ダーク・ジョン・ヴラグ(Dirk John Vlug[1], 1916年8月20日 - 1996年6月26日)は、アメリカ合衆国の軍人。アメリカ陸軍の軍人として第二次世界大戦に従軍した。名誉勲章受章者。

ダーク・J・ヴラグ
Dirk J. Vlug
グランドラピッズで催された帰国記念パレードでのヴラグ(左)
生誕 (1916-08-20) 1916年8月20日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミネソタ州メープルレイク英語版
死没 1996年6月25日(1996-06-25)(79歳)
所属組織 アメリカ陸軍
軍歴 1941年 - 1951年
最終階級 曹長(Master Sergeant)
墓所 グリーンウッド墓地
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経歴 編集

 
撃破した日本軍戦車(九五式軽戦車)の隣に立つヴラグ

1916年、ミネソタ州メープルレイクにて生を受ける。

1941年4月、ミシガン州グランドラピッズにて陸軍に入隊する[2]。配属先は当時ルイジアナ州キャンプ・リビングストン英語版に駐屯していた第32歩兵師団第126歩兵連隊英語版だった[3]。1944年12月15日、フィリピン戦線のレイテ島リーモン(Limon)へと派遣されたヴラグ上等兵(Private First Class)は、単独で5両の日本軍戦車を破壊するという戦果を挙げた。

1946年6月26日、ヴラグに対する名誉勲章の授与が行われた。当時、ヴラグは既に陸軍を除隊し、アメリカン・シーティング社(American Seating Co.)の工場で機械操作員として働いていた[4]。彼はグランドスピッズ市民としては最初の名誉勲章受章者だった。

1949年5月よりミシガン州兵英語版に勤務し、1951年1月に曹長(Master Sergeant)として退役した[5][3]

1996年、79歳で死去した。遺体はグランドラピッズのグリーンウッド墓地(Greenwood Cemetery)に埋葬された。

名誉勲章勲記 編集

ヴラグに授与された名誉勲章の勲記には、次のように記されている。

オルモック街道のアメリカ軍検問所が敵戦車隊の攻撃を受けた時、彼は課せられた義務を凌駕する類稀なる武勇と勇敢を示したのだ。機関銃と37mm砲による激しい砲撃の中、彼はロケットランチャーと6発の弾を持ち、遮蔽物から飛び出した。自力でロケット弾を込めた後、一発の射撃を以って搭乗員を全員殺害し、まずは1両目の戦車を破壊した。2両目の戦車の乗員らは下車して彼を攻撃しようと試みたが、彼はピストルでそのうち1人を射殺した。他の兵士は戦車の中へ再び逃げ込んだが、2発目のロケット弾がこの戦車を破壊した。残り3両の戦車が道路上に移動すると、彼は先頭車両の側面からこれを撃破し、敵からの激しい応射を受けつつ、再び前面へ移ってもう1両を破壊した。最後の射撃によって敵戦車は擱座し、それが原因で急な土手を転がり落ちていった。多勢の敵を前にしながらも揺るがぬ勇気を以って、ヴラグ上等兵は単独で5両の敵戦車を破壊し、大隊の任務遂行を容易にしたのである。

脚注 編集

  1. ^ Valor awards for Dirk John Vlug”. Militarytimes.com. 2015年6月22日閲覧。
  2. ^ NARA - AAD - Display Full Records - Electronic Army Serial Number Merged File, ca. 1938 - 1946 (Enlistment Records)”. NARA. 2015年6月22日閲覧。
  3. ^ a b Medal of Honor Recipients from the 32D 'Red Arrow' Infantry Division”. The 32D 'Red Arrow' Veteran Association. 2015年6月22日閲覧。
  4. ^ Grand Rapids GI, Who Destroyed 5 Tanks, Honored”. Ludington Daily News (1946年5月24日). 2015年6月22日閲覧。
  5. ^ Dirk J. Vlug, Private First Class, U.S. Army”. MDMVA英語版. 2012年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月22日閲覧。

参考文献 編集

  • "ダーク・ヴラグ". Claim to Fame: Medal of Honor recipients. Find a Grave. 2007年9月18日閲覧