トミー・マクックTommy McCook1927年3月3日 - 1998年5月5日)は、ジャマイカのサクソフォーン奏者。

トミー・マクック
生誕 1927年3月3日
 キューバ ハバナ
死没 1998年5月5日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ジョージア州 アトランタ
学歴 アルファ・ボーイズ・スクール
ジャンル スカ
ロックステディ
レゲエ
職業 サクソフォーン奏者
担当楽器 サクソフォーン
共同作業者 ザ・スカタライツ
ザ・スーパーソニックス

スカタライツの創設メンバーであり、デューク・リードの下、スーパーソニックスを創設、また1970年代にはバニー・リーやチャンネル・ワン・スタジオでザ・レボリューショナリーズと多くのセッションを行った。

1998年5月、トミー・マクックの死は主立った報道がされる事も無く、全く注目されない形で過ぎて行った。同じスカタライツのメンバーであるローランド・アルフォンソジャッキー・ミットゥのように、マクックはそのジャマイカ音楽への多大なる貢献とは裏腹に、決してリスペクトされているとは言い難かった。マクックは1927年キューバハバナで生まれ、1933年にジャマイカへと移住した。マクックがテナーサクソフォーンの道に進んだのは11歳の時で、彼は有名なアルファ・ボーイズ・スクールの生徒だった。アルファ・スクールを卒業すると、マクックはすぐにエリック・ディーンズ・オーケストラ(Eric Dean's Orchestra)へ入団する。

1954年、マクックは仕事のため、バハマナッソーへと行き、その後マイアミへも行く事になった。そしてマイアミで初めてジョン・コルトレーンジャズを聴いたマクックは、ジャズの虜となる。ジャズへの思いを胸に秘め、1962年初頭にジャマイカへと帰ってきたマクックの元に、何人かの地元のプロデューサーからレコーディングの依頼が来た。その中にはクレメント・コクソン・ドッドもいた。結局マクックはコクソンの仕事を受け、アルバム『ジャズ・ジャマイカ』のセッションに参加する。

マクック初のスカのレコーディングは、1963年11月に、後に間もなくしてザ・スカタライツのメンバーとなる仲間達と一緒にレコーディングしたアーネスト・ゴールドの『栄光への脱出』であった。