トマス・ヘイ (第7代キノール伯爵)

第7代キノール伯爵トマス・ヘイ英語: Thomas Hay, 7th Earl of Kinnoull1660年ごろ – 1719年1月5日)は、スコットランド王国出身の貴族、政治家。庶民としてスコットランド王国議会英語版議員英語版を務めた後、ダプリン子爵に叙されて引き続き議員を務め、グレートブリテン王国期にはスコットランド貴族代表議員(在任:1710年 – 1714年)に選出された[1][2]

生涯編集

ジョージ・ヘイ(George Hay、1672年10月没、フランシス・ヘイの長男)と妻マリオン(Marion、旧姓ニコルソン(Nicolson)、1663年7月15日埋葬、初代準男爵サー・トマス・ニコルソン英語版の娘)の次男として[1]、1660年ごろに生まれた[2]。1675年1月に兄フランシス(1658年2月28日 – 1675年1月)が生涯未婚のまま死去すると[1]バルハウジー英語版の地所を継承した[2]

1693年から1697年までパースシャー選挙区英語版の代表としてスコットランド王国議会英語版議員英語版を務めた後、1697年12月31日にスコットランド貴族であるダプリン子爵に叙され、1698年7月23日にダプリン子爵としてスコットランド王国議会議員に就任した[1]。議会ではトーリー党に属した[2]

スコットランド王国イングランド王国合同を支持して、合同条約英語版の交渉におけるスコットランド代表の1人を務めた[1][2]

1709年5月10日に遠戚にあたる第6代キノール伯爵ウィリアム・ヘイが死去すると、キノール伯爵位を継承した[2]。その後、1710年イギリス総選挙1713年イギリス総選挙でスコットランド貴族代表議員に当選した[1]1715年ジャコバイト蜂起では蜂起への支持を疑われ、長男ジョージとともにエディンバラ城に投獄された[2]

1719年1月5日に痛風により死去、長男ジョージが爵位を継承した[1][2]

家族編集

1683年12月20日にエリザベス・ドラモンド(Elizabeth Drummond、1696年3月21日没、初代ストラサラン子爵ウィリアム・ドラモンド英語版の娘)と結婚、3男2女をもうけた[1][2]

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Paul, James Balfour, Sir, ed. (1908). The Scots Peerage (英語). V. Edinburgh: David Douglas. pp. 229–232.
  2. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 321–322.
  3. ^ Handley, Stuart (2002). "HAY, George, Visct. Dupplin (aft.1683-1758), of Pedwardine, Herefs.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月19日閲覧

外部リンク編集

スコットランド議会
先代
ジョン・ホールデン
サー・ジェームズ・ラムゼイ準男爵
サー・コリン・キャンベル準男爵
アダム・ドラモンド
議員英語版パースシャー選挙区英語版選出)
1693年 – 1697年
同職:サー・コリン・キャンベル準男爵 1693年 – 1697年
アダム・ドラモンド 1693年 – 1697年
サー・アレクサンダー・メンジース準男爵 1693年 – 1695年
ロバート・ヘイ 1695年 – 1697年
次代
サー・コリン・キャンベル準男爵
アダム・ドラモンド
ロバート・ヘイ
ジェームズ・クレイギー
スコットランドの爵位
先代
ウィリアム・ヘイ
キノール伯爵
1709年 – 1719年
次代
ジョージ・ヘイ
爵位創設 ダプリン子爵
1697年 – 1719年