デフェンソール・スポルティング

ウルグアイのサッカークラブ

デフェンソール・スポルティング・クラブスペイン語: Defensor Sporting Club)はウルグアイの首都モンテビデオを本拠地とするスポーツクラブである。この記事では、主にデフェンソール・スポルティングのサッカーチームについて説明する。

デフェンソール・スポルティング
原語表記 Defensor Sporting Club
愛称 El Violeta
La Viola
Tuertos[1]
El Defe
La Farola
La Cometa
クラブカラー    
   
創設年 1913年
所属リーグ プリメーラ・ディビシオン
所属ディビジョン 1部(2024シーズン)
ホームタウン モンテビデオ
ホームスタジアム
エスタディオ・ルイス・フランシーニ
収容人数 16,000
代表者 ウルグアイの旗 アルベルト・ワルド
監督 ウルグアイの旗 マルティン・ヴァリーニ英語版
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要 編集

クラブ創設は1913年。ラプラタ川沿岸の高級エリアであるモンテビデオのプンタ・カレータス(Punta Carretas)地区を本拠地としている。

ペニャロールナシオナルの2強体制が続くウルグアイリーグにおいて、近年はダヌービオと並んで3番手のクラブと見なされている。ダヌービオとの対戦はクラシコ・デ・ロス・メディアーノス(Clásico de los Medianos)と呼ばれている[注釈 1]

2019シーズン終了時点で、プリメーラ・ディビシオン優勝回数は4回で、ペニャロールナシオナルに次いで3位タイである。プリメーラ・ディビシオン在籍年数はナシオナルペニャロールワンダラーズに次いで4番目に長い。

コパ・リベルタドーレスには16回出場しており、最高位は2014年のベスト4である。

歴史 編集

1913年3月15日にデフェンソール・フットボール・クラブ(Defensor Football Club)として創設。その後、一度は解散するが、1922年にクラブ・アトレティコ・デフェンソール(Club Atlético Defensor)として再結成した。1989年、バスケットボールを主体とするスポルティング・クラブ・ウルグアイ(Sporting Club Uruguay)と合併して、現在のデフェンソール・スポルティング・クラブ(Defensor Sporting Club)となった。

1913シーズンにディビシオナル・エクストラA(3部)に参加。翌1914シーズンにセグンダ・ディビシオンに昇格、さらに翌1915シーズンにはプリメーラ・ディビシオンに昇格を果たした。1915シーズンは、10クラブ中4位というまずまずの成績を残した。しかし2年後の1917シーズンを最下位で終え、セグンダ・ディビシオンへの降格が決まると、デフェンソールFCはクラブを解散した。

1922年末、ペニャロールセントラル(現在のセントラル・エスパニョール)がウルグアイサッカー協会(AUF)を脱退してウルグアイサッカー連盟(FUF)を設立した。これを機に、CAデフェンソールとして再結成して1923シーズンからFUF主催の国内リーグ[注釈 2]に参加した。その後、AUFFUFの再統合を経て再開された1927シーズンから、デフェンソールとしては10年ぶりにAUF主催の国内リーグに復帰した。

1927シーズン以降、2部で過ごした1950シーズン・1965シーズン・2021シーズンを除いて、常に1部リーグに在籍している。

1976シーズンには、守備的な戦術を採用したリカルド・デ・レオン監督の下でリーグ初優勝を飾り、1932年にプロリーグ化されて以降、初めてペニャロールナシオナル以外の優勝クラブ[注釈 3]となった。翌1977年にはコパ・リベルタドーレスに初出場を果たした。

その後も、1987シーズン、1991シーズン、2007-08シーズンとプリメーラ・ディビシオンを制している。2007年9月には、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)によって世界月間最優秀クラブに選出された。

2014年のコパ・リベルタドーレスでは過去最高のベスト4に進出した。5ゴールを決めて得点王になったデフェンソールのニコラス・オリベラが大会MVPも獲得した。

2022年、1回目の開催となったコパ・AUF・ウルグアイでは初代王者に輝いた[2]

スタジアム 編集

モンテビデオのロド公園に所在するエスタディオ・ルイス・フランシーニ(Estadio Luis Franzini)をホームスタジアムとしている。ルイス・フランシーニは、30年以上にわたりクラブの会長を務めた人物の名前である。

スタジアムは1963年にオープン。1998年に改築された。16,000人収容。クラブが自ら所有している。

コパ・リベルタドーレスコパ・スダメリカーナなどの国際大会では、デフェンソール以外のクラブが使用することもある。2015年のコパ・リベルタドーレスではダヌービオコリンチャンス、ダヌービオ対サンパウロの2試合が行われている。

下部組織 編集

デフェンソールの下部組織は優れた選手を多く輩出している。後にウルグアイ代表ヨーロッパ5大リーグで活躍した選手も多い。

ホルヘ・ダ・シルバセルヒオ・マルティネスセバスティアン・アブレウアンドレス・フレウリキンマルセロ・テヘラダリオ・シルバゴンサロ・バルガスディエゴ・ペレスニコラス・オリベラマルティン・カセレスマキシ・ペレイラアルバロ・ゴンサレスタバレ・ビウデスなどが、デフェンソールの下部組織からトップチームを経て海外の有力クラブに移籍している。

ユニフォーム 編集

ホームカラー

アウェイカラー

タイトル 編集

国内タイトル 編集

国際タイトル 編集

なし

歴代監督 編集

歴代所属選手 編集

DF 編集


MF 編集


FW 編集


サッカー以外の競技 編集

デフェンソール・スポルティングは、サッカー以外にもバスケットボール陸上競技などの競技チームを保有している。特にバスケットボールチームは国内外の大会で大きな成功を収めている。

バスケットボール 編集

デフェンソール・スポルティングの前身の1つであるスポルティング・クルブ・ウルグアイのバスケットボールチーム(Sporting Club Uruguay、1912年設置)を引き継いでいる。創設以来、現在に至るまで同国を代表する強豪クラブである。国内リーグのトップカテゴリーであるリーガ・ウルグアージャ・デ・バスケトボル(Liga Uruguaya de Básquetbol、2003年創設)に所属。

古くからの強豪で、リーガ・ウルグアージャの前身のカンペオナート・フェデラル(Campeonato Federal、1915年-2003年)時代には、最多となる18回の優勝を遂げた。

国際大会でも活躍しており、南米クラブ選手権(Campeonato Sudamericano de Clubes Campeones)で2回、リオプラテンセ選手権(Campeonato Rioplatense)で5回の優勝を記録している。

  • 国内タイトル
    • カンペオナート・フェデラル18回
      • 1918, 1922, 1924, 1926, 1927, 1930, 1932, 1933, 1934, 1936, 1938, 1949, 1950, 1951, 1955, 1980, 1985, 2003
    • リーガ・ウルグアージャ・デ・バスケトボル2回
      • 2003, 2009-10
  • 国際タイトル
    • 南米クラブ選手権2回
      • 1956, 1958
    • リオプラテンセ選手権5回
      • 1924, 1926, 1930, 1932, 1934

陸上競技 編集

デフェンソール・スポルティングの前身の1つであるスポルティング・クルブ・ウルグアイの陸上競技チームを引き継いでいる。

1910年に9月14日にクルブ・ペデストレ・イ・アトレティコ・デル・ウルグアイ(Club Pedestre y Atlético del Uruguay)として創設。1912年のバスケットボールチームの設置に伴いスポルティング・クルブ・ウルグアイに改称した。

脚注 編集

  1. ^ #245 – Defensor SC : el Tuerto” (フランス語). Footnickname. 2023年2月19日閲覧。
  2. ^ Uruguay 2023”. RSSSF. 2024年3月19日閲覧。
  1. ^ このクラシコは、クラシコ本来の歴史的な地域ライバルに基づくものではなく、近年好成績を残している2クラブの対戦をマスメディアが持ち上げたものである。そのため、クラシコと呼ぶことに否定的な意見もある。
  2. ^ ウルグアイサッカー連盟(FUF)主催リーグの結果はウルグアイサッカー協会(AUF)から公式記録として認められていない。
  3. ^ アマチュアリーグ時代を含めると、1931シーズンのワンダラーズ以来45年ぶり

外部リンク 編集