チェーディー・シースリヨータイ

チェーディー・シースリヨータイ(Chedi Si Suriyothai 〈Chedi Sri Suriyothai〉、タイ語: พระเจดีย์ศรีสุริโยทัย、プラ・チェーディー・シースリヨータイ〈Phra Chedi Sisuriyothai、タイ語: เจดีย์พระศรีสุริโยทัย〉シースリヨータイ王妃の仏塔)は、タイ中部アユタヤ県アユタヤの川に囲まれた旧都である島の西側、チャオプラヤー川のほとりに位置する仏塔(チェーディー)である[1]

チェーディー・シースリヨータイ
พระเจดีย์ศรีสุริโยทัย
Chedi Si Suriyothai
Ayutpchedisuriyothai0605a.jpg
基本情報
座標 北緯14度21分10秒 東経100度32分51秒 / 北緯14.35278度 東経100.54750度 / 14.35278; 100.54750座標: 北緯14度21分10秒 東経100度32分51秒 / 北緯14.35278度 東経100.54750度 / 14.35278; 100.54750
宗教 仏教
地区 プラナコーンシーアユッタヤー郡
アユタヤ県
タイ王国の旗 タイ
完成 16世紀
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仏塔は、アユタヤ王朝の王チャクラパット(在位1548-1569年)とビルマタウングー王朝バインナウンとの戦闘(第一次緬泰戦争)において、1549年[2]、王チャクラパットを守ろうとして死亡したとされる王妃シースリヨータイの遺骨を祀るとされる[2][3]

歴史編集

スリヨータイは、タイ女性の栄誉の象徴であり、タイ史上における最高のヒロインである[1][2]。王チャクラパットは第一次緬泰戦争の後、その戦闘のうちに死亡した王妃シースリヨータイの遺体をスワンルワンよりアユタヤに運び、王宮の敷地で火葬に付した[4]

シースリヨータイの墓所は、チャクリー王朝の王ラーマ5世(在位1868-1910年)が史書編纂の実地調査のなかで仏塔を見いだし、その場所が同定された。その後、王ラーマ6世(在位1910-1925年)により仏塔は「チェーディー・プラ・シースリヨータイ」 (“Chedi Phra Sri Suriyothai”) と名付けられた[4]

1990年、シースリヨータイの仏塔はタイ芸術局により修復された。その修復のうちに多くの遺物が発見され、それらは現在、チャオ・サーム・プラヤー国立博物館英語版に収蔵されている[4]

構造編集

チェーディー・シースリヨータイは、正方形の基壇上に立ち、現在は下層部より白く装飾され、尖塔に向かって金箔が施されている。仏塔の北側に扉を備える。仏塔は王妃が火葬されたかつての王宮 (Wang Lang、タイ語: วังหลั่ง〈リア宮殿、Rear Palace〉[5]) の敷地に建立されたが、王宮の痕跡は現存しない。また、この仏塔がシースリヨータイの伝承のものかどうかについても諸説ある[6]

脚注編集

  1. ^ a b 中村浩『ぶらりあるきチェンマイ・アユタヤの博物館』芙蓉書房出版、2016年、168-169頁。ISBN 978-4-8295-0701-8
  2. ^ a b c 『タイの事典』石井米雄・吉川利治、同朋舎出版、1993年、148頁。ISBN 4-8104-0853-1
  3. ^ 高杉等『東南アジアの遺跡を歩く』めこん、2001年、244頁。ISBN 4-8396-0144-5
  4. ^ a b c Phra Chedi Sisuriyothai”. amazing Thailand. Tourism Authority of Thailand. 2017年9月27日閲覧。
  5. ^ Rear Palace (วังหลั่ง)”. Histry of Ayutthaya. Ayutthaya Historical Research (2015年3月). 2017年9月27日閲覧。
  6. ^ Phra Chedi Sri Suriyothai (พระเจดีย์ศรีสุริโยทัย)”. Histry of Ayutthaya. Ayutthaya Historical Research (2015年3月). 2017年9月27日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集