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テネシー・タイタンズ英語: Tennessee Titans、略称: TEN) は、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルに本拠地をおくNFLチーム。AFC南地区に所属している。1996年シーズンまではヒューストンを本拠地とし、「ヒューストン・オイラーズ」という名称であった(移転後の1997年・1998年は、「テネシー・オイラーズ」)。1999年シーズンにワイルドカードから第34回スーパーボウルに出場したが、セントルイス・ラムズに敗れた。

テネシー・タイタンズ
Tennessee Titans
1960年創設
永久欠番
ホームタウン
テネシー・タイタンズの位置(アメリカ合衆国内)
1997-現在
1997-現在
1960-1996
1960-1996

テネシー州ナッシュビル(1997-現在)
テキサス州ヒューストン(1960-1996)

LPFieldSec341.jpg
ニッサン・スタジアム(1999-)
(LPフィールド 2006-2015)
(ザ・コロシアム 2002-2006)
(アデルフィア・スタジアム 1999-2002)
ヴァンダービルト・スタジアム(1997-1998)
アストロドーム (1968-96)
リバティーボウル・メモリアルスタジアム(1997)
ライス・スタジアム (1965-67)
イェッペセン・スタジアム(1960-1964)

所属地区
  • NFL(1970-現在)
  • AFC(1970-現在)
南地区(2002-現在)
中地区(1970-2001)
東地区(1960-1969)
チームデザイン
チームカラー
     ネイビー
     タイタンズブルー
    
    
チームロゴ
内側に「T」字と3つの星のある円形に青と赤の炎
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
  • なし
カンファレンス・チャンピオン (1回)
AFC
  • 1999
地区優勝 (6回)
AFL東地区
  • 1967
AFC中地区
  • 1991
  • 1993
  • 2000
AFC南地区
  • 2002
  • 2008
ワイルドカード(13回)
  • 1969
  • 1978
  • 1979
  • 1980
  • 1987
  • 1988
  • 1989
  • 1990
  • 1992
  • 1999
  • 2003
  • 2007
  • 2017
AFL(1960-1969)における実績
AFLチャンピオン
  • 1960
  • 1961
地区優勝
AFL東地区
  • 1960
  • 1961
  • 1962
  • 1967
球団組織
オーナー: バド・アダムス
GM: ジョン・ロビンソン
ヘッドコーチ: マイク・ブラベル

目次

歴史編集

1960年代から1970年代編集

1960年、AFL(アメリカン・フットボール・リーグ)の1チーム、ヒューストン・オイラーズとしてテキサス州ヒューストンに本拠地に創設された。オーナーはヒューストンの石油王だったバド・アダムス。チームはハイズマン賞受賞者でオールアメリカンのランニングバック、ビリー・キャノンをNFLとの争いで獲得していた。クォーターバックのジョージ・ブランダ、フランカーのチャーリー・ヘニガン、ランニングバックのチャーリー・トーラー、ガードのボブ・タラミニとオフェンスにはタレントがそろっていた。AFLチャンピオンシップゲームに1960年から1962年と3年連続出場し、最初の2回はロサンゼルス・チャージャーズ(現サンディエゴ・チャージャーズ)を破り優勝、1962年はダブルオーバータイムの末ダラス・テキサンズ(現カンザスシティ・チーフス)に敗れた。1961年11月19日のニューヨーク・タイタンズ戦でジョージ・ブランダがNFL、AFLを合わせたリーグ記録となる7TDパスをあげた[1]

1962年、AFLのチームとして初めてNFLに所属していた選手を獲得、シカゴ・ベアーズのワイドレシーバーだった Willard Dewveall はサンディエゴ・チャージャーズ戦でジャッキー・リー英語版からプロフットボール記録となる99ヤードのタッチダウンレシーブを達成している。1968年にはプロフットボールチームとして初のドーム球場アストロドーム)を本拠地とするチームとなった。

1963年12月22日のオークランド・レイダーズ戦の第2Qにジョージ・ブランダが2TDパス、FBのチャーリー・トラールが1TDラン、一方、レイダーズQBのトム・フローリスに4TDパスを許した。両軍合わせて49得点はNFL、AFLを合わせた1Qの記録となっている[2]。翌1964年1月1日のバッファロー・ビルズ戦ではブランダが1試合パス試投68回の記録を作った。この記録は1994年ドリュー・ブレッドソーが1試合70回のパス試投をするまで30年間破られなかった[3]

1967年、AFLの東地区優勝を果たした。1968年、アストロドームを本拠地としたが、プロフットボールのチームとしてドーム球場を本拠地としたのは、オイラーズが初めてであった。

1969年、6勝6敗1分でプレーオフに進出したが、オークランド・レイダーズに7-56で敗れた。

AFLがNFLに吸収合併されてから数年間はオイラーズはAFC中地区で低迷した。1970年は、3勝10敗1分、1971年は、4勝9敗1分に終わり、1972年1973年は2年連続で1勝13敗に終わった。1973年シーズン途中からヘッドコーチを務めていたシド・ギルマンは、1974年に7勝7敗で終わった後、退団した。

1975年バム・フィリップスが新ヘッドコーチとなり、エルビン・ベゼアビリー・ホワイト・シューズ・ジョンソンが加入、1970年代に入り初めて勝ち越してシーズンを終えた。

1976年、5勝9敗に終わったが、1977年、8勝6敗と勝率をあげた。

1978年、この年入団したアール・キャンベルは11月20日のマイアミ・ドルフィンズ戦で199ヤードを走り、4TDをあげるなど、マンデーナイトフットボール2試合で288ヤードを走り7TDをあげるなど[4]、この年リーディングラッシャーとなり[5]ルーキー・オブ・ザ・イヤー及びシーズンMVPに選ばれる活躍で[6]、チームはNFLに加入後初のプレーオフに進出した。キャンベルは3年連続でリーディングラッシャーとなり[5]、チームは1978年から1980年まで3年連続プレーオフに進出したが、その内2回はAFCチャンピオンシップゲームで当時全盛期だったピッツバーグ・スティーラーズに敗れスーパーボウル出場はならなかった。

1978年、キャンベルはレギュラーシーズンに1,450ヤードを走り、チームは11勝5敗でプレーオフに出場した。プレーオフ初戦でデンバー・ブロンコスを破ったが、この試合でキャンベルが負傷、サンディエゴ・チャージャーズ戦でバーノン・ペリーが4インターセプト、相手FGをブロックする大活躍を見せて、勝利した。AFCチャンピオンシップゲームでは、スティールカーテンの前に、9回のターンオーバーを喫し、5-34、1979年のAFCチャンピオンシップゲームではキャンベルが17回のランでわずか15ヤードに抑えられ、13-27で敗れた[7][8]

1980年代から1995年編集

1980年、11勝5敗で3年連続ワイルドカードでプレーオフに進出したが、オークランド・レイダーズに初戦で敗れた。バム・フィリップスヘッドコーチはアダムスオーナーによって解任されて、エド・バイルズが後任となった。

1981年、チームはロードで連勝してスタートしたがその後、ロードで23連敗というNFL記録を作るほど低迷してしまう(この記録は2003年12月21日にデトロイト・ライオンズの24連敗で更新された。)。1981年を7勝9敗、ストライキで短縮された1982年を1勝8敗、1983年を2勝14敗で終えた。1983年第6週でバイルズヘッドコーチは辞任し、チャック・ステュッドリーが暫定ヘッドコーチに就任、シーズン終了後、ヒュー・キャンベルがヘッドコーチとなった。

1984年カナディアン・フットボール・リーグのスーパースター、ウォーレン・ムーンを獲得したが[9]、この年は2勝14敗に終わった。

1985年、チームは高齢のキャンベルをニューオーリンズ・セインツにトレードし、USFLでプレーしていたハイズマン賞受賞者のマイク・ロウジャーを獲得した。5勝9敗となったところで、ヒュー・キャンベルは解任され、ジェリー・グランビルがヘッドコーチとなった。

1985年9月29日のダラス・カウボーイズ戦ではムーンがNFL記録となる12サックを浴び4インターセプトを喫するなど散々であった[10]

1986年グリーンベイ・パッカーズとの開幕戦に31-3で勝利したが、5勝11敗に終わった。

その後1987年から1993年まで7年連続プレーオフに進出しAFCの強豪の1つとなった。この間1991年には1967年以来となる地区優勝を果たしている。

ストライキで1試合減り、3試合で代替選手が出場した1987年、9勝6敗で7年ぶりにプレーオフに進出、ワイルドカードでは、シアトル・シーホークスをオーバータイムの末破り、ディビジョナルプレーオフでデンバー・ブロンコスに敗れた。

1988年、10勝6敗でワイルドカードでプレーオフに進出、雪の降る敵地クリーブランド・スタジアムクリーブランド・ブラウンズを24-23で破ったが、翌週バッファロー・ビルズに敗れた。

1989年1990年は、ともに9勝7敗でワイルドカードでプレーオフに進出したが、ピッツバーグ・スティーラーズ、シンシナティ・ベンガルズに敗れた。

1991年、チームは25年ぶりに地区優勝を果たした。プレーオフ、デンバー・ブロンコス戦では残り2分07秒、24-23と1点リードしていたが、敵陣2ヤード地点からジョン・エルウェイに98ヤードのドライブで、最後デビッド・トレドウェルに逆転FGを決められて24-26で敗れた[11]

1992年、最終週にバッファロー・ビルズを破り、10勝6敗でプレーオフに進出した。翌週のワイルドカードプレーオフでもビルズと対戦、前週の試合で負傷したジム・ケリーを欠くビルズに対して、後半開始早々35-3とリードしたものの、オーバータイムの末、38-41で敗れた。敗戦直後にその年NFL3位のディフェンスを築いたジム・エディディフェンスコーディネーターは解任された。

1993年、チームは12勝4敗でAFC中地区優勝を果たしたが、プレーオフ2回戦でカンザスシティ・チーフスに敗れた。これに怒ったアダムスによってムーンはミネソタ・バイキングスにトレードされることとなった。

1994年、ムーンを失ったチームは2勝14敗に終わった。

1995年、前年の低成績によりドラフトでは高順位となり、スティーブ・マクネアを獲得することができた。

本拠地移転編集

1987年、アダムスオーナーはフロリダ州ジャクソンビルへの移転を計画していることを公表した。この時点でアストロドームは50,000人しかフットボールゲームで収容できず、これはNFLのスタジアムの中で最小であった。市当局は6,700万ドルをかけて10,000人の収容人数増、65のラグジュアリボックスを追加する改修を行ったがこれはその後30年間の増税が必要となった。

1995年、またもアダムスは新スタジアム建設を市当局に働きかけたがアストロドームに代わる新スタジアム建設が控えていたため良い返事を得ることができなかった。そしてテネシー州ナッシュビル市長のフィル・ブレーデセンと秘密交渉をして、1995年シーズン終了後、1998年からナッシュビルに移転することを発表した。翌年のオーナー会議でテネシーへの移転は23-6で承認された[12]。市は1億4400万ドルをかけて新スタジアムを建設することを約束した。後にテネシー州政府も、チーム名をナッシュビルではなくテネシーとすることなどを条件にスタジアム建設の資金を提供している。

1996年、観客が20,000人以下しか入らず、フィールド上の声がメインスタンドでも聞けるほどであった。チームはロードゲームでは6勝2敗だったが、ホームゲームで2勝6敗に終わり8勝8敗であった。市はアダムスに早期移転を了承しこの年がヒューストンでの最後のゲームとなった。

1997年、ナッシュビルには当時収容人数最大のスタジアムは41,000人が入場できるヴァンダービルト・スタジアムヴァンタービルト大学のスタジアム)があったがアダムスはこれを嫌い、メンフィスにあるリバティーボウル・メモリアルスタジアムを新スタジアムができるまでの2年間の本拠地と定めた。そのため本拠地をナッシュビルに置いていたチームはシーズン全ての試合をアウェーで行うかのようになってしまった。この決定はメンフィス、ナッシュビル双方の市民にとって不幸なことでメンフィス市民は対抗意識のあるナッシュビルを本拠地とするチームに関心を示さず、ナッシュビル市民は320kmのドライブをして自分たちのチームの応援に行く羽目になった。1950年代以降史上最低の観客動員となってしまった。このため最後の主催ゲームである対ピッツバーグ・スティーラーズ戦のみヴァンタービルト・スタジアムで行われた。この試合には50,677人の観客が入り、多くのファンが入場できなかったが観客の2/3はスティーラーズファンであった。

1998年、前年の反省からアダムスは方針転換。本拠地をヴァンタービルト・スタジアムに変更。

1999年、ナッシュビルに新スタジアムとなるアデルフィア・コロシアムが開場し新たな本拠地と定める。

2015年、この年までの間に新スタジアムの命名権者の破綻などにより名称は変遷していたが、新命名権者が日産自動車となり、スタジアム名はニッサン・スタジアムとなる。これは20年の長期にわたる命名権契約である。

ナッシュビル移転後編集

1998年、シーズン中、オイラーズに代わりナッシュビルに相応しい愛称を募集した。オイラーズから愛称が変更されても新チームはヒューストン・オイラーズの歴史を引き継ぐことを明言した[13]。新チームの名称を決めるための委員会が設けられたがそこでアダムスはパワー、強さ、リーダーシップといったイメージが連想される名称とすることを求めた。1998年12月22日に1999年からはテネシー・タイタンズとなることが発表された[14]

1999年、チームはジャクソンビル・ジャガーズに地区優勝こそ譲ったものの13勝3敗で地区2位となりプレーオフに出場。その第1戦となるバッファロー・ビルズ戦で、 後にミュージック・シティ・ミラクル(Music City Miracle)と呼ばれるようになるビッグ・プレイが飛び出す。残り16秒でビルズのフィールドゴールが決まり15-16とリードを許した直後、キックオフをレシーブしたロレンゾ・ニールからのハンドオフを受けたタイトエンドのフランク・ワイチェックが、自陣から見て左サイドライン際にいたケビン・ダイソンにラテラルパス(横方向のパス)を送ったのである。ボールを受けたダイソンは75ヤードを走り逆転のタッチダウンを挙げた[15]。キックオフ・リターン中のパスプレイという虚を突いたこのプレイは「ホームラン・スローバック」と呼ばれている[16][17]。その後インディアナポリス・コルツ戦ではエディ・ジョージがチームのプレーオフ記録となる162ヤードを走り、ディフェンスは相手の2年目QBのペイトン・マニングのパスを43回中19回しか成功させず19-16で勝利した。ジャガーズに対してはディフェンスが6回のターンオーバー、セイフティ1回を記録し33-14で勝利し第34回スーパーボウルに出場した。最後の攻撃でケビン・ダイソンが残り1ヤードのところでタックルされて(このプレイはザ・タックルと呼ばれている。)タッチダウンが奪えず16-23で敗れた。なおタイタンズはこの年14勝2敗の成績を残したジャガーズを破った唯一のチームとなった(レギュラーシーズン2勝及びAFCチャンピオンシップゲーム

2000年、チームは13勝3敗でオイラーズ時代の1991年1993年に次いで3度目のAFC中地区優勝を果たしたがプレーオフ初戦でその年の第35回スーパーボウルを制したボルチモア・レイブンズに敗れた。

2002年、この年から再編となったAFC南地区優勝を果たしたがAFCチャンピオンシップゲームでオークランド・レイダーズに敗れた。

2003年、所属のスティーブ・マクネアペイトン・マニングとシーズンMVPを分け合う活躍を見せたが第38回スーパーボウルを制したニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2004年、主力選手に怪我人が多く出たため5勝11敗に終わる。シーズン終了後チームのフロントはデリック・メイソンサマリ・ロールケビン・カーターなど多くの選手をトレードしたり契約を打ち切った。これはチームがサラリーキャップをオーバーしたためである。

2005年、NFL1若いチームとなる。ドラフト1巡指名のコーナーバック、パックマン・ジョーンズ、オフェンスタックルのマイケル・ルース、3人のワイドレシーバー(ブランドン・ジョーンズコートニー・ロビーロイデル・ウィリアムス)などのルーキーがプレイした。このシーズンは4勝12敗に終わった。

2006年、スティーブ・マクネアは、この年のドラフト4巡目指名権と引換えにボルチモア・レイブンズに移籍となる。結果8勝8敗に終わったがヴィンス・ヤングが先発した試合では6連勝を含み8勝5敗であった。

2007年、10勝6敗となりプレーオフに出場したが1回戦でサンディエゴ・チャージャーズに敗れている。

2008年、開幕戦でQBのヴィンス・ヤングが負傷し、ケリー・コリンズが先発することとなったがチームはニューヨーク・ジェッツに敗れるまで開幕から10連勝を果たし[18]、シーズンを13勝3敗で終えプレーオフの第1シードを獲得した[19][20]。しかしディビジョナル・プレーオフでボルチモア・レイブンズに敗れてシーズンを終えた[21]

2009年、チームはコリンズと2年間1500万ドルの契約を結んだ[22]。開幕前期待されたものの開幕戦から6連敗を喫した[18]。次の試合より先発QBをケリー・コリンズからヴィンス・ヤングに変更した後、連勝を続け奇跡のプレーオフ進出なるかと注目を浴び[23][24]プレーオフは逃したものの8勝8敗でシーズンを終えた。シーズン最終戦まで11試合連続で100ヤードラッシュを見せた[25]クリス・ジョンソンが史上6人目となるシーズン2000ヤードラッシュを達成した[26]。ジョンソンはRBとしてのリーグ最高年俸を期待し[27]契約の見直しを要求、8月にチームが提示した金額での契約に応じた[28]

2010年、チームはNFL選手会代表も務める、プロボウルCのケビン・マワイと再契約を結ばなかった[29]。また5年間で38.5サックをあげた[30]カイル・バンデンボッシュも失った[31]。チームは5勝2敗と好スタートを切ったもののヴィンス・ヤングが負傷した後、成績は低迷し残り9試合で8敗し、6勝10敗に終わりプレーオフ出場を逃した。ヴィンス・ヤングは戦力外を通告された。ジェフ・フィッシャーヘッドコーチはアダムスオーナーより続投を明言された[32]がその後解任され、マイク・マンチャックがヘッドコーチに就任、シアトル・シーホークスからマット・ハセルベックを獲得した。

2011年、シーズン開幕戦直前までクリス・ジョンソンがホールドアウトを行い、開幕戦にこそ間に合ったものの、最終的に1,047ヤード獲得 (1回平均4.0ヤード)と、自己最低の成績に終わった。しかし、ハッセルベックがムーン以外ではチーム初となる年間パス3,500ヤードを達成するなどの活躍もあり、シーズンは9勝7敗で終えた。タイブレークにより、チームはプレーオフこそ逃したが、先発QBとHCが変わったにもかかわらず、下馬評を大きく上回る活躍を見せた。

2012年、2年目のQBジェイク・ロッカーがハッセルベックとの先発争いに勝って、エースQBに指名された。ロッカーは、第4週に負傷退場、左肩を脱臼していることがわかっている[33]

2013年、三年連続してプレーオフ出場を逃してHCのマイク・マンチャクは解任された。

2014年、ケン・ウィゼンハントがHCに就任した。だがチームは二年連続して地区最下位となる。

2015年、シーズン終盤にウィゼンハントは解任された。マイク・ムラーキーが臨時HCとなる。

2016年、この年もマイク・ムラーキーがHCを勤め地区二位となったがプレーオフは逃した。

2017年、ワイルドカードでプレーオフに進出し、初戦はカンサスシティ・チーフスを破ったが二戦目でニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。翌日、マイク・ムラーキーは退任した。後任はマイク・ブラベルが就任した。

2018年、最終戦で敗れてプレーオフ進出を逃した。

2019年シーズンの対戦相手

2019年シーズンのタイタンズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ペイトリオッツ ラムズ セインツ ベアーズ カウボーイズ
2位 チャージャーズ コルツ スティーラーズ ドルフィンズ シーホークス ファルコンズ バイキングス イーグルス
3位 ブロンコス タイタンズ ブラウンズ ビルズ 49ERS パンサーズ パッカーズ レッドスキンズ
4位 レイダーズ ジャガーズ ベンガルズ ジェッツ カージナルス バッカニアーズ ライオンズ ジャイアンツ

    :1度対戦     :2度対戦

主な選手編集

殿堂入り選手編集

永久欠番編集

  • 1 ウォーレン・ムーン
  • 34 アール・キャンベル
  • 43 ジム・ノートン
  • 63 マイク・マンチャック
  • 65 エルビン・ベゼア
  • 74 ブルース・マシューズ

歴代ヘッドコーチ編集

成績編集

AFC南地区編集

年度 地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2018 HOU(3w) 11 5 0 IND(6d) 10 6 0 TEN 9 7 0 JAX 5 11 0
2017 JAX(3c) 10 6 0 TEN(5d) 9 7 0 IND 4 12 0 HOU 4 12 0
2016 HOU(4d) 9 7 0 TEN 9 7 0 IND 8 8 0 JAX 3 13 0
2015 HOU(4w) 9 7 0 IND 8 8 0 JAX 5 11 0 TEN 3 13 0
2014 IND(4c) 11 5 0 HOU 9 7 0 JAX 3 13 0 TEN 2 14 0
2013 IND(4d) 11 5 0 TEN 7 9 0 JAX 4 12 0 HOU 2 14 0
2012 HOU(3d) 12 4 0 IND(5w) 11 5 0 TEN 6 10 0 JAX 2 14 0
2011 HOU(3d) 10 6 0 TEN 9 7 0 JAX 5 11 0 IND 2 14 0
2010 IND(3w) 10 6 0 JAX 8 8 0 HOU 6 10 0 TEN 6 10 0
2009 IND(1s) 14 2 0 HOU 9 7 0 TEN 8 8 0 JAX 7 9 0
2008 TEN(1d) 13 3 0 IND(5w) 12 4 0 HOU 8 8 0 JAX 5 11 0
2007 IND(2d) 13 3 0 JAX(5d) 11 5 0 TEN(6w) 10 6 0 HOU 8 8 0
2006 IND(3v) 12 4 0 TEN 8 8 0 JAX 8 8 0 HOU 6 10 0
2005 IND(1d) 14 2 0 JAX(5w) 12 4 0 TEN 4 12 0 HOU 2 14 0
2004 IND(3d) 12 4 0 JAX 9 7 0 HOU 7 9 0 TEN 7 9 0
2003 IND(3c) 12 4 0 TEN(5d) 12 4 0 JAX 5 11 0 HOU 5 11 0
2002 TEN(2c) 11 5 0 IND(5w) 10 6 0 JAX 6 10 0 HOU 4 12 0

AFC中地区編集

  • BAL:ボルチモア・レイブンズ、CIN:シンシナティ・ベンガルズ、CLE:クリーブランド・ブラウンズ、PIT:ピッツバーグ・スティーラーズ、HOU→TEN:ヒューストン・オイラーズ→テネシー・オイラーズ→テネシー・タイタンズ、JAX:ジャクソンビル・ジャガーズ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PIT(1c) 13 3 0 BAL(5d) 10 6 0 CLE 7 9 0 TEN 7 9 0 JAX 6 10 0 CIN 6 10 0
2000 TEN(1d) 13 3 0 BAL(4v) 12 4 0 PIT 9 7 0 JAX 7 9 0 CIN 4 12 0 CLE 3 13 0
1999 JAX(1c) 14 2 0 TEN(4s) 13 3 0 BAL 8 8 0 PIT 6 10 0 CIN 4 12 0 CLE 2 14 0
1998 JAX(3d) 11 5 0 TEN 8 8 0 PIT 7 9 0 BAL 6 10 0 CIN 3 13 0
1997 PIT(2c) 11 5 0 JAX(5w) 11 5 0 TEN 8 8 0 CIN 7 9 0 BAL 6 9 1
1996 PIT(3d) 10 6 0 JAX(5c) 9 7 0 CIN 8 8 0 HOU 8 8 0 BAL 4 12 0
1995 PIT(2s) 11 5 0 CIN 7 9 0 HOU 7 9 0 CLE 5 11 0 JAX 4 12 0
1994 PIT(1c) 12 4 0 CLE(4d) 11 5 0 CIN 3 13 0 HOU 2 14 0
1993 HOU(2d) 12 4 0 PIT(6w) 9 7 0 CLE 7 9 0 CIN 3 13 0
1992 PIT(1d) 11 5 0 HOU(5w) 10 6 0 CLE 7 9 0 CIN 5 11 0
1991 HOU(3d) 11 5 0 PIT 7 9 0 CLE 6 10 0 CIN 3 13 0
1990 CIN(3d) 9 7 0 HOU(6w) 9 7 0 PIT 9 7 0 CLE 3 13 0
1989 CLE(2c) 9 6 1 HOU(4w) 9 7 0 PIT(5d) 9 7 0 CIN 8 8 0
1988 CIN(1s) 12 4 0 CLE(4w) 10 6 0 HOU(5d) 10 6 0 PIT 5 11 0
1987 CLE(2c) 10 5 0 HOU(4d) 9 6 0 PIT 8 7 0 CIN 4 11 0
1986 CLE(1c) 12 4 0 CIN 10 6 0 PIT 6 10 0 HOU 5 11 0
1985 CLE(3d) 8 8 0 CIN 7 9 0 PIT 7 9 0 HOU 5 11 0
1984 PIT(3c) 9 7 0 CIN 8 8 0 CLE 5 11 0 HOU 3 13 0
1983 PIT(3d) 10 6 0 CLE 9 7 0 CIN 7 9 0 HOU 2 14 0
1982 CIN(3w) 7 2 0 PIT(4w) 6 3 0 CLE(8w) 4 5 0 HOU 1 8 0
1981 CIN(1s) 12 4 0 PIT 8 8 0 HOU 7 9 0 CLE 5 11 0
1980 CLE(2d) 11 5 0 HOU(5w) 11 5 0 PIT 9 7 0 CIN 6 10 0
1979 PIT(2v) 12 4 0 HOU(4c) 11 5 0 CLE 9 7 0 CIN 4 12 0
1978 PIT(1v) 14 2 0 HOU(5c) 10 6 0 CLE 8 8 0 CIN 4 12 0
1977 PIT(3d) 9 5 0 CIN 8 6 0 HOU 8 6 0 CLE 6 8 0
1976 PIT(3c) 10 4 0 CIN 10 4 0 CLE 9 5 0 HOU 5 9 0
1975 PIT(1v) 12 2 0 CIN(4d) 11 3 0 HOU 10 4 0 CLE 3 11 0
1974 PIT(v) 10 3 1 HOU 7 7 0 CIN 7 7 0 CLE 4 10 0
1973 CIN(d) 10 4 0 PIT(d) 10 4 0 CLE 7 5 2 HOU 1 13 0
1972 PIT(c) 11 3 0 CLE(d) 10 4 0 CIN 8 6 0 HOU 1 13 0
1971 CLE(d) 9 5 0 PIT 6 8 0 HOU 4 9 1 CIN 4 10 0
1970 CIN(d) 8 6 0 CLE 7 7 0 PIT 5 9 0 HOU 3 10 1

AFL東地区編集

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 NY(d) 10 4 0 HOU(d) 6 6 2 BOS 4 10 0 BUF 4 10 0 MIA 3 10 1
1968 NY(V) 11 3 0 HOU 7 7 0 MIA 5 8 1 BOS 4 10 0 BUF 1 12 1
1967 HOU(a) 9 4 1 NY 8 5 1 BUF 4 10 0 MIA 4 10 0 BOS 3 10 1
1966 BUF(a) 9 4 1 BOS 8 4 2 NY 6 6 2 HOU 3 11 0 MIA 3 11 0
スーパーボウル開始
1965 BUF(a) 10 3 1 NY 5 8 1 BOS 4 8 2 HOU 4 10 0
1964 BUF(v) 12 2 0 BOS 10 3 1 NY 5 8 1 HOU 4 10 0
1963 BOS(a) 7 6 1 BUF(d) 7 6 1 HOU 6 8 0 NY 5 8 1
1962 HOU(a) 11 3 0 BOS 9 4 1 BUF 7 6 1 NY 5 9 0
1961 HOU(v) 10 3 1 BOS 9 4 1 NY 7 7 0 BUF 6 8 0
1960 HOU(v) 10 4 0 NY 7 7 0 BUF 5 8 1 BOS 5 9 0

脚注編集

  1. ^ QBブランダ、1試合7TDパスのNFL記録達成”. NFL JAPAN (2010年11月19日). 2011年1月9日閲覧。
  2. ^ 1クォーターで49点!激動の試合が行われた日”. NFL JAPAN (2010年12月22日). 2011年1月9日閲覧。
  3. ^ QBブランダ、1試合パス68回のNFL記録”. NFL JAPAN (2010年11月1日). 2011年1月9日閲覧。
  4. ^ MNF History: 1979”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ a b ヒューストン・オイラーズの名RBアール・キャンベルが引退”. NFL JAPAN (2010年8月18日). 2011年1月9日閲覧。
  6. ^ 引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -後編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年7月3日閲覧。
  7. ^ ポール・ジマーマン (1980年1月14日). “Tim Mazzetti”. スポーツ・イラストレイテッド. 2013年6月1日閲覧。
  8. ^ Steelers win 4th AFC title”. ピッツバーグ・スティーラーズ (2011年6月28日). 2013年6月1日閲覧。
  9. ^ 晩成型の殿堂入りQB、ウォーレン・ムーン誕生”. NFL JAPAN (2010年11月18日). 2011年1月9日閲覧。
  10. ^ QB最悪の日…1試合で12被サック”. NFL JAPAN (2010年9月29日). 2011年1月9日閲覧。
  11. ^ Michael Martinez (1992年1月5日). “PRO FOOTBALL; Elway's Drive II Kicks Out Oilers”. ニューヨーク・タイムズ. 2012年7月3日閲覧。
  12. ^ PRO FOOTBALL;N.F.L. Owners Approve Move To Nashville By the Oilers”. ニューヨーク・タイムズ (1996年5月1日). 2013年6月1日閲覧。
  13. ^ この4年前アート・モデルオーナーにより、クリーブランド・ブラウンズボルチモアに移転、ボルチモア・レイブンズとなったがクリーブランド市民はブラウンズの歴史は将来再誘致しようとしていたチームに引き継がれるべきと反対した、後に加入したヒューストン・テキサンズはオイラーズの後継チームとはなっていない。
  14. ^ ナッシュビルには高等教育機関や伝統的な建築物が多くあり、南部のアテネと呼ばれていた。タイタンズはギリシア神話の巨人、ティーターンより。
  15. ^ 音楽の街にミラクルが起きた日”. NFL JAPAN (2011年1月9日). 2011年1月8日閲覧。
  16. ^ キックオフ・リターン中の前方へのパスは反則であるが、ラテラルに関しては規制がない。
  17. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “The Music City Miracle”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  18. ^ a b QB交代がズバリ! 昨季の地区王者タイタンズが今季初勝利”. NFL JAPAN (2009年11月2日). 2011年1月9日閲覧。
  19. ^ タイタンズ、第1シードは「ビッグボーナス」”. NFL JAPAN (2008年12月22日). 2011年1月9日閲覧。
  20. ^ プレイオフ出場チーム紹介”. NFL JAPAN. 2011年1月9日閲覧。
  21. ^ レイブンズ、第1シードのタイタンズに競り勝ち!”. NFL JAPAN (2009年1月11日). 2011年1月9日閲覧。
  22. ^ タイタンズ、ベテランQBコリンズと2年15億円で再契約”. NFL JAPAN (2009年2月28日). 2011年1月9日閲覧。
  23. ^ 近藤祐司 (2009年12月4日). “「地獄を見た人間は強い」奇跡を起こすかQBヤング”. NFL JAPAN. 2011年1月9日閲覧。
  24. ^ プレイオフ目指すタイタンズに痛手、LBコンビが今季絶望”. NFL JAPAN (2009年12月22日). 2011年1月9日閲覧。
  25. ^ 【第1週プレビュー】レイダースとタイタンズ、再建への船出”. NFL JAPAN (2010年9月10日). 2011年1月9日閲覧。
  26. ^ 近藤祐司 (2010年5月21日). “今季わずか5,000万円! 契約見直し要求のRBジョンソン”. NFL JAPAN. 2011年1月9日閲覧。
  27. ^ ラン2,000ヤード突破のジョンソン、RB最高年俸を期待”. NFL JAPAN (2010年2月2日). 2011年1月9日閲覧。
  28. ^ RBジョンソン、「来季こそ歴史的契約を」”. NFL JAPAN (2010年8月8日). 2011年1月9日閲覧。
  29. ^ プロボウル8度の選手会代表マワイが引退”. NFL JAPAN (2010年9月11日). 2011年1月9日閲覧。
  30. ^ タイタンズHC、DEバンデンボッシュに「残留して」”. NFL JAPAN (2010年2月12日). 2011年1月9日閲覧。
  31. ^ 積極補強のライオンズ、DEバンデンボッシュら獲得”. NFL JAPAN (2010年3月6日). 2011年1月9日閲覧。
  32. ^ タイタンズ・オーナー、来季もフィッシャーHC続投を明言”. NFL JAPAN (2011年1月8日). 2011年1月9日閲覧。
  33. ^ タイタンズQBロッカー、左肩脱臼で長期離脱”. NFL JAPAN (2012年10月2日). 2012年10月20日閲覧。

外部リンク編集