テュアナのアポロニオス

ナザレのイエスと同時代の奇跡行者

テュアナのアポロニオス(ティアナのアポロニウス[2]、アポッローニオス[3]とも、古希: Ἀπολλώνιος ὁ Τυανεύς, Apollōnios ho Tyaneus, 1世紀ごろ[4])は、ローマ帝国期のテュアナ出身の新ピタゴラス派哲学者宗教家[5]

アポロニオスが描かれた4世紀ごろのメダルコントルニエイト英語版[1]

ピロストラトス著『テュアナのアポロニオス伝[6]』によれば、ピタゴラスを信奉し、西はヒスパニア、東はインドまで弟子と遍歴し、疫病退散、悪魔祓い死者蘇生瞬間移動千里眼復活などの奇跡を行った。

後世、ペテン師とも聖者とも評された[7]。特にナザレのイエスと類似点が多いことから、キリスト教において議論の的になり[5]、またイスラム世界オカルティズム文学にも受容された。

資料編集

 
ユリア・ドムナ。『テュアナのアポロニオス伝』の執筆をピロストラトスに依頼した。

詳細な伝記として、3世紀ピロストラトス『テュアナのアポロニオス伝』(古希: Τὰ ἐς τὸν Τυανέα Ἀπολλώνιον) が伝わる。しかし本書は、現実離れした内容や脚色を含むため、信憑性に乏しい[8][注釈 1]。ピロストラトスは本書を、皇后ユリア・ドムナの依頼により執筆した[10][11]。依頼理由は定かでないが、推測では、神職の娘であるユリアがアポロニオスに親近感を抱き、ペテン師や魔術師でなく聖者として再評価を望んだため[10]、またはイエス・キリストに対抗させようとしたため[12][注釈 2]、とされる。ピロストラトスは原資料として、ユリア所蔵のアポロニオスの直弟子ダミス英語版書字板[8]や、各地に伝わるアポロニオス伝説[13]を参照した。

『テュアナのアポロニオス伝』以外の資料としては、後述のルキアノスらの言及、『スーダ』の記事、碑文などの考古学資料[1]がある。

生涯編集

生没年は不詳で、生年は1世紀初頭ごろ、一説にはイエス・キリストと同年とされる[7]。没年はネルウァ帝在位時(96年-98年)とされる[7]

カッパドキアの要衝テュアナに、富裕層の次男として生まれた[14]。ピロストラトスが伝える出生譚では、妊娠中の母親の夢にホメロスの姿をした海神プロテウスが現れ、「お前は私を産む」と告知した[15]。その後ある日、母親が花畑でうたた寝していると、突如白鳥たちが歌い踊り、晴天の空に雷鳴が轟き、アポロニオスが生まれた[15]

少年時代から記憶術ギリシア語アッティカ方言に優れるなど、神童ぶりを示した。14歳の時、タルソスアイガイで諸派の哲学を学び、15歳の時から新ピタゴラス主義に傾倒し始めた[14][注釈 3]。以降、飲酒・屠畜・性愛を避け、髪を伸ばし放題にし、アイガイのアスクレピオス神殿で神殿医学に従事した[16]。20歳の時、テュアナに戻り財産の大半を親族に譲った後、5年間一切言葉を発さずにキリキアパンフィリアを遍歴し、筆談で諍いを仲裁するなどした[16]。この沈黙の行を終えた後、ダミス英語版を弟子にしたり、アンティオキアなど各地の神殿を巡礼したり、アラブ人の密儀共同体に参加したり、鳥の言葉英語版を理解できるようになったりした[17]

40歳代ごろ[18]、かつてピタゴラスもそうしたように、見聞を広めるため東方遍歴に出た。道中カフカス山脈では、鎖に繋がれたプロメテウスを見た[8]バビロンでは、川底トンネルを通り、現地の王(パルティアヴァルダネス1世[18])やマゴイと歓談した[6]インドでは、アレクサンドロス大王の足跡を辿りつつ、悪魔祓いをしたり、現地の王(タキシラプラオテス英語版[18])や、バラモン僧ギュムノソピスタイ[注釈 4]ヤルカスwikidata(イアルカス)と哲学問答を楽しんだり、ヤルカスからマンティコアピュグマイオイグリフォンフェニックス占星術などの知識や、星辰の名が刻まれた七つの指輪を授かったりした[6]。約4ヶ月インドの僧院で暮らした後、ヒュパシス川インダス川アラビア海を航行し帰還した[17]

インドから帰還後、今度は地中海に出てイオニアギリシアローマを遍歴した。道中、エペソススケープゴートパルマコス英語版)的儀式により疫病を退散させたり[20]トロイアアキレウスの霊を召喚してトロイア戦争の秘話を聞いたり、コリントスで弟子を誘惑したラミアないしエンプーサを退治したりした[21][22]ネロ暴政下のローマに入ると、佞臣ティゲッリヌスに不敬罪で逮捕されるも、起訴状の文字を消すという奇跡により逃れた[21]。またローマにて、結婚式目前に死んだ名家の花嫁を生き返らせる、という奇跡を行った[21]

ここまでの生涯(『テュアナのアポロニオス伝』全8巻中4巻まで)は、秦剛平による日本語訳がある[6]

ローマから出た後、イベリア半島カディス北アフリカシチリア・ギリシア・エジプトエチオピアを遍歴した[21]。道中、『イソップ寓話』の作者アイソポスヘルメスの関係について語ったり[23]、エジプトで皇帝即位前のウェスパシアヌスに助言したりした[24]。その後、ティトゥスネルウァから崇敬されたのと対照的に、ドミティアヌスに暴動教唆や魔術の罪で投獄されるも、瞬間移動で脱獄するなどした[21]

晩年はエペソスで弟子教育に努め、96年ドミティアヌス暗殺を千里眼で見届け歓喜した[15]。最期については複数の伝承があり、100歳以上生きたとも[7]、死後復活して弟子の前に現れ昇天したともいう[15]

著作・思想編集

著作はほぼ全て散逸している[7]書簡が『テュアナのアポロニオス伝』やストバイオス英語版を通じて複数伝わるものの、いずれも偽作の疑いがある[19]。また、後述の『アポテレスマタ』『創造の秘密の書』『ヌクテメロン』など、明らかな偽作が伝わる。

スーダ』によれば、『秘儀の伝授あるいは供犠について』『神託』などの著作があった[19][25]。また『テュアナのアポロニオス伝』によれば、インドで得た知識をもとに、占星術に関する4巻本と、犠牲儀礼のマニュアル『犠牲について』を書いた[25][6][注釈 5]。また、ギリシアで神託をもとに書いた哲学書が、後世アンティウムにあるハドリアヌスの図書館に収蔵され、多くの見物人を集めた[12]。その他、「遺書」や「ムネモシュネの讃歌」を作った[25][6]プラトンティマイオス』に基づいて霊魂の不滅を論じたこともあった[19]

『スーダ』やイアンブリコスポルピュリオス両者の『ピタゴラス伝』によれば、アポロニオスの著作にも『ピタゴラス伝』があった[26][19]。しかしこれは、実際は別人の著作とする説が20世紀末から強くなっている[19]

『テュアナのアポロニオス伝』や書簡からは、様々な哲学者との交流が窺える。例えば、上記のインド人ヤルカスwikidata(イアルカス)や、キュニコス派デメトリオス英語版[6]ストア派ムソニウス・ルフス[6]エウプラテス英語版第二次ソフィストディオン・クリュソストモス[24][27]と交流した。

言及・受容編集

古代から中世編集

ピロストラトスより先に、2世紀ルキアノスがアポロニオスに言及している[7]。ルキアノスは『偽預言者アレクサンドロス』で、当時の新興宗教教祖でペテン師とされるアボノテイコスのアレクサンドロス英語版が、アポロニオスの孫弟子だったと伝えている[28]。また同書中では、アレクサンドロスがアポロニオスと同様の神殿医学をしている[28]

ピロストラトスの後、『テュアナのアポロニオス伝』のラテン語訳または別伝が、シドニウス・アポリナリスソテリクスwikidataニコマクス英語版らによって執筆され[1]、『ローマ皇帝群像』著者の一人ウォピスクスwikidataも執筆を企てたが[10]、これらの伝記は現存しない。

ローマ皇帝、特にセウェルス朝の皇帝がアポロニオスを崇敬した。例えばカッシウス・ディオは『ローマ史』で、カラカラがアポロニオスの神殿を建立したと伝えている[15]。ただし、ディオ自身はカラカラに批判的な立場から、アポロニオスを魔術師と呼んでいる[19]。また『ローマ皇帝群像』によれば、アレクサンデル・セウェルスの礼拝所(ララリウム)には、イエス、アブラハムオルペウスとともにアポロニオスの彫像が並べられていた[10]。また『ローマ皇帝群像』によれば、軍人皇帝アウレリアヌスは、パルミラ帝国傘下となったテュアナに侵攻した際、アポロニオスの幻影に諭されて略奪を思いとどまったという。また同箇所の記述から、アポロニオスの肖像画が当時流布していたことが窺える[29]

 
ポルピュリオス。『反キリスト教論英語版』でアポロニオスに言及し、キリスト教徒の言う奇跡は珍しいものではないとした。

キリスト教においては、4世紀ディオクレティアヌス治下の迫害者ソッシアヌス・ヒエロクレス英語版が、アポロニオスを引き合いに出してイエスを冒涜する著作を書いた、ということが、エウセビオス『ヒエロクレス論駁』[注釈 6]ラクタンティウスを通じて伝わる[1]。あるいはそれより早く、3世紀ポルピュリオスが『反キリスト教論英語版』でアポロニオスを引き合いに出しているが、こちらはイエスではなくパウロモーセを冒涜している[1]。その他、ポルピュリオスの他の著作や[13]、4世紀のエウナピオスアンミアヌス・マルケリヌスが、異教主義の立場から聖者として言及している[1]

キリスト教徒では、上記のエウセビオスラクタンティウスのほか、ヒエロニムス[1]アウグスティヌス[1]アルノビウス英語版[1]ヨハネス・クリュソストモスペルシオンのイシドーロス英語版[1]偽ユスティノス英語版[1]偽ノンノス英語版[1]セレウケイアのバシレイオス英語版[1]シナイのネイロス英語版[1]シナイのアナスタシオス英語版ヨハネス・マララス英語版[31]ミレトスのヘシュキオス英語版フォティオス[32]バル・ヘブライオス英語版が、アポロニオスに言及している。いずれも基本的には、シモン・マグスアプレイウスと同様の異端の魔術師と捉えていたが[8][1]、ヒエロニムスやラクタンティウスは賢者として好意的に捉えてもいた[8]

古代末期からビザンツ期の著述家たちは、キリスト教が国教となってなお、アポロニオスが作ったというタリスマンが流布していたことを伝えている[1]。そのような背景のもと、ビザンツ期には、タリスマンや占星術についての書物『アポテレスマタ』(Ἀποτελέσματα, Apotelesmata) がアポロニオスに仮託された[1]1204年第4回十字軍が破壊したコンスタンティノープル競馬場の物品の中にも、アポロニオスのタリスマンがあったと推定される[33]

中世イスラム世界では、「バリーナース」(: Balînâs‎) の名で呼ばれて賢者とみなされ[13][34]ヘルメス主義錬金術・占星術の書物が仮託された。その例として、『エメラルド板』原資料の『創造の秘密の書』(: Kitāb sirr al-ḫalīqa‎)[35]ジャービル文書の『石の書』(: Kitāb al-Ahjār‎) 所収の教説[36]、上記『アポテレスマタ』のアラビア語訳 (: Kitāb al-ṭalāsim al-akbar‎)[31][2] がある。キンディーアブー・マーシャル英語版も、アポロニオスをヘルメス主義に結びつけて言及している[37]ニザーミーなどのペルシア語文学にも賢者として登場する[34][2]中世ヨーロッパでも、『創造の秘密の書』のラテン語訳者サンタリャのウゴ英語版らにより、同様の受容がされた[注釈 7]

近世から現代編集

15世紀から16世紀ルネサンス期を代表する印刷業者アルド・マヌーツィオが、ラテン語訳付き『テュアナのアポロニオス伝』を上記の『ヒエロクレス論駁』と合本して出版した[1]。また、マルコス・ムスロス編纂の書簡集も出版した[38]。さらに、他の印刷業者によりイタリア語訳やフランス語訳[注釈 8]も出版された。これらと併行して、ラブレー[40]フィチーノロイヒリンジャンフランチェスコ・ピコバロニウスボダントリテミウスがアポロニオスに言及し、ピエトロ・リベリストラダヌスが絵画を描いた[注釈 9]

17世紀理神論の祖ハーバート・オブ・チャーベリー英語版チャールズ・ブラウント英語版がアポロニオスとイエスを比較した[18]。ブラウントは『テュアナのアポロニオス伝』第2巻までの英語訳注を出版し、イエスの生涯の信憑性が、アポロニオスのそれと同程度に過ぎないと主張した[41]。この英語訳注は英国国教会に糾弾された[42]。17世紀にはその他、著述家ロバート・バートン英語版が『憂鬱の解剖英語版』で、アポロニオスのラミア退治に言及した[43]

18世紀マルキ・ド・サドは『司祭と臨終の男との対話英語版』で、アポロニオスとイエスを比較し、イエスを冒涜した[注釈 10]。同じころ、歴史家エドワード・ギボンは『ローマ帝国衰亡史』で、アポロニオスとイエスの生年をほぼ同時期とし、聖者・ペテン師・狂信者のいずれか分からないと述べた[45]。このギボンの記述は、イエスを暗に冒涜するものとみなされ、論争を招いた[46]。18世紀にはその他、フリードリヒ大王ヴォルテールヴィーラントがアポロニオスに言及した[注釈 11]

 
エリファス・レヴィ近代魔術によりアポロニオスを召喚したという。

19世紀中葉、近代魔術の開拓者エリファス・レヴィは、『高等魔術の教理と祭儀英語版 祭儀篇』で、儀式によりアポロニオスの霊を召喚したと報告した[47][48]。また同書の付録として、儀式で使ったアポロニオスの著作『ヌクテメロンwikidata』のフランス語訳、と称する文章を載せた。

19世紀末から20世紀前半、神智学協会ヘレナ・P・ブラヴァツキーや、ルドルフ・シュタイナーが、アポロニオスに言及した[注釈 12]。特にアリス・ベイリーチャールズ・W・レッドビーターが、アポロニオスを「イエス大師」と結びつけた。また、G・R・S・ミード英語版がアポロニオスを主題的に研究した[17]

19世紀末、バハイ教の聖典の一つ『ケターベ・アクダス英語版』で、アポロニオス(バリーナース)がソクラテスやピタゴラスと並ぶ偉大な哲学者の一人として扱われた[49]

19世紀以降の文学では、ジョン・キーツが上記『憂鬱の解剖』の引くラミア退治に着想を得て、詩『レイミア英語版』を作った[43]エズラ・パウンドは、長編詩『ピサ詩篇英語版』でアポロニオスを聖者として登場させた[50]チャールズ・オルスン英語版は、『テュアナのアポロニオス伝』を翻案してダンス劇『テュアナのアポロニウス』を作った[51]。その他、エドワード・ブルワー=リットン歴史小説ポンペイ最後の日』『ザノーニ英語版』、ギュスターヴ・フローベールの詩的小説『聖アントワーヌの誘惑』、カレル・ボレスラフ・イラークのオペラ『テュアナのアポロニオス』、コンスタンディノス・カヴァフィスの詩『ロードス島におけるティアナのアポロニオス』、チャールズ・G・フィニーファンタジー小説ラーオ博士のサーカス英語版』、およびその映画化『ラオ博士の7つの顔』(演: トニー・ランドール)、SFテレビドラマThe Fantastic Journey』(演: メル・ファーラー)、エイヴラム・デイヴィッドスンSF小説Masters of the Maze』、スティーヴン・セイラー英語版の歴史小説『Empire』などに登場する。

 
アポロンに由来する名のテュアナ人」による人類救済について書かれたギリシア語碑文[1]5世紀ごろ成立[1]アダナ考古博物館 (Adana Archaeology Museum) 所蔵[52]

19世紀以降の学界では、聖書学者のブルトマンバウア、歴史学者のマイヤー、文芸批評家のルネ・ジラールら、多くの学者が『テュアナのアポロニオス伝』の性質やイエスとの関係について論じている[注釈 13]。また、碑文メダルコントルニエイト英語版)などの考古学資料も発見されている[1]

20世紀中葉、サンスクリット語文献において、アポロニオスが「アパルーニヤ」(: Apalūnya)の名で、ヴェーダーンタ学派に属する西方のヨーギンとして言及される文献が発見された[53][54]。これにより、インド遍歴の史実説や『テュアナのアポロニオス伝』東伝説が強まり、中村元にも注目された[54]。しかし1995年、この文献が19世紀末の偽作であることが証明された[55]

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 同様の傾向は、新ピタゴラス主義におけるピタゴラス伝や、新プラトン主義におけるプロティノス伝、プロクロス伝にもみられる[9]
  2. ^ ただし、本書中にイエスへの言及は無い。
  3. ^ 新ピタゴラス派のエウクセノスwikidataに師事したが、エウクセノスは知識を受け売りするのみで、優れた師ではなかったという[14]
  4. ^ 原文では「ギュムノイ」γυμνοί だが、「ギュムノソピスタイ」と実質同義[19]
  5. ^ 『犠牲について』はアポロニオスの「母語」で書かれ、各地の神殿に置かれていた[25]。本書はポルピュリオスにも言及がある[6]
  6. ^ 『ヒエロクレス論駁』はエウセビオスでなく別人の著作とする説もある[30]
  7. ^ 詳細はde:Apollonios_von_Tyana#West-_und_Mitteleuropaを参照。
  8. ^ フランス語訳者はブレーズ・ド・ヴィジュネール英語版[39]
  9. ^ 詳細はde:Apollonios_von_Tyana#Frühe_Neuzeitを参照。
  10. ^ 「あなたのイエスだって、別だんテュアナのアポロニウスより変わったことをしたわけじゃなかったんです。それなのに、誰もアポロニウスを神様にしようなんて考えるものはいやしません。」(澁澤龍彦訳)[44]
  11. ^ 詳細はde:Apollonios_von_Tyana#Frühe_Neuzeitを参照。
  12. ^ 詳細はde:Apollonios_von_Tyana#Esoterische_Strömungenを参照。
  13. ^ 詳細はde:Apollonios_von_Tyana#Parallelen_zum_christlichen_Jesusbildde:Apollonios_von_Tyana#Moderneを参照。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u Christopher P. Jones, Apollonius of Tyana in Late Antiquity” (英語). The Center for Hellenic Studies. 2022年2月8日閲覧。
  2. ^ a b c 守川知子、ペルシア語百科全書研究会「ムハンマド・ブン・マフムード・トゥースィー著『被造物の驚異と万物の珍奇』(4)」『イスラーム世界研究』4(1・2)、京都大学イスラーム地域研究センター、2011年。521頁
  3. ^ 勝又泰洋「ピロストラトス『テュアナのアポッローニオス』における語り手の情報の取り扱いについて」『文芸学研究』第20巻、2016年、 64-87頁、 doi:10.18910/73161
  4. ^ Apollonius of Tyana - Livius”. www.livius.org. 2022年1月29日閲覧。
  5. ^ a b ピロストラトス 2010, 訳者はしがき.
  6. ^ a b c d e f g h i ピロストラトス 2010.
  7. ^ a b c d e f 内山 2007, p. 498f.
  8. ^ a b c d e 大滝 1992, p. 90.
  9. ^ グレン・W.モウスト著、和田利博訳 著「哲学と宗教」、デイヴィッド・セドレー英語版 編 『古代ギリシア・ローマの哲学 ケンブリッジ・コンパニオン』京都大学学術出版会、2009年。ISBN 9784876987863 453頁
  10. ^ a b c d 大滝 1992, p. 89.
  11. ^ フランソワ・アルトーグ 著、葛西康徳、松本英実 共訳 『オデュッセウスの記憶 古代ギリシアの境界をめぐる物語』東海大学出版部、2010年、42頁。ISBN 978-4486019503 
  12. ^ a b ファーガソン 2011, p. 248f.
  13. ^ a b c Apollonius of Tyana (2) - Livius”. www.livius.org. 2022年2月15日閲覧。
  14. ^ a b c 大滝 1992, p. 91f.
  15. ^ a b c d e 松原 2010, p. 112.
  16. ^ a b 大滝 1992, p. 93.
  17. ^ a b c 大滝 1992, p. 94.
  18. ^ a b c d Apollonius Tyanaeus - A Dictionary of Greek and Roman biography and mythology - ウィリアム・スミス
  19. ^ a b c d e f g チェントローネ 2000, p. 223-226.
  20. ^ ヴァルター・ブルケルト著、橋本隆夫訳『ギリシャの神話と儀礼』リブロポート、1985年、ISBN 4-8457-0176-6 105頁。
  21. ^ a b c d e 大滝 1992, p. 95.
  22. ^ 澁澤 1994.
  23. ^ 中務哲郎『イソップ寓話の世界』筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、ISBN 9784480056634 65頁
  24. ^ a b ディオン・クリュソストモス著、内田次信訳 『王政論 弁論集1』 京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2015年。ISBN 9784876989126。186f頁
  25. ^ a b c d Apollonius of Tyana (4) - Livius”. www.livius.org. 2022年2月13日閲覧。
  26. ^ イアンブリコス 著、水地宗明 訳 『ピタゴラス的生き方』京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2011年。ISBN 9784876981908 310;319f頁
  27. ^ 『テュアナのアポロニオス伝』5.38、『ソフィスト列伝』ディオン伝
  28. ^ a b ルキアノス 著、内田次信・戸高和弘・渡辺浩司 訳 『ルキアノス全集 4 偽預言者アレクサンドロス』京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2013年。ISBN 9784876982516 218;331頁
  29. ^ Historia Augusta, Vita Aureliani 24,3–5. Vgl. Robert Turcan: Les monuments figurés dans l’Histoire Auguste. In: Giorgio Bonamente, Noël Duval (Hrsg.): Historiae Augustae Colloquium Parisinum, Macerata 1991, S. 287–309, hier: 295f.; François Paschoud (Hrsg.): Histoire Auguste, Band 5/1: Vies d’Aurélien, Tacite, Paris 1996, S. 141.
  30. ^ Apollonius of Tyana (8) - Livius”. www.livius.org. 2022年2月15日閲覧。
  31. ^ a b Raggetti, Lucia (2019-02-25). “Apollonius of Tyana’s Great Book of Talismans”. Nuncius 34 (1): 155–182. doi:10.1163/18253911-03401006. ISSN 0394-7394. https://brill.com/view/journals/nun/34/1/article-p155_6.xml. 
  32. ^ フォティオス『ビブリオテーケー』44
  33. ^ Gerd Petzke: Die Traditionen über Apollonius von Tyana und das Neue Testament, Leiden 1970, S. 34; Maria Dzielska: Apollonius of Tyana in Legend and History, Rom 1986, S. 103–106. Christopher P. Jones: Apollonius of Tyana in Late Antiquity. In: Scott Fitzgerald Johnson (Hrsg.): Greek Literature in Late Antiquity, Aldershot 2006, S. 49–64, hier: 57f. plädiert für Spätdatierung (800–1200).
  34. ^ a b 杉田英明「ギリシア人画家と中国人画家の腕比べ : アラブ・ペルシア文学のなかの佛教説話」『Odysseus : 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻紀要』第19号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2014年、 10頁、 doi:10.15083/00039079ISSN 13450557NAID 40020458113
  35. ^ ローレンス・M・プリンチーペ 『錬金術の秘密 - 再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」』ヒロ・ヒライ訳、勁草書房〈BH叢書〉、2018年、40-43頁。 
  36. ^ 藤巻一保;岡田明憲『決定版 東洋の魔術書―アジアに伝わる“秘密の書”を全解読!』学研プラス、2012年。ISBN 978-4054052772 第6章
  37. ^ Jean-Marc Mandosio: Les vies légendaires d’Apollonius de Tyane, mage et philosophe. In: Micrologus, Bd. 21, 2013, S. 115–143, hier: 132–135.
  38. ^ Siehe zu den Übersetzungen Matthias Dall'Asta: Philosoph, Magier, Scharlatan und Antichrist, Heidelberg 2008, S. 249–261.
  39. ^ 高橋薫『テュアナのアポロニオス伝』とその注解者トマ・アルチュス」『仏語仏文学研究』第48巻、中央大学仏語仏文学研究会、2016年、 27頁、 ISSN 0286-5920NAID 120006639284
  40. ^ フランソワ・ラブレー著、渡辺一夫訳『第三の書 パンタグリュエル物語』岩波書店〈岩波文庫〉、2012年、374;402頁
  41. ^ アルナルド・モミッリャーノ著、木庭顕編訳「IV ギリシャ・ローマ史学とアンティクアリアニズム」 『モミッリャーノ 歴史学を歴史学する』みすず書房、2021年。ISBN 978-4-622-09042-7 99頁
  42. ^ Maria Dzielska: Apollonius of Tyana in Legend and History, Rom 1986, S. 204f.
  43. ^ a b 南條 2000, p. 116-142.
  44. ^ 『筑摩世界文学大系 23 サド レチフ』筑摩書房、1977年、ISBN 978-4480206237 9頁
  45. ^ https://www.gutenberg.org/files/25717/25717-h/25717-h.htm
  46. ^ YOUNG, B. W. (1998-03). “‘SCEPTICISM IN EXCESS’: GIBBON AND EIGHTEENTH-CENTURY CHRISTIANITY”. The Historical Journal 41 (1): 179–199. doi:10.1017/s0018246x97007693. ISSN 0018-246X. 
  47. ^ エリファス・レヴィ著、生田耕作訳『高等魔術の教理と祭儀 祭儀篇』人文書院、1992年、ISBN 9784409030233 128;149頁
  48. ^ ヘイズ中村『決定版 西洋の魔術書: ヨーロッパに伝わる“秘密の書“を全解読!』学研プラス、2012年。ISBN 978-4054052765 第6章
  49. ^ Baha'i Academics: Tablets of Bahá'u'lláh Revealed After the Kitáb-i-Aqdas, pages 135-152”. bahai-library.com. 2022年2月15日閲覧。
  50. ^ 平野順雄「天国の設計 : エズラ・パウンドの後期「詩篇」」『椙山女学園大学研究論集 人文科学篇』第35巻、椙山女学園大学、2004年、 111頁、 ISSN 1340-4040
  51. ^ 齋藤修三「オルスンとダンスの詩学 I 「テュアナのアポロニウス」を読む(1)」『青山學院女子短期大學紀要』第46号、青山学院女子短期大学、5頁、1992年https://doi.org/10.34321/827 
  52. ^ Jones, C. P. (1980). “An Epigram on Apollonius of Tyana” (英語). The Journal of Hellenic Studies 100: 190–194. doi:10.2307/630745. ISSN 0075-4269. JSTOR 630745. https://www.cambridge.org/core/product/identifier/S0075426900095768/type/journal_article. 
  53. ^ Vidhushekhara Bhattacharya, The Āgamaśātra of Gaudapāda (University of Calcutta Press) 1943 (reprint Delhi 1989).
  54. ^ a b 中村元「西洋思想史における仏教」『新装新版 中村元』河出書房新社〈KAWADE道の手帖〉、2012年、ISBN 9784309740478 132頁。(初出1955年『現代仏教講座 4』角川書店)
  55. ^ Simon Swain: "Apollonius in Wonderland", in: Ethics and Rhetoric, ed. Doreen Innes, Oxford 1995, pp. 251–54.

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集

事典項目

原典資料