トヨタ・MR2
MR2(エムアールツー)は、トヨタ自動車が1984年(昭和59年)から1999年(平成11年)まで製造・販売していたクーペ型のスポーツカー。日本車史上初の市販ミッドシップ車である[1]。
初代 AW10/11型(1984年-1989年)編集
トヨタ・MR2(初代) AW10/11型 | |
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前期型(1984年6月 - 1986年8月) | |
後期型(1986年8月 - 1989年10月) | |
AW11のエンブレム | |
概要 | |
製造国 | 日本(神奈川県) |
販売期間 | 1984年6月 – 1989年10月 |
設計統括 | 吉田明夫 |
ボディ | |
乗車定員 | 2人 |
ボディタイプ | 2ドアクーペ |
駆動方式 | MR |
パワートレイン | |
エンジン |
1984年6月-1986年8月 4A-GELU型 1.6L 直4 130PS 3A-LU型 1.5L 直4 83PS 1986年8月-1989年10月 4A-GZE型 1.6L 直4 スーパーチャージャー 145PS 4A-GELU型 1.6L 直4 130PS→120PS 3A-LU型 1.5L 直4 83PS |
変速機 | 4速AT / 5速MT |
サスペンション | |
ストラット式 | |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,320 mm |
全長 | 3,950 mm |
全幅 | 1,665 mm |
全高 | 1,250 mm |
車両重量 | 960 - 1,120kg |
その他 | |
最小回転半径 | 4.8m |
販売終了前月までの新車登録台数の累計 | 4万20台[2] |
1979年(昭和54年)に豊田英二社長が主査たちに飛ばした、「トヨタには将来、常識では考えられないひと味違ったクルマがあってもいいのではないか」という檄のもと開発が着手された[3]。1983年(昭和58年)の東京モーターショーで発表されたコンセプトカー・SV-3を若干の仕様変更後、ほぼそのままの形で1984年(昭和59年)6月に発売された。製造はセントラル自動車(相模原市の旧工場。現在のトヨタ自動車東日本)。
1984年度の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車であり、北米でも1985年にカー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。
低コストに量産性を高めるため、足回り、エンジン、トランスアクスルは既存の前輪駆動車(E80型カローラ)のものが流用された。同様な成り立ちのフィアット・X1/9や米・ゼネラルモーターズのポンティアック・フィエロを参考にしたとの話や、英国ロータスと技術提携していた時期の開発であることから、一部ではロータスが設計した車両をトヨタが再設計してコストダウンしたものとの説もあった(ただしロータスの関与についての確認はヨーロッパでの実走テストにテストドライバーが参加したことのみ)。
1986年(昭和61年)8月には大規模改良が行われ、スーパーチャージャーやプロトタイプ車で存在していたTバールーフの装備車が設定された(通称後期型)。外装ではバンパーやサイドモールが車体色と同色に統一されている。
1988年(昭和63年)の一部改良で電動格納ドアミラーの設定、内装生地の変更、ハイマウントストップランプの設定が行われた(通称最終型)。AW型は全グレードにおいてパワーステアリングの設定はなかった。
1989年 (平成元年)9月[4]に生産終了。在庫対応分のみの販売となり、販売も翌10月に終了した。
生産終了から20年ほどまでは中古車市場で取引されることも多く、維持管理部品のメーカー供給も(加工・流用で対応できる部品を除いて)ほぼ問題なく行われていたが、20年を超えるころから内外装関連で廃番部品が多くなり、部品取り車、中古パーツが高騰しつつある。
なお、AW1#系で採用されたエンブレムは七宝で、AWの文字を模した鳥(猛禽類)が描かれているが、補給部品は2010年にプラスチックベースのものに変更された。
トヨタ博物館には開発コード「730B」と呼ばれるプロトタイプ車(前述の東京モーターショー出展車とは異なる)が保存展示されており、量産車とは異なり丸みを帯びたデザインとなっている。
グレード構成編集
- S
- G
- G-Limited
前・後期型ともSは3A-LU型1,500 ccエンジン(日本国内仕様のみ)、GとG-Limitedは4A-GELU型1,600 ccエンジンをそれぞれ搭載。運輸省認定型式は1,500 ccエンジン車がE-AW10型、1,600 ccエンジン車はE-AW11型。 前期型のG、G-Limitedはムーンルーフ装着車、後期型のGおよびG-Limitedには、Tバールーフ装着車及びスーパーチャージャー装着車(4A-GZE型1,600 ccエンジン搭載)を設定。
マイナーチェンジによる差異編集
- 前期型初期仕様のバンパーとスポイラーは黒の無塗装ウレタン素材である(1985年の一部改良でボディ同色となる)。
- 前期型の中でも初期に生産された車両のリアスポイラーはFRP製の物ではなく木製の物が装着されていた(当時の技術では成型が困難だったことが理由)
- 前期型は全車とも車両重量が1,000 kg以下であり自動車重量税が安い(後期型の重量増は主に側面衝突対応のため)。
- 前期型のカーオーディオの取付スペースは1DINのみで、空調のコントロールパネルが後期型と異なる。
- 最終型では一部の仕様に電動格納ドアミラー、ぼかし入りブロンズガラス、トランクスポイラー内蔵LEDストップランプの設定が行われ、内装生地の変更が行われた。
限定車(特別仕様車)として、1985年(昭和60年)にG-Limitedをベースに「ホワイトランナー(WHITE LANNER)」、「1600Gスポーツパッケージ(前期のみ)」、1986年(昭和61年)にGスポーツパッケージをベースに「ブラックリミテッド」(前期ベース)が設定された。「1600Gスポーツパッケージ」(「ブラックリミテッド」を含む)はリアスタビライザーを装備している(形状、線径が後の「ADパッケージ」仕様車に取り付けられているものとは異なる)。
後期モデルのスーパーチャージャー車には、スプリング・ショックアブソーバーでサスペンション特性を変更し、フロントスタビライザーの径サイズアップ、リアスタビライザーの装着、回転方向指定タイヤのブリヂストンPOTENZA RE71などの装備を加えた「ADパッケージ仕様車」が設定されていた。なお後期モデルでは「ADパッケージ仕様車」以外のモデルにはリアスタビライザーの設定がない。
マイナーチェンジでの過給器設定に際し、メーカーではターボチャージャー仕様とスーパーチャージャー仕様を試作し、比較検討を行った。その結果、アクセルレスポンスや出力特性に優れるスーパーチャージャー仕様を採用した[5]。4A-Gエンジンのターボチャージャー仕様は一般市販されたことはないため、試作車のターボエンジンは幻の4A-Gターボとなった。
発売された特別仕様車編集
- 1985年1月- ホワイトランナー(300台の限定生産)
- ボディ色 スーパーホワイトII
- デカールによるシルバーの二本ライン
- バンパー、リップスポイラー、ドアミラー、マッドガードをボディーと同色化
- シートを黒と赤のツートンカラーへ変更
- パワーウインドウおよび電磁ドアロック、フロントブロンズガラスを装備。
- 1986年1月- ブラックリミテッド
- ブラックメタリックの専用ボディ色
- フロントとリアスポイラー、マッドガードをボディーと同色化
- 専用のプロテクションモール
- ライトグレーの専用シート表皮
- 専用のステアリング・ホイール、シフトノブ
- 1988年1月- スーパーエディション
- ホワイトとベージュメタリックのツートーンの専用ボディ色
- アウタードアハンドルをボディ同色に
- カラードリヤマッドガード
- カラードアルミホイール
- フロントブロンズティンテッドガラス
- 一部が本革のシート、本革巻きシフトノブとパーキングブレーキレバーグリップ
- MOMO製の本革巻ステアリング
- 1989年1月- スーパーエディションII
2代目 SW20型(1989年-1999年)編集
トヨタ・MR2(2代目) SW20型 | |
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前期型(1989年10月 - 1993年10月) | |
3型GT-S(1993年11月 - 1996年5月) | |
4型GT-S ホイール、コーナーレンズは社外品(1996年6月 - 1997年11月) | |
概要 | |
製造国 | 日本(神奈川県) |
販売期間 | 1989年10月 – 1999年10月 |
設計統括 | 有馬和俊 |
ボディ | |
乗車定員 | 2名 |
ボディタイプ | 2ドアクーペ |
駆動方式 | MR |
パワートレイン | |
エンジン |
3S-GE型 1,998 cc 直列4気筒DOHC 3S-GTE型 1,998 cc 直列4気筒DOHC ターボ |
変速機 | 4速AT / 5速MT |
サスペンション | |
ストラット式 | |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,400mm |
全長 | 4,170mm |
全幅 | 1,695mm |
全高 | 1,235mm(1,240mm I型) |
車両重量 | 1,210-1,270kg |
その他 | |
最小回転半径 | 4.9m |
販売期間中の新車登録台数の累計 | 7万9304台[6] |
系譜 | |
後継 | トヨタ・MR-S |
1989年10月、初のモデルチェンジを実施(通称I型)。型式は全車共通でSW20。ベース車がセリカ/コロナ/カリーナと大型化し、エンジンもセリカと同じ直列4気筒の2000ccにターボチャージャーを追加した3S-GTE型と、その自然吸気仕様となるスポーツツインカムの3S-GE型を搭載する。当時世界初の試みとして、ステアリングの切れ角に応じて光軸が左右に可動する、ステアリング連動フォグランプも話題となった。しかし、大幅に増加した車重やエンジンパワーに対する足回りとブレーキの貧弱さは否めず、前輪の接地圧不足からくるハンドリングレスポンスの悪さ、オプションにもLSDが設定されないなど、スポーツ走行時における数々の問題点を指摘された。特にリアが唐突に滑ってスピンをしやすいという車だと危険視された。ボディカラーは「スーパーホワイトIII」「スーパーレッドIII」「ブラック」「ダークターコイズマイカ」「クリスタルパールマイカ」「スーパーブライトイエロー」を設定。Gリミテッド特別仕様車「スーパーエディション」には「ブルーイッシュグレーアージェンタムマイカ」が特別外板色として設定された。
1991年12月に最初のマイナーチェンジ(通称II型)。足回りを中心に見直しが行われた。主な変更点としては、タイヤサイズの変更、前195/60R14、後205/60R14だったものが、前205/55R15、後225/50R15となり大径化と扁平化されたことでグリップ性能が向上。フロントサスペンションのストローク量増加とスタビライザーの大型化、ストラットタワーバーの追加、リアサスペンションアームが15mm延長され取付位置が変更となったことや、再設計されたリアサスペンションメンバーによってリアのサスペンション伸縮時のアライメント変化が抑制された。ブレーキローター大型化、ブレーキブースター強化、冷却用ダクトの追加、シフトストロークのショート化、フロントリップスポイラーの大型化、ホイール及びステアリングのデザイン変更が行われた。またターボ車グレードのGT系にはビスカス式LSDの標準装備、ビルシュタイン製ショックアブソーバーの採用、トランスミッションの2速にはトリプルコーンシンクロが採用された。
I型で問題視された「プロが操ってもスポーツ走行時に唐突にスピンしてしまう危険な車」「ハンドリングの初期レスポンスが鈍くスポーツカーらしくない」といった酷評はII型になって一変し高評価された。
また、ターボ車のGTグレードからABSと電動格納式ドアミラーと部分本革シートとカセット一体式ラジオと8スピーカーとフロントガラスがディンテッドという仕様を省略または変更した廉価版となるGT-Sグレードがラインナップに追加された。車重がGTより20kg軽く1270kgであったことからスポーツ性能を期待する層から支持され、ターボグレードの9割以上はGT-Sという販売比率となっていた。
GTにはメーカーオプション扱いでトラクションコントロールが装着可能となった。GT-SでもABSとセットに限りメーカーオプションとなっていた。
フォグランプの色も黄色から白に変更された。ボディカラーは大幅に変更され、白と赤がMR2専用から他のトヨタ車と共通の「スーパーホワイトII」と「スーパーレッドII」にそれぞれ変更、「ミディアムブルーマイカメタリック」と「ターコイズマイカメタリック」と特別仕様車専用色であった「ブルーイッシュグレーアージェンタムマイカ」が新色として設定された。「ダークターコイズマイカ」と「クリスタルパールマイカ」は廃止された。
MR-2 G-Limited Super Editionという全国850台の限定車も発売された。専用ボディーカラー、部分本革のシート、エクセーヌ張りドアトリム、CDプレーヤー、専用サイドステッカーという内容だった。
1993年11月、2度目のマイナーチェンジ(通称III型)。先にフルモデルチェンジしたセリカ(ST20#系)同様、Lジェトロ方式(メジャーリングプレート式)からDジェトロ方式へ変更。燃料ポンプの大型化、インジェクターの容量アップ、ターボチャージャーの改良とインタークーラーの変更、オイルフィルター取付位置の変更とそれに伴う容量増加など、エンジンを中心とした動力系の強化がなされた。これにより最高出力はターボモデルのGT系で225PSから245PSへ、NAモデルのG系で165PSからAT:170PS/MT:180PSへそれぞれ向上している。ABSはターボグレードのGT、GT-Sのみに装着できるメーカーオプションとしてスポーツABSが新しく設定された。前後左右のGセンサーで車両の状態を感知してABSを制御するもので、プロが乗っても富士スピードウェイのラップタイムがこのABSだけで1秒上がると評価された。II型ではGTグレードにABSが標準装備されていたが、スポーツABSが用意されたことでIII型ではGTであってもABSは装備されずオプション扱いとなっている。また従来のABSもメーカーオプションとしてラインナップに残されたため、ABSが2種類存在していた。
ストラットタワー部に金属プレートを入れるなどの補強が行われ、ボディ剛性がより向上している。フロントのキャスター角も変更されている。外観は、リアスポイラーやリアコンビネーションランプのデザインを変更。サイドモールとフロントリップスポイラーおよびサイドシル下部がボディ同色塗装された。これらの変更によってII型以前のモデルとは外観からも区別できる。しかし、バブル崩壊によるクーペ・スポーツカー需要の低下や実用性の劣悪さなど、MR2に限らずクーペ・スポーツカー全体を取り巻くさまざまな要因が災いして販売台数が低下。それに伴い、このマイナーチェンジを機に受注生産車扱いとなった。また、MR2の生誕10周年を記念して特別仕様車「ビルシュタイン・パッケージ」を発売。G系を基に、専用ボディカラーである「シルバーメタリック」を設定し、ターボのGT系が採用するビルシュタイン製ショックアブソーバーとハイグリップタイヤ、専用アルミスカッフプレートなどが装備されている。ボディカラーは「ストロングブルーメタリック」と「ダークグリーンマイカ」が新色として設定され「ミディアムブルーマイカメタリック」と「ターコイズマイカメタリック」が廃止。
1996年6月、一部改良(通称IV型)。スポーツABSの構造(4輪を個々に制御する4チャンネル式へ変更)やトラクションコントロールシステムを変更。全グレードにスポーツABSが標準装備となった。トラクションコントロールはGT/GT-Sのターボグレードのみにメーカーオプションとなっていたが、スポーツABSではない通常のABSを一緒に付けられてしまう弊害があった。
外観はガラス部がコストダウンのためにブロンズからグリーンへと変更、フロントのサイドターンランプの移設、クリアランスランプの白色化、ホイールの切削鏡面加工や、SRSエアバッグが運転席・助手席ともに標準装備になった。ボディカラーは「パープリッシュブルーマイカメタリック」と「ソニックシャドートーニング」と呼ばれるシルバーメタリックの外板色に屋根上が黒のツートンカラーが新設定され、「ストロングブルーメタリック」と「ブルーイッシュグレーアージェンタムマイカ」は廃止。
1997年12月、最後の一部改良(通称V型)。スポーツABSを再度構造変更(軽量化のため、4チャンネル式から3チャンネル式へ)、軽量ホイールに変更。NAエンジン搭載のG系は、3S-GEの最終進化型である「BEAMS」仕様の3S-GE(通称赤ヘッド)へと進化。新たに吸気側にVVT-iを採用、吸気側はDジェトロ方式からLジェトロ方式へ変更、サージタンクの形状見直し、排気側はエキゾーストマニホールドの形状最適化、ダイレクトイグニッションの採用により最高出力200PSを発生する。新たに、タイヤハウスの下部前面にエアスパッツを追加。リアスポイラーを大型の可変型タイプに変更し、空力面での改良も実施。内装がシート、エアバッグの小型化、ステアリングやシフトノブの変更、メーターの目盛りも赤色化。ボディカラーは「ダークパープルマイカ」と「オレンジマイカメタリック」と「ベージュマイカメタリック」が新設定され、「ダークグリーンマイカ」と「パープリッシュブルーマイカメタリック」が廃止。さらにI型から続いた「スーパーブライトイエロー」も廃止された。
1999年8月[7]、オーダーストップに伴い生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1999年10月[8]、後継モデルとなるMR-Sの登場に伴い販売終了。なお、欧州をはじめとした日本国外市場においては、MR-Sが引き続き「MR2」の名称を冠して販売された。
バリエーションとして、トヨタテクノクラフトが企画・制作したオープンモデルMRスパイダーが受注販売され、92台が生産された。自然吸気エンジンのみで、ターボエンジンの設定はなかった。
グレード構成編集
- GT
- GT-S(II型から)
- G-Limited
- G
GT、GT-Sは3S-GTE型エンジン、G-Limited、Gは3S-GE型エンジンをそれぞれ搭載。
前期型、後期型の区別編集
II型が登場してからは、I型を前期型、II型を後期型と呼ぶことが一般的だったが、エンジンがパワーアップされたIII型が登場してからは、II型以降を後期型と呼ぶ場合と、III型のみを後期型と呼ぶ場合が混在していた。このためII型は中期型とも呼ばれていた。更にIV型が登場してからは、前期、中期、後期といった表現自体が使われにくくなっていったが、時代が経過していく中で、II型のことを前期型と表現する事例も増えている。外観上の大きな特徴である「ボディ下部が黒」だと前期、「ボディー同色」だと後期と、外観だけで区別されていることも原因の1つとなっている。
このように前期、後期と言った表現は誤解を招きやすいので注意が必要。
車名の由来編集
「Midship Runabout 2seater(ミッドシップ・ランアバウト・2シーター)」の頭文字から創作された造語。なお、ハイフン(-)付きの「MR-2」という表記は誤りである。
MR2をベースにした車両編集
- TRD2000GT - トヨタ・レーシング・デベロップメント(TRD)が製作したチューニングカー。(GT選手権のエアロカウルを装着し、ロードカーとして製作したプロトモデルも存在する)
- サード・MC8R - ル・マン24時間レース出場車。SW20をベースにGT1規定に沿って改造を施したレースカー。
222D編集
1980年代中盤、トヨタは当時グループB規定のWRC(世界ラリー選手権)にTA64型セリカツインカムターボで参戦していたが、後輪駆動(FR)のセリカでは四輪駆動(4WD)勢の戦力を前に歯が立たなくなってきた。そこでトヨタは、セリカの後継となる4WDラリーカーの開発に着手した。車体はAW11型MR2をベースとし、3S-GTE型エンジンを搭載して駆動方式を4WD化したもので、開発コードは222Dであった。当初はグループB規定への参戦を想定していたが、1985年、グループBをさらに先鋭化させたグループSの立ち上げが決定し、222Dの参戦対象カテゴリーもグループSに変更された。実際に試作車が何台か製作されたが、1986年のヘンリ・トイヴォネンの死亡事故をはじめ重大事故が多発したグループBの廃止が決定し、同時にグループSも消滅したため、参戦は実現しなかった。このため競技への出走実績はないが、国内外に数台の試作車が現存している。
JGTC GT300仕様編集
1996年からJGTC(全日本GT選手権)のGT300クラスに参戦した、土屋春雄率いるつちやエンジニアリングがMR2を採用。1998年に鈴木恵一/舘信吾(翌年急逝)組、1999年もアペックスとジョイントした新田守男/高木真一組と2年連続でチャンピオンとなり、プライベーターチームの雄として名を馳せた。特に1998年の6戦5勝という驚異的な勝率は、2020年現在まで破られていない。
また井村屋グループ支援する井村屋レーシングやファーストレーシング、KRAFTもMR2を採用した。現在政治家として知られる三原じゅん子も、ファーストレーシングのMR2に乗っていた。
関連項目編集
注釈編集
- ^ トヨタ・初代MR2(1984年〜)トヨタ 歴代スポーツカー<1980年代>3話GAZOO.com
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第52号3ページより。
- ^ 『80年代トヨタ車のすべて 保存版記録集』三栄書房刊行 2018年6月6日
- ^ “MR2(トヨタ)1984年6月~1989年9月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月9日). 2020年1月9日閲覧。
- ^ テレビ神奈川・新車情報86 No.482
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第100号(最終号)5ページより。
- ^ “MR2(1989年10月~1999年8月)”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月9日). 2020年1月9日閲覧。
- ^ “MR2(トヨタ)1989年10月~1999年10月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月9日). 2020年1月9日閲覧。