テオゲネス:Theogenes、古希:Θεογένης)もしくはテオジニスは、古代ギリシアにおけるタソス島ヘーラクレースの神官で、古代オリンピックなど数々の競技会を制覇した最強の拳闘チャンピオンである。

テオゲネスをモデルにした彫刻「拳闘士の休息」

テオゲネスはタソス島でヘーラクレースに仕える神官であり、夫がヘーラクレースに変装して妻と性交するという聖婚崇拝により、ヘーラクレースの子供であるとも考えられていた。彼はボクシングパンクラチオンなどの競技で、ギリシア四大競技会であるオリンピア大祭、ピュティア大祭イストミア大祭ネメア大祭に出場し、その全てにおいて優勝した。

ローマの有名な彫刻『拳闘士の休息』のモデルとされる。

無敗のチャンピオン 編集

様々な競技会でテオゲネスはボクシングやパンクラチオンによる試合をし続けてきたが、連戦連勝で決して敗北することがなく、22年間も無敗であった。ネメア大祭とイストミア大祭では9回、ピュティア大祭では3回、オリンピア大祭では前480年にボクシングで、前476年にはパンクラチオンでそれぞれ優勝した。その内、ピュティア大祭における3回目の優勝では、テオゲネスがあまりに強すぎて挑戦者が現れず、戦うことなく優勝を飾った。四大祭全てにおいて優勝した者はペリオドニコス(周期の勝者)と呼ばれ、神々に近い存在とされて並外れた栄誉を授けられたが、テオゲネスこそは最強のペリオドニコスであった。

その並外れた偉業を讃え、オリンピアデルフィ、故郷のタソス島に彼の彫刻が立てられ、その台座にはテオゲネスが戦った1,300回の試合の詳細(無論、全てにおいて勝利を収めている)と、12行にも渡る彼を讃える賛歌が彫られており、今でもそれは現存している。

また、ポセイディッポスの伝えるところによれば、テオゲネスは牡牛1頭をぺろりと平らげてしまうほどの大食漢であったという。

死後、神になった男 編集

テオゲネスはその超人的な事績により、死後神々に列せられた。パウサニアスは『ギリシア案内記』において、テオゲネスが神になるまでのエピソードを次のように語っている。

テオゲネスが亡くなると、彼のライバルであったひとりの男が毎夜やってきて、テオゲネス像を毎晩鞭で打つようになった。こうすることによって、テオゲネスによって敗北していた日々の鬱憤を晴らそうとしたのである。しかし、鞭を打っている最中に像が突然倒れてしまい、像の下敷きになって彼は死んでしまった。テオゲネスの子供たちは像を法廷に持ち込み、例え無機物であっても人殺しは人殺しであるとして、テオゲネス像に追放刑を処し、これを海に沈めた。その後、タソス島では凶作が続き、穀物が取れなくなってしまった。デルフィへと使者を送って神意を伺うと、「追放されている者全てを帰還させるべし」との神託がくだった。神託の言う通りに追放者全てを故国タソス島へと戻したが、それでも凶作は収まらなかった。そこで、タソス島の人々は再びデルフィへと伺いを立てた。それに対する託宣は「お前たちは偉大なテオゲネスを忘れている」であった。しかし、海中のどこにテオゲネス像があるのか見当が付かず、途方に暮れてしまった。そんな折に海へ漁に出ていた漁師が網に引っかかったテオゲネス像を持ち帰ってきた。タソスの人々はこの像を元通りに安置し、神として崇め、生け贄を捧げるようになった。そして、凶作は遂に収まった。

タソス島で神になった後、テオゲネスは病気を治療し、マラリアから守護してくれる英雄神として崇拝されるようになる。この信仰はタソス島だけではなく、全ギリシアへと波及した。

参考文献 編集

  • フランソワ・シャムー、桐村泰次訳『ギリシア文明』論創社、2010

関連項目 編集