし、ダン・レアリーを通って来る計画を明らかにした。しかし、この道路は不適切と見なされ、最終的には海岸道路がいくつかの短い通りを接続し、庭園を閉鎖する道路が建設された。これが現在のシーポイント通りである。

ダン・レアリーは第二次世界大戦中にドイツの爆弾に襲われ、そのうちのいくつかはダン・レアリーの境目にあるピープルズ・パーク付近のロスミーン・ガーデンズ通り、ロスミーン・パーク通りに落とされた。爆弾による負傷者はなく、建物の崩壊のみだった[20]

政治編集

 
空中から見たダン・レアリーと港湾
 
東桟橋の端にある灯台

ダン・レアリーはかつてダン・レアリー自治区の中心であり、2013年までは独自の職業教育委員会を持つアイルランドで唯一の町だった。現在は、グレーター・ダブリン・エリア(大ダブリン地域)の一部と見なされている。

ダン・レアリーは、ダン・レアリー=ラスダウン市庁舎の本拠地があり、地域の公共サービスと設備を管理している。また、6名の議員を選出するダン・レアリー地方選挙区の一部でもある。

ドイル・エアランでは、ダン・レアリーは現在フィナ・ゲール党から3名、連帯-利益の前に人民党から1名の計4名の国会議員(TD)によって代表さている。

特徴編集

国内最大のの1つであるダン・レアリー港湾には、2つの花崗岩桟橋がある。東桟橋は特に歩行者に人気があり、1996年の映画『マイケル・コリンズ』の撮影現場のひとつでもある。コリンズ役のリアム・ニーソンと2人の共演者が海辺の遊歩道に沿って歩いているところが見られる。このシーンでは、バンドスタンドで野外ステージで演奏されているバンドがあり、東桟橋の実際の野外ステージである。2010年にダン・レアリー・ハーバー・カンパニーによって元の状態に復元された[21]

1817年から1859年まで、港湾の建設には42年かかった。旧フェリーターミナル近くのオベリスクは、建設を記念している。

灯台は東桟橋の端にあり、アイリッシュ・ライト委員会(アイルランドの灯台総局)の本部はハーバー通りに位置する。

港湾の南にはスコッツマンズ・ベイがあり、ビクトリア朝風の海辺の遊園地があり、散歩コース、避難所浴場があった。現在、散歩コースと避難所はほとんどそのままである。ダン・レアリー浴場は長年廃墟となっているが、2012年に明るい色に塗り替えられた[22]。この地域の復旧計画については多くの議論が交わされており、より野心的な提案は物議を醸している。

伝統的なビクトリア朝風の公園であるピープルズ・パークは、ジョージ通りの東端にあり、現在も運営されているティールームがある。

2016年には、大規模な中央図書館が港湾付近に建てられた[23]

 
ダン・レアリーの遊歩道

交通編集

 
ヴィクトリア女王噴水

ダン・レアリーは、ダブリン高速輸送(DART)、ダブリン通勤列車南東部線、ロスレア・ユーロ港まで走るインターシティにより結ばれている。また、7番線、7A番線、45A番線、46a番線、59番線、63番線、75番線、111番線のバス路線もあり、ダブリンバスとゴー=アヘッド・アイルランドが運行している[注釈 1]。ダン・レアリー・マリン駅は、63番線、75番線、46A番線の終点のそばにある。駅からダブリン空港へ向かう746番線のバスは2010年10月に廃止された。ダン・レアリー周辺には、サンディコーブ&グラススール駅、ソルトヒル&モンクスタウン駅が近辺にある。

空港リムジンバスのエアコーチは、ダン・レアリーとダブリン空港を24時間体制で結び、市庁舎とロイヤル・マリン・ホテルに停車する。703番線は、キライニーからドルキー、グラススール、ダン・レアリー、モンクスタウン、ブラックロック、ブーターズタウン、タラ・タワーズ・ホテル、ストランド通り、ザ・ポイント(3アリーナ)を経由し、ダブリン空港まで運行している[24]

鉄道の歴史編集

1834年に建設され開通したダブリン&キングスタウン鉄道は、アイルランドで最初の鉄道であり、標準軌で建設された。南方への延長は、1844年に公に開通した標準軌のドルキー大気圧鉄道によるもので、同国の初めての大気圧鉄道だった。1850年代に、ダブリン&ウィックロー鉄道が両路線を引き継ぎ、両方をアイルランド軌道(1,600mm)に変換し、蒸気機関車でさらに南に向かってウィックロー州ブレイまで延長した。鉄道を運営している後継企業は年代順に、ダブリン南東鉄道、グレートサザン鉄道、アイルランド交通システム、アイルランド国鉄(現在)である。その後、鉄道は南に延長され、ウェックスフォード、ロスレア港湾、ウォーターフォードに至った。1890年に北方に向けて、路線は他の鉄道と接続するダブリン・コノリー駅まで延長された[25]。電化工事は1984年に完成し、アイルランドで初めての電車であるダブリン高速輸送(DART)が運行されるようになった。

フェリー編集

19世紀から、ダン・レアリーはアイルランドイギリス間のフェリーの主要な旅客港であり、ウェールズアングルシー島にあるホリーヘッドに頻繁に運航していた。21世紀初頭に、ステナラインのステナエクスプローラーは各方向に1日3回運航していたが、格安航空会社との競争と燃料費の増加により、2008年には1日1回に減り、 2015年初頭から、ステナラインはホリーヘッド線をダブリン港に集中させ、ダン・レアリーへの運航を中止した[26]

歩行者空間編集

2000年代初頭、ローワー・ジョージ通りは歩行者空間を設置し、ダブリン中心部へのバス路線を除いて、すべての一般交通を禁止した。この制限は2008年後半に撤回された。

スポーツ編集

 
ダン・レアリー港湾のヨット

ボート編集

ダン・レアリーの港湾には、西桟橋に敷地があるダン・レアリー・モーターヨットクラブ、西桟橋のふもとにあるアイルランド国立帆走学校&クラブなど、多くのヨットクラブがある。

ソルトヒルビーチの西桟橋の北にあるエリアでは、年間にわたってウィンドサーフィンが頻繁に行われている。

ゴルフ編集

ダン・レアリーには1909年から2007年までゴルフ場があったが、住宅開発業者に売却し、ウィックロー州のエニスケリー付近のバリーマン通りに移動することに同意した。

教育編集

 
ダン・レアリー継続教育

ダン・レアリーには、以下の3つの第3期教育機関がある。

ダン・レアリーの主な小学校は、ドミニカン小学校や、グラススールのハロルド国立学校などがある。また、モンクスタウンにホリー・ファミリー国立学校や、モンクスタウン・エデュケート・トゥゲザー国立学校(METNS)などもある。

ダン・レアリーは、人口が周辺地域にシフトしたため、過去20年間にいくつかの中等学校が閉鎖された。 1856年に設立され、1992年に閉鎖されたCBSエブラナ(エブラナから移転した有料学校C.B.C.モンクスタウンは現在に至っている)や、1991年に予定より1年前に閉鎖されたドミニカ修道院の女子校や、1902年に設立され、2007年に閉鎖されプレゼンテーション・ブラザーズ、グラススールなどがある。また、ダン・レアリー・コミュニティ・カレッジは、1996年継続教育機関になり、その後現在のダン・レアリー継続教育(DFEi)に変更された。

ショッピングとビジネス編集

 
ジョージ通り

ダン・レアリーには、1つの主要なショッピング街、ジョージ通り、およびダン・レアリー・ショッピングセンターとブルームフィールズの2つのショッピングセンターがある。市庁舎の向かいには、映画館と劇場がある。隔月で、日曜日に港湾の近くのロイヤル・マリン・ホテルで開催される定期的な骨董品市場と、日曜日にピープルズ・パークで毎週開催されるマーケットがある。ダン・レアリー・ショッピングセンターは改修工事がなされる予定である[28]

さまざまな飲食店や公営住宅があり、他にも100を超える小売企業がある。アイルランド最大のスーパーマーケットチェーン店であるテスコ・アイルランドが本社を置いている。以前は、1977年以来、ダン・レアリー・ショッピングセンターにあったが、2011年5月に閉鎖され、ブルームフィールズに移転した。ダン・レアリー・ショッピングセンターのテスコは、その後、テスコのライバル店であるスーパバリュに置き換えられた。

ダン・レアリーは、アイルランド海漁業委員会の本社やライオンブリッジの拠点などの本社がある。

医療機関編集

ダン・レアリーには、セント・マイケルズ病院のほか、多くの私立クリニックがある。

観光編集

ダン・レアリーの初期の成長の多くはダブリン市内からの訪問者によるものであり、今日では2007年に大規模に改装されたロイヤル・マリン・ホテル、小規模なホテル、および多数のベッド・アンド・ブレックファストがある。

桟橋散歩編集

 
ダン・レアリー港湾の東桟橋

ダン・レアリー港湾の西桟橋、東桟橋を散歩目的で訪れる観光客が多い。

クルーズ船編集

2011年、ダン・レアリー港湾は、観光地としてのダン・レアリーの開発に焦点を当てた計画を発表した。具体的には、フェリーとクルーズ船の両方の主要な場所として、ダンレアリー港湾を宣伝することを中心に展開された。それ以来、多くのクルーズ船は、通常5月から7月にかけて、ダン・レアリーに停泊した。最初に到着した船は5月16日のキュナードライナーのクイーン・メリー2で、P&Oのアーケイディア7月9日に到着した。クイーン・メリー2は当時、世界で7番目に大きいクルーズ船で、最大乗客数は約3,000人だった[29]。ダン・レアリーを訪問する他の大型船には、クイーン・エリザベス2と空母ジョン・F・ケネディがある。

ダブリン湾クルーズ編集

ダブリン湾クルーズは、ダン・レアリーからホウスまで1日に2回出航する。風光明媚な運行は約75分かかり、フェリーは午前11時と午後3時に出航する。

アウトドア観光編集

2013年7月、初めての観光局がダン・レアリーに開業した。カヤックカイトサーフィン、パドルボーディング、セーリングサイクリングロッククライミング用の設備を利用できる。

文化編集

 
修復されたマリナーズ教会の国立海事博物館

ダン・レアリーは、多くの著名な文化的人物、特にジェイムズ・ジョイスサミュエル・ベケットと関係がある。ユリシーズの第2章では、ジョイスはキングスタウン桟橋を「失望した橋」と呼んでおり、冒頭の章ではサンディコーブにあるマーテロー塔でのオリバー・セント・ジョン・ゴガーティとの滞在に基づいている。ジェイムズ・ジョイスタワーには、現在小さな博物館がある。サミュエル・ベケットはフォックスロック出身で、演劇『クラップの最後のテープ』で暗示され、ダン・レアリーの桟橋の1つの端に座っている間、芸術的な発想を経験したと言われている。現在、青銅記念碑がその場所を示している。

ビートルズの曲『ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト』で不死化した黒い乗馬とサーカスのオーナーであるパブロ・ファンクは、1850年にダブリンでの婚約中に1週間ここで演奏した[30]

1991年8月、シアトルのニルヴァーナがシルクハットで演奏した[31]

ダン・レアリーは以前、世界文化の祭典である3日間のフェスティバル・オブ・ワールド・カルチャーを開催していた。アイルランドで最大の音楽祭の1つで、8月の週末に25万人以上の人々が町を訪れた。祭りは9年間(2001〜2010年)大きな成功を収めたが、ダン・レアリー=ラスダウン市議会は2010年に大きな損失のため、祭りの開催を中止することを決定した[32]

新しい専用劇場、パビリオン・シアターが2000年に開業した。1903年のキングスタウン・パビリオンの敷地に建てられ、ダン・レアリー=ラスダウンの市立劇場として機能し、国際人形劇フェスティバル、ダブリン演劇祭などの数多くの祭りの開催地となっている。

アイルランド国立海事博物館は、以前は海軍に奉仕していたマリナーズ教会にある。東桟橋から直接内陸にあり、建物は完全に改装され、再開された[33]

海洋博物館の隣には、ダン・レアリー=ラスダウン市の中央図書館および文化センターであるDLRレキシコンがある。2014年に会館となり、1912年にライブラリ通りに開館したカーネギー図書館に取って代わった。推定3660万ユーロの費用がかかったこの建物は、その規模とデザインのため、開館前に多くの批判を集めた[34]

ライブラリー通りの外には、「ケルトのルネサンス芸術の宝石」と呼ばれる聖心の礼拝堂(4m x 6m)がある[35]。建築家であるジョン・J・ロビンソンによって設計され、スーパーマーケットテスコがあるブルームフィールズの敷地にあった旧ドミニコ修道院のためにシニア・リンチによって装飾された。

出身者編集

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ ゴー=アヘッド・アイルランドは2018年9月以降運行開始。

出典編集

  1. ^ 人口はダン・レアリーの町域ではなく次のダン・レアリー選挙区を含む: 042 East Central Archived 21 January 2018 at the Wayback Machine. 043 Glasthule Archived 21 January 2018 at the Wayback Machine. 044 Glenageary Archived 21 January 2018 at the Wayback Machine. 045 Monkstown Farm Archived 21 January 2018 at the Wayback Machine. 046 Mount Town Archived 21 January 2018 at the Wayback Machine. 047 Sallynoggin East Archived 21 January 2018 at the Wayback Machine. 048 Sallynoggin South Archived 21 January 2018 at the Wayback Machine. 049 Sallynoggin West Archived 22 January 2018 at the Wayback Machine. 050 Sandycove Archived 21 January 2018 at the Wayback Machine. 051 Salthill Archived 21 January 2018 at the Wayback Machine. 052 West Central Archived 21 January 2018 at the Wayback Machine.
  2. ^ http://www.histpop.org Archived 7 May 2016 at the Wayback Machine.
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外部リンク編集