チッパー・ジョーンズ

アメリカの野球選手 (1972 - )

ラリー・ウェイン・ジョーンズLarry Wayne Jones, 1972年4月24日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ボルーシャ郡デランド英語版出身の元プロ野球選手三塁手左翼手)、野球指導者。右投両打。2021年シーズンよりMLBアトランタ・ブレーブスの打撃コンサルタントを務める。

チッパー・ジョーンズ
Chipper Jones
アトランタ・ブレーブス 打撃コンサルタント #10
現役時代
(2012年4月18日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州ボルーシャ郡デランド英語版
生年月日 (1972-04-24) 1972年4月24日(51歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 三塁手左翼手
プロ入り 1990年 MLBドラフト1巡目(全体1位)でアトランタ・ブレーブスから指名
初出場 1993年9月11日
最終出場 2012年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • アトランタ・ブレーブス (2021 - )
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2006年2009年
殿堂表彰者
選出年 2018年
得票率 97.2%
選出方法 BBWAA

プロ生活のすべてをブレーブスで過ごし、「チームの顔」と称されたフランチャイズ・プレイヤーであり、1995年から2005年までのブレーブスの黄金時代(この間、ナショナルリーグ東地区を11連覇している)を支えた[1][2]。「史上最高の両打ち打者」[3]との呼び声がある。父親に非常にそっくりだったため、「ア・チップ・オフ・ジ・オールド・ブロック(A chip off the old block:親にそっくりな男の子)」という言葉から「チッパー」の愛称で呼び親しまれるようになった[4]

2018年アメリカ野球殿堂入りを果たした[5]

経歴 編集

プロ入り前 編集

ボールズ高等学校で投手遊撃手として頭角を現し、アラン・トランメルカル・リプケン・ジュニアと比較された[6]。最終学年となった1990年は打者として打率.488、5本塁打、25打点、投手として7勝3敗、防御率1.00を記録し、フロリダ州の高校最優秀選手に選出された[6]

現役時代 編集

1990年MLBドラフト1巡目(全体1位)でアトランタ・ブレーブスから指名を受け、プロ入り。強打を生かすため野手に専念し、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ブレーブスでプロのスタートを切った[7]。痛めた手の回復に四苦八苦したためバットスピードは本来のものではなく[6]、打率.229、1本塁打、守備では18失策と振るわなかった。1991年はA級メイコン・ブレーブス英語版で打率.326、15本塁打・98打点、40盗塁、11三塁打、1992年はA+級ダーラム・ブルズとAA級グリーンビル・ブレーブスの2球団合計で打率.311、13本塁打、73打点、24盗塁、12三塁打を記録した[8]1993年はAAA級リッチモンド・ブレーブスで打率.325、13本塁打、89打点、23盗塁、12三塁打の好成績[8]を挙げてメジャーに初昇格し、9月11日のサンディエゴ・パドレス戦でこの年リーグ2番目の若さで[9]メジャーデビュー。1994年は開幕前に左膝靭帯断裂のアクシデントに見舞われ、1年を棒に振った[7]

ストライキ明けの1995年テリー・ペンドルトンの移籍に伴い、三塁手へ転向した[7]。レギュラーの座を確保し、メジャーの新人としては1位の86打点、同じく2位の23本塁打、139安打、73四球を記録[10]し、チームの地区優勝に貢献した。コロラド・ロッキーズとのディビジョンシリーズでは第1戦で決勝本塁打を含む2本塁打を放つ[11]シンシナティ・レッズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.438の活躍で、チームは3年ぶりのリーグ優勝。クリーブランド・インディアンスとのワールドシリーズを4勝2敗で制し、結果的に自身最初で最後のワールドチャンピオンに輝いた。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では野茂英雄と14ポイント差の2位に入った[12]

1996年は前半戦で打率.300、17本塁打、66打点を記録[13]し、オールスターに初選出されて先発出場を果たした。後半戦で打率.321、出塁率.424[13]を記録し、打率.309、30本塁打、110打点、114得点、出塁率.393の好成績で、球団史上1985年デール・マーフィー以来となる「3割・30本塁打・100打点・100得点」を達成した[14]。チームは地区連覇を果たし、ロサンゼルス・ドジャースとのディビジョンシリーズでは、第3戦で前年新人王を争った野茂から2点本塁打を放つ[15]セントルイス・カージナルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.440の活躍で、チームはリーグ連覇。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズは2勝4敗で敗退した。MVPの投票では4位に入った[16]1997年は打率.295、21本塁打、111打点、アトランタ移転後の球団記録となる41二塁打を記録した[17]

夫人以外の女性との間に子供ができたことが発覚したため、1999年開幕直前の3月30日に離婚訴訟となり、プレーへの影響を心配する声があった[18]が、「私生活では辛い時期だったからこそ、フィールドでは野球に集中した。球場に来たときが一番ホッとした。野球に集中していれば、辛いことはすべて忘れられたからね」と、この集中力で結果を残した[18]。地区2位のニューヨーク・メッツに1ゲーム差に迫られて迎えた9月21日からの直接対決3連戦では、初戦で2本塁打を放ってトッド・ハンドリーが持つスイッチヒッターのシーズン本塁打リーグ記録41を更新した[19]。22日・23日にも1本塁打ずつ放ってメッツをスウィープし、MVPに推す声が高まった[18]。最終的に打率.319、41二塁打、45本塁打、110打点、126四球、116得点、25盗塁、出塁率.441、OPS1.074を記録し、史上初となる「3割・40二塁打・40本塁打・100打点・100四球・100得点・20盗塁」を達成[19]し、チームの3年ぶりのナ・リーグ優勝に大きく貢献。ヤンキースとのワールドシリーズではチーム唯一の本塁打を放ったが、4連敗で敗退した[20]。自身初のMVPに選出され、シルバースラッガー賞も初受賞した。また、このシーズン45本塁打25盗塁は数少ない記録者の一人として扱われることがある[21]

2000年2001年から6年総額9000万ドルで契約を延長[22]。2001年まで三塁手としての守備率が.949で好守とは言い難く、ビニー・カスティーヤの加入に伴い、2002年からは左翼手にコンバートされた[7]2004年も開幕から左翼手としてプレーしていたが、シーズン途中で三塁へ再コンバートとなった[23]。8月16日のサンディエゴ・パドレス戦では通算300本塁打を達成した[24]。しかし同年はキャリアワーストの打率.248、96打点で連続100打点以上が8年で途切れるなど不本意な成績に終わった。

2005年は開幕から三塁手としてプレーし、最初の14試合で打率.396、4本塁打、10打点と順調な滑り出しを見せた。しかし、4月24日の試合で本塁に向けて走る際に左足を負傷した。6月5日のピッツバーグ・パイレーツ戦で同箇所を再度負傷して翌日から故障者リスト入りし、約6週間の長期離脱を余儀なくされた。8月2日のレッズ戦でダイビングキャッチを行った際に右肩を負傷し7試合を欠場するなど、度重なる故障に泣かされるシーズンであった。しかし8月11日に復帰すると、そこからは2か月弱で打率.310、12本塁打、37打点と好成績を残し、アンドリュー・ジョーンズジェフ・フランコーアらと共にチームの14年連続地区優勝の原動力となった。

2006年は6年契約の最終年で、年俸1700万ドルの予定だったが、2005年12月に契約を見直し、契約金400万ドル、各年1100万ドルの3年総額3700万ドル(4年目の2009年はオプション)で契約延長[25]。開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表に選出された[26]

レギュラーシーズンでは6月26日から7月16日にかけて1927年ポール・ウェイナーに並ぶMLBタイ記録となる14試合連続長打を記録した[27]

2007年は出場試合数が3年ぶりに130を上回り、打率.337、29本塁打、102打点、キャリアハイの42二塁打、ナ・リーグトップのOPS1.029を記録した。6月17日には通算2000本安打を達成した。7月5日には7年ぶりに左右両打席本塁打を放ち、デール・マーフィーの持つ1966年にアトランタ移転以降の球団記録を更新している[28]

2008年は4月・5月と2か月連続で4割を上回る打率を記録した[29]。6月7日の時点では打率.420で、この時点で4割を上回る打率を記録したのはハンク・アーロン1959年)、リコ・カーティ英語版1970年)、ロッド・カルーの3人であった[30]。しかし、6月19日からは打率4割を下回ることとなった。その後、右足・左大腿裏・右肩などに故障を抱えてプレイすることになり[31]、7月28日には15日間の故障者リスト入りとなった[32]。故障から復帰後は高打率を維持し、9月の月間打率は.408を記録した[29]。シーズン通算では.364の打率を残し、初の首位打者のタイトルを獲得した。

2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCアメリカ合衆国代表に選出され[33]、2大会連続2度目の選出を果たした。同大会では1次ラウンドC組でわき腹を痛め、2次ラウンド2組進出後も症状が悪化したため、途中離脱した。

シーズンでは3月31日には3年総額4200万ドル(出場試合数で自動更新される4年目のオプションを含む)で契約延長し、2012年までブレーブスでプレーすることが決まった[34]

2012年3月22日、同年限りでの引退を発表した[35]。この年はオールスターにも選出された。

引退後 編集

 
ジョーンズの背番号「10」。
アトランタ・ブレーブスの永久欠番2013年指定。

引退の翌2013年2月、ブレーブスはジョーンズの背番号『10』を永久欠番に指定することを発表した[36]。ちなみにブレーブスの永久欠番選手でキャリアをすべてブレーブスで全うしたフランチャイズ・プレイヤーはジョーンズが初めてであった。

2018年1月25日、資格取得1年目でアメリカ野球殿堂入りを果たす[37]。得票率97.2%という「圧倒的得票」での殿堂入りであった[38]

2021年シーズンからはブレーブスの打撃コンサルタントとして現場復帰する[39]

選手としての特徴・エピソード 編集

MLBを代表する強打のスイッチヒッター。スイッチヒッターとしてはミッキー・マントル(536)、エディ・マレー(504)に次ぐ歴代3位となる通算468本塁打を記録し、400本塁打越えで打率3割以上を残している唯一の打者。また、出場1000試合以上で通算の打率・出塁率・長打率がそれぞれ3割・4割・5割を超えている唯一のスイッチヒッターである。

一方、卓越したミート力や非常に優れた選球眼で、通算の四球三振を上回っている数少ない選手でもある。2018年にアメリカ野球殿堂入りを果たした際には「左右両方の打席で堅実な打撃を求めていた」「通算で三振より四球が多いのは自分にとって良かったこと」と述べている[40]

2004年から2008年には怪我の影響で欠場が増えているが、2006年にはMLBタイ記録の14試合連続長打[27]、2007年はOPSがリーグ1位、2008年には首位打者に加え出塁率もメジャー全体トップ、OPSはナ・リーグ2位を記録するなど、年齢を重ねても打力は衰えていなかった。

エピソード

本名は先述の様に「ラリー」だが、渾名だけでなく公式登録名も「チッパー・ジョーンズ」なのは本人が「ラリー」という名前を非常に嫌っている為である。嫌っている理由は、アメリカの著名なコメディーグループである三ばか大将のメンバーの1人で、お茶の水博士の様な独特なヘアスタイルと大袈裟なリアクションで人気だった「ラリー」と同名であり、これが原因で幼い頃からからかわれ続けた(「なぜもじゃ毛じゃないんだ?」など)為である。これを逆手に取って他球団のファンが「ラリー」と呼んで野次ることがしばしばある[41]

1964年から2008年までメッツの本拠地だったシェイ・スタジアム(Shea Stadium)で好成績を残したことから同球場を気に入っており、三男にシェイ(Shea)と名付けた。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1993 ATL 8 4 3 2 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .667 .750 1.000 1.750
1995 140 602 524 87 139 22 3 23 236 86 8 4 1 4 73 1 0 99 10 .265 .353 .450 .803
1996 157 693 598 114 185 32 5 30 317 110 14 1 1 7 87 0 0 88 14 .309 .393 .530 .923
1997 157 679 597 100 176 41 3 21 286 111 20 5 0 6 76 8 0 88 19 .295 .371 .479 .850
1998 160 707 601 123 188 29 5 34 329 107 16 6 1 8 96 1 1 93 17 .313 .404 .547 .951
1999 157 701 567 116 181 41 1 45 359 110 25 3 0 6 126 18 2 94 20 .319 .441 .633 1.074
2000 156 686 579 118 180 38 1 36 328 111 14 7 0 10 95 10 2 64 14 .311 .404 .566 .970
2001 159 677 572 113 189 33 5 38 346 102 9 10 0 5 98 20 2 82 13 .330 .427 .605 1.032
2002 158 662 548 90 179 35 1 26 294 100 8 2 0 5 107 23 2 89 18 .327 .435 .536 .971
2003 153 656 555 103 169 33 2 27 287 106 2 2 0 6 94 13 1 83 10 .305 .402 .517 .919
2004 137 567 472 69 117 20 1 30 229 96 2 0 0 7 84 8 4 96 14 .248 .362 .485 .847
2005 109 432 358 66 106 30 0 21 199 72 5 1 0 2 72 5 0 56 9 .296 .412 .556 .968
2006 110 477 411 87 133 28 3 26 245 86 6 1 0 4 61 4 1 73 12 .324 .409 .596 1.005
2007 134 600 513 108 173 42 4 29 310 102 5 1 0 5 82 10 0 75 21 .337 .425 .604 1.029
2008 128 534 439 82 160 24 1 22 252 75 4 0 0 4 90 16 1 61 13 .364 .470 .574 1.044
2009 143 596 488 80 129 23 2 18 210 71 4 1 0 6 101 18 1 89 14 .264 .388 .430 .818
2010 95 381 317 47 84 21 0 10 135 46 5 0 0 3 61 6 0 47 10 .265 .381 .426 .806
2011 126 512 455 56 125 33 1 18 214 70 2 2 0 6 51 10 0 80 10 .275 .344 .470 .814
2012 112 448 387 58 111 23 0 14 176 62 1 0 0 3 57 6 1 51 15 .287 .377 .455 .832
MLB:19年 2499 10614 8964 1619 2726 549 38 468 4755 1623 150 46 3 97 1512 176 18 1409 253 .303 .401 .529 .930
  • 各年度の太字はリーグ最高

MLBポストシーズン打撃成績 編集

















































O
P
S
1995 ATL 14 65 55 10 20 5 0 3 34 8 1 0 0 1 9 3 0 6 2 .364 .292 .618 .910
1996 16 67 55 11 19 5 0 1 27 9 3 1 0 2 10 0 0 7 1 .345 .313 .491 .804
1997 9 39 32 8 11 1 0 3 21 6 1 0 1 1 5 0 0 5 0 .344 .333 .656 .990
1998 9 42 34 4 7 1 0 0 8 2 0 0 0 0 8 0 0 8 2 .206 .286 .235 .521
1999 14 65 45 7 11 2 0 1 16 4 3 1 0 1 18 6 1 11 1 .244 .400 .356 .756
2000 3 13 12 2 4 1 0 0 5 1 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .333 .385 .417 .801
2001 8 34 28 3 9 1 0 2 16 7 0 1 0 0 6 1 0 7 0 .321 .265 .571 .836
2002 5 22 17 3 5 0 0 0 5 2 0 0 0 0 5 1 0 2 1 .294 .455 .294 .749
2003 5 21 18 3 3 0 0 2 9 6 0 0 0 0 3 0 0 4 1 .167 .286 .500 .786
2004 5 23 20 4 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 3 0 0 2 1 .200 .304 .200 .504
2005 4 21 17 3 3 2 0 1 8 2 0 0 0 0 4 0 0 4 1 .176 .333 .471 .804
2012 1 5 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .200 .200 .200 .400
出場:12回 93 417 338 58 97 18 0 13 154 47 8 3 1 5 72 11 1 61 10 .287 .409 .456 .864
  • 赤太字はMLBポストシーズン歴代最高。

WBCでの打撃成績 編集















































2006[42] アメリカ合衆国 6 21 17 6 6 1 0 2 13 2 0 0 0 4 0 0 1 2 .353 .476 .765
2009[43] 3 11 10 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .000 .091 .000

年度別守備成績 編集



三塁(3B) 遊撃(SS) 左翼(LF) 右翼(RF)
















































1993 ATL - 3 1 1 0 0 1.000 - -
1995 123 81 254 25 19 .931 - 15 20 0 0 0 1.000 5 3 1 0 0 1.000
1996 118 48 185 13 9 .947 38 53 103 4 27 .975 - 1 2 0 0 0 1.000
1997 152 77 241 15 17 .955 - 3 3 0 0 0 1.000 3 3 0 0 0 1.000
1998 158 105 290 12 28 .971 - - -
1999 156 88 238 17 10 .950 1 0 1 0 0 1.000 - -
2000 152 90 297 23 23 .944 6 6 8 2 2 .875 - -
2001 149 75 233 18 12 .945 - 8 16 0 0 0 1.000 -
2002 - - 152 270 8 7 0 .975 -
2003 - - 149 202 9 7 2 .968 -
2004 96 58 177 6 13 .975 - 29 35 2 0 1 1.000 -
2005 101 80 169 5 18 .980 - - -
2006 105 87 177 18 22 .936 - - -
2007 126 75 226 9 17 .971 1 1 1 0 0 1.000 - -
2008 115 64 235 13 21 .958 - - -
2009 133 85 208 22 30 .930 - - -
2010 89 40 159 10 10 .952 - - -
2011 116 65 177 6 19 .976 - - -
2012 103 41 181 11 8 .953 - - -
MLB 1992 1159 3447 223 276 .954 49 61 114 6 29 .967 356 546 19 14 3 .976 9 8 1 0 0 1.000
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル 編集

表彰 編集

記録 編集

背番号 編集

  • 16(1993年)
  • 10(1995年 - 2012年、2021年 - )

代表歴 編集

脚注 編集

  1. ^ 野茂のライバルらが米国野球殿堂入り 当選した4選手たちの球歴は!?”. スポーツナビ. 2018年1月25日閲覧。
  2. ^ C・ジョーンズ氏、圧倒的得票=米野球殿堂”. 時事通信. 2018年1月25日閲覧。
  3. ^ ジョーンズ氏ら4人が野球殿堂入り、ボンズ氏とクレメンス氏は落選”. AFP時事. 2018年1月25日閲覧。
  4. ^ 野茂のライバルらが米国野球殿堂入り 当選した4選手たちの球歴は!?”. スポーツナビ. 2018年1月25日閲覧。
  5. ^ 野茂のライバルらが米国野球殿堂入り 当選した4選手たちの球歴は!?”. スポーツナビ. 2018年1月25日閲覧。
  6. ^ a b c 「マネーボールへの挑戦 第2章◎運命のドラフト」『月刊メジャー・リーグ』2006年5月号、ベースボールマガジン社、2006年、雑誌 08625-3、83 - 86頁。
  7. ^ a b c d 樋口浩一「チパー・ジョーンズ[ブレーブス・左翼手]/外野転向3年目の自信。」『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボールマガジン社、2004年、雑誌 08625-6、16 - 17頁。
  8. ^ a b Chipper Jones Minor League Statistics & History” (英語). 2014年3月24日閲覧。
  9. ^ September 11, 1993 Atlanta Braves at San Diego Padres Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com 2008年1月13日閲覧.
  10. ^ Chipper Jones 1995 Career Highlights” (英語). 2008年4月2日閲覧。
  11. ^ Oct 3, 1995, Braves at Rockies Play by Play and Box Score” (英語). 2014年3月24日閲覧。
  12. ^ NL Rookie of the Year Voting” (英語). 2014年3月24日閲覧。
  13. ^ a b 1996 Batting Splits” (英語). 2014年3月30日閲覧。
  14. ^ Chipper Jones 1996 Career Highlights” (英語). 2008年4月2日閲覧。
  15. ^ Oct 5, 1996, Dodgers at Braves Box Score and Play by Play” (英語). 2014年3月30日閲覧。
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関連項目 編集

外部リンク 編集