トルステン・フィンク

ドイツのサッカー選手

トルステン・フィンクドイツ語: Thorsten Fink, 1967年10月29日 - )はドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ドルトムント出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーボランチ)。

トルステン・フィンク Football pictogram.svg
FC Red Bull Salzburg gegen FK Austria Wien (24. September 2017) 23.jpg
トルステン・フィンク (2017年9月)
名前
ラテン文字 Thorsten Fink
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1967-10-29) 1967年10月29日(55歳)
出身地 ドルトムント
身長 181cm
選手情報
ポジション MF (CH)
利き足 右足
ユース
1976-1983 西ドイツの旗 SVローランド・マルテン
1983-1986 西ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1986 西ドイツの旗 ボルシア・ドルトムントII
1989-1994 ドイツの旗 SGヴァッテンシャイト 162 (26)
1994-1997 ドイツの旗 カールスルーエSC 92 (11)
1997-2004 ドイツの旗 FCバイエルン・ミュンヘン 150 (4)
2003-2006 ドイツの旗 FCバイエルン・ミュンヘンII 86 (6)
通算 490 (47)
代表歴
1989  ドイツU-21 1 (0)
監督歴
2006-07 オーストリアの旗 FCレッドブル・ザルツブルク II
2007-08 オーストリアの旗 FCレッドブル・ザルツブルク(コーチ)
2008-09 ドイツの旗 FCインゴルシュタット04
2009-11 スイスの旗 FCバーゼル
2011-13 ドイツの旗 ハンブルガーSV
2015 キプロスの旗 APOELニコシア
2015-2018 オーストリアの旗 FKアウストリア・ウィーン
2018-2019 スイスの旗 グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
2019-2020 日本の旗 ヴィッセル神戸
2022 ラトビアの旗 リガFC
2022- アラブ首長国連邦の旗 アル・ナスルSC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

選手経歴編集

地元クラブのSVローランド・マルテンでサッカーを始め、16歳でドイツ・ブンデスリーガに属するボルシア・ドルトムントの育成アカデミーに入った。18歳でプロ契約を結びセカンドチームでもプレーしたもののトップチームでのプレーは無かった。

SGヴァッテンシャイト編集

21歳で当時ドイツ・ブンデスリーガ2部に属していたSGヴァッテンシャイトに移籍。同クラブでは主力のボランチとして活躍し、125試合に出場。ドイツ・ブンデスリーガへの昇格を果たした。現在でも同クラブのドイツ・ブンデスリーガ1部最多出場記録を保持している。

カールスルーエSC編集

1994年夏、同じく当時ドイツ・ブンデスリーガ1部に属していたカールスルーエSCに移籍。同クラブではリーグ戦の他にもDFBポカールUEFAカップにも出場し、公式戦120試合で19得点7アシストを記録した[1]

FCバイエルン・ミュンヘン編集

1997年7月、同僚のミヒャエル・タルナトと共にFCバイエルン・ミュンヘンに移籍した。ちなみに1991年から1997年までは例年のようにオリヴァー・カーンオリヴァー・クロイツァーメーメット・ショルミヒャエル・シュテルンコプフカールスルーエSCの主力選手がFCバイエルン・ミュンヘンに移籍していたが、フィンクの移籍以降今日までこの流れで移籍した選手はいない[2]

FCバイエルン・ミュンヘンではジョバンニ・トラパットーニ監督及びオットマー・ヒッツフェルト監督の信頼を勝ち取り、7シーズンに亘って主力の守備的ミッドフィルダーとしてシュテファン・エッフェンベルクカルステン・ヤンカーエウベルハサン・サリハミジッチアレクサンダー・ツィックラーバスティアン・シュヴァインシュタイガーらで構成される攻撃陣を中盤の底から支えた。

リーグ戦の他にもDFBポカールUEFAチャンピオンズリーグを含めた公式戦236試合に出場し9得点11アシストを記録[3]トヨタカップUEFAチャンピオンズリーグで優勝を果たした他、ドイツ・ブンデスリーガ優勝4回、DFBポカール優勝3回、DFBリーガポカール優勝5回と輝かしい実績を残した。

2003-04シーズンより当時ドイツ3部にあたったドイツ・レギオナルリーガに属していた同クラブのセカンドチームに所属。基本若手選手のみから構成されるチームで若手をリードする経験豊富なキャプテンとして3シーズンに亘ってプレー。公式戦90試合に出場した。

膝の怪我の影響もあり、2006年7月に現役を引退した。

監督経歴編集

FCレッドブル・ザルツブルク編集

2006年9月、オーストリア・ブンデスリーガに属するFCレッドブル・ザルツブルクで当時スポーツディレクターを勤めていたオリヴァー・クロイツァーに誘われ、同クラブのセカンドチームに当たるFCレッドブル・ザルツブルク・ジュニアーズの監督に就任。オーストリア3部にあたるオーストリア・レギオナルリーガ西部 で優勝し、オーストリア・ブンデスリーガ2部への昇格を果たした。同クラブ在籍2年目になる2007-08シーズンはジョバンニ・トラパットーニ監督の下トップチームのコーチを務めた。

FCインゴルシュタット04編集

2008年1月、当時ドイツ3部にあたるドイツ・レギオナルリーガに属していたFCインゴルシュタット04の監督に就任。ドイツ・ブンデスリーガ2部への昇格を果たした。

FCバーゼル編集

2009年7月、スイス・スーパーリーグFCバーゼルの監督に就任。同リーグでの2連覇を果たし、2009-10シーズンではスイス・カップでも優勝した。2009-10シーズンにはリーグ戦36試合で90得点を記録し、スイス・スーパーリーグの最多得点記録を更新した。

2009-10シーズンにはUEFAヨーロッパリーグ本大会、2010-11シーズンと2011-12年シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ本大会出場を果たし、ASローマ等を破りマンチェスター・ユナイテッドとはグループリーグで引き分けた。

ハンブルガーSV編集

2011年10月17日、ドイツ・ブンデスリーガに属するハンブルガーSVの監督に就任した。FCバーゼルとの契約が残っていたが、ハンブルガーSVが違約金を支払うことでフィンクの監督就任を実現させた。監督就任当時、ハンブルガーSVはリーグ最下位の位置にあったが、シーズン中での建て直しに成功し1部残留を達成した。

2012-13シーズンでは最終節にUEFAヨーロッパリーグ出場権を逃したものの、最終順位を7位に引き上げた。

APOELニコシア編集

2015年1月、ファーストディビジョンAPOELニコシアの監督に就任。リーグ戦では首位、カップ戦では決勝に進んだものの、リーグ優勝が決まる直前に解任された。その数日後にチームはリーグ及びカップ戦で優勝した。

FKアウストリア・ウィーン編集

2015年7月、オーストリア・ブンデスリーガFKアウストリア・ウィーンの監督に就任。2015-16シーズンではリーグ3位、2016-17シーズンでは準優勝を果たした。

2016-17シーズン及び2017-18シーズンでは2年連続でUEFAヨーロッパリーグの最終予選を突破し本大会のグループリーグに出場。AFCアストラ・ジュルジュHNKリエカローゼンボリBKらを相手に勝利を収め、ASローマとはグループリーグで引き分けた[4]

ヴィッセル神戸編集

2019年6月8日、ヴィッセル神戸の監督に就任すると発表された[5]。就任時の13位から8位にまでリーグ戦での順位を浮上させ、天皇杯ではチームを優勝に導き、クラブ初のタイトルをもたらした。2020年のFUJI XEROX SUPER CUPでは横浜F・マリノス相手にPK戦を制し優勝を果たした(詳細はFUJI XEROX SUPER CUP2020#試合結果を参照)。

AFCチャンピオンズリーグでチームを率いた同クラブ初の監督となった。

2020年9月21日、家庭の事情で監督を辞任することを発表した[6]

リガFC編集

2022年1月4日、ラトビアヴィルスリーガリガFCの監督に就任すると発表された。同クラブの監督職のみではなく、ロシア国籍の会長兼オーナーがラトビア、ロシア、ギリシャ、キプロスで経営する計4クラブの統括ディレクターも兼ねたオファーであった[7][8]。平均勝ち点1,92でリーグ順位表2位の好結果を残していたが、2022年ロシアのウクライナ侵攻の影響でロシア国籍の会長が資金を提供できなくなり、チームの経営も厳しくなった。

アル・ナスルSC編集

2022年5月19日、アラビアン・ガルフ・リーグに属するアル・ナスルSCの監督に就任した。これまで所属していたリガFCに対してアル・ナスルSCが「ラトビアのサッカー界の歴史に残る記録的な契約違約金」を支払ったことにより実現した監督就任、と報道された[9]

エピソード編集

タイトル編集

選手時代編集

ボルシア・ドルトムント
  • U-16ブンデスリーガ:1回 (1983-84)
FCバイエルン・ミュンヘン

指導者時代編集

FCレッドブル・ザルツブルク・ジュニアーズ(セカンド)
FCバーゼル
ヴィッセル神戸

監督成績編集

2022年1月4日現在
クラブ 就任 退任 記録
試合数 勝利 引分 敗北 得点 失点 点差 勝率
FCレッドブル・ザルツブルク・ジュニアーズ 2006年09月04日 2007年6月17日 28 25 1 2 97 28 +69 089.29
FCインゴルシュタット04 2008年1月5日 2009年4月21日 44 16 11 17 55 61 −6 036.36
FCバーゼル 2009年7月1日 2011年10月16日 120 76 22 22 283 146 +137 063.33
ハンブルガーSV 2011年10月17日 2013年9月17日 68 23 18 27 85 111 −26 033.82
APOELニコシア 2015年1月10日 2015年5月11日 15 7 5 3 24 14 +10 046.67
FKアウストリア・ウィーン 2015年7月1日 2019年6月1日 125 61 21 43 243 186 +57 048.80
ヴィッセル神戸 2019年6月9日 2020年9月21日 49 23 11 15 97 82 +15 046.94
リガFC 2022年1月4日 !
合計 449 231 89 129 884 628 +256 051.45

脚注編集

  1. ^ [1] Games Karlsruher SC
  2. ^ [2] Transfers KSC
  3. ^ [3] Games FC Bayern Muenchen
  4. ^ [4] Leistungsdaten international
  5. ^ “トルステン フィンク氏監督就任およびトップチーム新体制のお知らせ” (プレスリリース), ヴィッセル神戸, (2019年6月8日), https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/16255.html 2019年6月8日閲覧。 
  6. ^ “トルステン フィンク監督退任のお知らせ” (プレスリリース), ヴィッセル神戸, (2020年9月22日), https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/17854.html 2020年9月22日閲覧。 
  7. ^ [5] Fink: „Es steht nicht für Aggressivität“
  8. ^ [6] Zweierkette: Thorsten Fink
  9. ^ [7] Für Rekordablöse: FC Riga lässt Trainer Fink ziehen – Auf dem Weg nach Dubai
  10. ^ [8] Leistungsdaten international

外部リンク編集