デラニー&ボニー
デラニー&ボニー(Delaney & Bonnie)は、アメリカ合衆国のデュオ歌手。デラニー・ブラムレット(1939年7月1日 - 2008年12月27日)とボニー・ブラムレット(1944年11月8日 - )の夫婦により結成された。エリック・クラプトンとの共演等で知られる。いくつかの作品では、大編成のバック・バンドを従えて、デラニー&ボニー&フレンズという名義となっている。デラニーと表記されるが、実際の発音はディレイニーの方が近い。
デラニー&ボニー | |
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![]() 1970年 | |
基本情報 | |
出身地 |
![]() |
ジャンル | ロック、ブルースロック、スワンプ・ロック |
活動期間 | 1967年 - 1972年 |
レーベル |
スタックス・レコード エレクトラ・レコード アトコ・レコード コロムビア・レコード |
共同作業者 |
レオン・ラッセル エリック・クラプトン ジェリー・マギー カール・レイドル ボビー・ウィットロック ジム・ケルトナー ボビー・キーズ リタ・クーリッジ ジム・ゴードン デイヴ・メイソン デュアン・オールマン |
旧メンバー |
デラニー・ブラムレット ボニー・ブラムレット |
来歴 編集
1939年にミシシッピ州ポントトクで生まれたデラニー・ブラムレットは、1959年にロサンゼルスに渡り、その後テレビ番組「シンディグ!」のハウスバンドであったザ・シンドッグズというバンドで活動[1]。一方、1944年にイリノイ州アルトンで生まれたボニー・リン・オファレルは、イースト・セント・ルイスで育った後、1960年代にはメンフィスに移り、様々な歌手のバック・コーラスを経て、アイク&ティナ・ターナー専属のヴォーカル・グループ、アイケッツに、初の白人メンバーとして加入した[2]。1967年、2人はロサンゼルスで出会い、ほどなく結婚。そしてデラニー&ボニーも結成された。
デラニー&ボニーは、1968年にスタックス・レコードとの契約を得る。そして、ブッカー・T&ザ・MG'sやアイザック・ヘイズのサポートを得てレコーディングを行うが、その時の音源は一度お蔵入りとなり、デュオが名声を得た後に、『ホーム』というアルバムとしてリリースされた[3]。2人は、メンフィスで知り合ったボビー・ウィットロックを連れてロサンゼルスに戻り、エレクトラ・レコードと契約して、1969年春にはアルバム『オリジナル・デラニー&ボニー』でメジャー・デビューを果たす。なお、当時ジョージ・ハリスンがデラニー&ボニーをアップル・レコードに勧誘し、同社から『オリジナル・デラニー&ボニー』をリリースしようとしたが実現せず[4]、同アルバムのために用意されていたカタログ番号「SAPCOR 7」は欠番となった[5]。
1969年、デラニー&ボニーはブラインド・フェイスのアメリカ・ツアーのオープニング・アクトを担当。当時ブラインド・フェイスで活動していたエリック・クラプトンは、2人と親交を深め、バンド解散後、ジェリー・マギー(ザ・ベンチャーズに加入)の後任としてデラニー&ボニーのサポート・ギタリストとなった。デュオはアトコ・レコードに移籍し、12月には、デラニーとエリックが共作した楽曲「カミン・ホーム」がシングルとしてリリースされた。同作はイギリスでもリリースされ、全英16位というヒットを記録した[6]。シングルB面に収録された「グルーピー」は、ボニーとレオン・ラッセルとの共作で、後に「スーパースター」と改題されて、1971年にはカーペンターズによるカヴァーが世界的に大ヒットした[3]。
また、1969年末のイギリス・ツアーは、エリック、ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードン、デイヴ・メイソン、ボビー・キーズ、リタ・クーリッジ等も加わった大所帯で行われた。その模様は、1970年3月にライヴ・アルバム『オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン』として発売され、全米29位[7]、全英39位のヒット作となった[8]。エリックはその後、このツアーで共演したミュージシャン3人と共にデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成。
2人はその後、デュアン・オールマンと交流を深め、『デラニーよりボニーへ』(1970年)、『モーテル・ショット』(1971年)を発表。後者はアンプラグドの色が強い作風で、デュアンに加えてジョー・コッカーやグラム・パーソンズも参加。また、映画『バニシング・ポイント』にも出演した[9]。その後、コロムビア・レコードに移籍して『D&Bトゥゲザー』(1972年)を発表した。しかし、同作を最後にデュオは解散し、2人は離婚する。
その後共にソロ・アーティストとしての道を歩むが、ボニーは1987年よりボニー・シェリダン名義で女優に転向。2002年に約四半世紀ぶりのアルバム『アイム・スティル・ザ・セイム』でシンガーとしてカムバックを果たした[10]。
一方デラニーは1972年に『サム・シングス・カミング』でソロ・デビュー後、1970年代に計4枚のアルバムを発表した。1980年代以降は暫く作品は途絶えるものの、2000年に『サウンズ・フロム・ホーム』でカムバック。2007年には『ア・ニュー・カインド・オブ・ブルース』をリリースし存在感を示した。しかしながら、2008年12月27日、デラニーは胆嚢手術後の合併症によりロサンゼルスで死去した[1]。
夫妻の娘ベッカ・ブラムレットは歌手になり、フリートウッド・マックのアルバム「Time」に参加するなどの活躍をしている。
ディスコグラフィ 編集
- オリジナル・デラニー&ボニー - Accept No Substitute(1969年、Elektra)
- ホーム - Home(1969年、Stax)
- オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン - On Tour with Eric Clapton(1970年、Atco)
- デラニーよりボニーへ - To Bonnie from Delaney(1970年、Atco)
- モーテル・ショット - Motel Shot(1971年、Atco)
- D&Bトゥゲザー - D&B Together(1972年、Columbia/CBS)
- The Best of Delaney & Bonnie(1972年、Atco / 1990年、Rhino)
脚注 編集
- ^ a b Delaney Bramlett - Music Biography, Credits and Discography : AllMusic
- ^ Delaney & Bonnie - Music Biography, Credits and Discography : AllMusic
- ^ a b 『The Best of Delaney & Bonnie』(Rhino Records, 1990, R2 70777)英文ライナーノーツ(Joe Tortelli)
- ^ The Beatles manage a Market Watch countdown hat trick - goldminemag.com - article by Susan Sliwicki - 2015年2月3日閲覧
- ^ 1969 - Apple Records - 2015年2月3日閲覧
- ^ ChartArchive - Delaney and Bonnie and Friends - Comin' Home
- ^ On Tour with Eric Clapton - Delaney & Bonnie : Awards : AllMusic
- ^ ChartArchive - Delaney and Bonnie and Friends - On Tour
- ^ Vanishing Point (1971)-Full cast and crew-
- ^ Bonnie Bramlett - Music Biography, Credits and Discography : AllMusic