チャールズ・チャップリン・ジュニア

チャールズ・チャップリン・ジュニア(Charles Spencer Chaplin Jr.、1925年5月5日 - 1968年3月20日)は、アメリカ合衆国俳優である。

チャールズ・チャップリン・ジュニア
Charles Chaplin Jr.
本名 チャールズ・スペンサー・チャップリン・ジュニア
生年月日 (1925-05-05) 1925年5月5日
没年月日 (1968-03-20) 1968年3月20日(42歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・カリフォルニア州ハリウッド
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 俳優
ジャンル 映画、舞台、テレビ
活動内容 映画、演劇、テレビドラマ
配偶者 スーザン・マグネス(1958 - 1959)
著名な家族 チャールズ・チャップリン(父)
リタ・グレイ(母)
シドニー・チャップリン(同母弟)
ジェラルディン・チャップリン(異母妹)
スーザン・チャップリン(娘)等
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経歴 編集

1925年、チャールズ・チャップリンと2番目の妻でメキシコ系アメリカ人の女優リタ・グレイの間に生まれた。同じく俳優のシドニー・チャップリンは同母弟、女優のジェラルディン・チャップリンは異母妹に当たる。

幼少時、彼と弟シドニーは実母リタが起こした離婚訴訟において、実母側の手駒として扱われた。リタが暴露した実父チャップリンの私生活は、扇情的に報道されて公然のものとなった。離婚成立後、兄弟は実母リタおよび母方の祖母によって、1930年代の半ばに彼ら2人が頻繁に実父チャップリンとの行き来を始めるまで養育された。

チャップリン・ジュニアはハリウッドのブラックフォックス士官学校英語版およびニュージャージー州ローレンスヴィル英語版ローレンスヴィル・スクールに在籍し、第二次世界大戦中はアメリカ合衆国陸軍に入隊してヨーロッパ戦線に派遣された。

チャップリン・ジュニアは13本の映画と数本のテレビ連続ドラマに出演し、『ライムライト』(1952年)では父と共演している。イーディス・ウォートンの小説 "Ethan Frome" の舞台化では、弟とともにサークル劇場[1] に出演した。1960年には、彼の家族とその私生活を題材にした『わが父チャップリン―息子が見た喜劇王の素顔』(My Father, Charlie Chaplin)という著書を執筆した。

チャップリン・ジュニアは女優のスーザン・マグネス(Susan Magness)と1958年に結婚してカリフォルニア州ロサンゼルスに住んだ。2人の間には、1959年5月に娘スーザン・マリー(Susan Maree Chaplin)が誕生したが、同年に離婚している。

1968年、肺塞栓症を発症して42歳で死去した。彼の遺体は、ロサンゼルスのハリウッド・フォーエヴァー墓地英語版に埋葬された。

主な出演作品 編集

映画 編集

  • 『ライムライト』Limelight(1952年)
  • 『性愛の曲がり角』HIGH SCHOOL CONFIDENTIAL!(1958年)
  • 『悪いやつ』The Beat Generation(1959年)

テレビ 編集

  • 『ワイルド・ビル・ヒコックの冒険』Adventures of Wild Bill Hickok(1955年)
  • General Electric Summer Originals(1956年)
  • Matinee Theatre(1957年)

著書 編集

  • 『わが父チャップリン―息子が見た喜劇王の素顔』 チャールズ・チャップリン・ジュニア/N.&M.ロー、木槿三郎訳、恒文社1975年

脚注 編集

  1. ^ 現在はエル・セントロ劇場英語版という名称になっている。

外部リンク 編集