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生涯編集

ノルマン人富裕層の両親の子としてロンドンに生まれた。1142年ごろ、カンタベリー大司教セオバルド英語版の元に仕え、留学の後1154年に助祭長となる。[2]

また、イングランド王ヘンリー2世大法官として仕えた。しかし、大司教に叙階された後は教会の自由をめぐってヘンリー2世と対立するようになり、さらには他の司教の支持も失い1164年、国外へ逃亡した[2]。逃亡先のポンティニー修道院は、当時追放された他のイングランドの高位聖職者達がトマス・ベケットをはじめ、多数滞在した[3]

ヘンリー2世との和解は1170年に成ったものの、帰国早々またしても問題が発生した。ヘンリー2世の息がかかった司教に対し、トマス・ベケットが懲戒を行ったものである。ヘンリー2世は当時ノルマンディーに滞在していたがこれに激怒し、その意を汲んだ4人の騎士がカンタベリーに向け渡海、12月29日の夕刻トマス・ベケットはカンタベリー大聖堂において暗殺された。目撃者の証言によると最後の言葉は「喜んで私は、イエスの名のために、また教会を守るために死ぬ」であったと伝えられている[2]

死後編集

1173年、ローマ教皇アレクサンデル3世はトマス・ベケットを列聖し、以後多くの巡礼者がカンタベリー大聖堂に訪れることになった[2]。翌1174年7月12日、ヘンリー2世はベケットの墓の前で懺悔を行った。ローマ教会に屈服を余儀なくされたこともあり、この事件はヘンリー2世の命運を暗転させる契機となった。

1880年、コンラート・フェルディナント・マイヤーが『聖者』でベケットの生涯を描いた。1884年、詩人のアルフレッド・テニスンが『ベケット』を書き、T・S・エリオットの詩劇『寺院の殺人英語版1935年)』[4]ジャン・アヌイの戯曲とそれを原作とする1964年の映画『ベケット』がある[2]

脚注編集

  1. ^ Michael Walsh, ed. "Butler's Lives of the Saints." (HarperCollins Publishers: New York, 1991), p. 430.
  2. ^ a b c d e f アットウォーター,ドナルド; ジョン,キャサリン・レイチェル; 山岡健訳 『聖人事典』 三交社、1998年、251-253頁。ISBN 4-87919-137-X 
  3. ^ 西田雅嗣 『シトー会建築のプロポーション』 中央公論美術出版、2006年、252頁。ISBN 4-8055-0488-9 
  4. ^ T. S. エリオット、高橋康也 訳 『寺院の殺人』 リキエスタの会、2001年

関連項目編集