トーゴ共和国
République Togolaise
トーゴの国旗 トーゴの国章
国旗 国章
国の標語:Travail, Liberté, Patrie
(フランス語: 労働、自由、祖国)
国歌我等の祖先の地
トーゴの位置
公用語 フランス語
首都 ロメ
最大の都市 ロメ
政府
大統領 フォール・ニャシンベ
首相 コミ・セロム・クラス
面積
総計 56,785km2122位
水面積率 4.2%
人口
総計(2012年 6,300,000人(???位
人口密度 98人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 1兆2,884億[1]CFAフラン
GDP(MER
合計(2008年 28億[1]ドル(145位
GDP(PPP
合計(2008年53億[1]ドル(136位
1人あたり 810[1]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1960年4月27日
通貨 CFAフランXOF
時間帯 UTC 0(DST:なし)
ISO 3166-1 TG / TGO
ccTLD .tg
国際電話番号 228

トーゴ共和国(トーゴきょうわこく、フランス語: République Togolaise)、通称トーゴは、西アフリカに位置する共和制国家。東にベナン、北にブルキナファソ、西にガーナと国境を接し、南は大西洋ギニア湾に面する。首都ロメ

国名編集

正式名称はフランス語で、République Togolaise [ʁepyblik tɔgɔlɛz](レピュブリク・トゴレーズ)。通称、Togo [tɔgo](トゴ)。 公式の英語表記は、Togolese Republic [tougouˈliːz,-ˈliːs rɨˈpʌblɪk](トウゴウリーズ・リパブリック)。通称、Togo [ˈtoʊɡoʊ] (  音声ファイル)(トウゴウ)。 フランス語でRépublique du Togo、英語でRepublic of Togoと表記することもある。

トーゴはエウェ語で「川辺の村」という意味である[2]。1884年にドイツのグスタフ・ナハティガルが沿岸の小村であるトーゴ村の族長と保護条約を結び、内陸進出の足がかりとしたため、拡大後の植民地にもこの小村の名前がそのままつけられた[3]

歴史編集

独立前編集

沿岸部には15世紀末にポルトガル人が渡来し、16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られたが、この地域を領する大規模な国家は存在せず[4]19世紀まで奴隷の供給地とされていた。海岸部にあるプティ・ポポ(現アネホ)は奴隷の積み出し港であり、初期にはポルトガルが、17世紀以降はフランスがたびたび進出を図った[5]

1884年ドイツの探検家グスタフ・ナハティガルによって海岸地域が保護下におかれ、1885年トーゴ全域がドイツ領トーゴラントと宣言された。1914年に第一次世界大戦が勃発するとトーゴラントは速やかに隣接するイギリスフランス両国の植民地軍によって占領され、ドイツが敗戦すると国際連盟委任統治領とされて、東部3分の2を占めるフランス領トーゴランドと西部3分の1を占めるイギリス領トーゴランドに分割された。1946年には国際連合信託統治領へと改組されたが、植民地支配が継続されたことに変わりはなかった[6]

1950年代に入りアフリカ諸国の独立が視野に入ってくると、分割されたトーゴランドの主要民族であるエウェ人は統合を主張したものの、1956年に行われたイギリス領の住民投票では西隣のイギリス領黄金海岸との併合が可決され、1957年、イギリス領地域はのちのガーナとなる英領ゴールド・コーストと併合された。一方、フランス領地域は1946年に現地議会が設立され、1956年の住民投票で自治権を獲得した。このころには、南部エウェ人に基盤を置き完全独立を目指すシルバヌス・オリンピオのトーゴ統一委員会 (CUT)や、同じくエウェ人に基盤を置き親フランス派のニコラ・グルニツキーによるトーゴ進歩党(PTP)、北部に基盤を置くアントワーヌ・メアチの北部首長人民同盟(UCPN)といった政党も組織された。1958年の選挙ではトーゴ統一委員会が勝利し議会で安定多数を占めた[7]

独立後編集

1960年4月27日、フランス領地域が独立し、トーゴ共和国が建国された。初代大統領にはシルバヌス・オリンピオが就任した。しかしオリンピオ大統領は1961年の選挙で野党の立候補を禁じて一党制を敷くなど独裁化し、反対派を亡命に追い込んでいった。こうした中、1963年1月に、トーゴ軍への編入を拒否されたフランス植民地部隊からの復員兵がクーデターを起こし、オリンピオを暗殺した[8]。クーデター派はすぐに民政復帰を行い、亡命から帰国したニコラ・グルニツキー元自治政府首相が大統領に就任したが、新政府はグルニツキー率いる南部派とアントワーヌ・メアチ副大統領率いる北部派が対立して再び機能不全に陥った[9]

こうしたことから1967年1月ニャシンベ・エヤデマ陸軍中佐がグルニツキー大統領を追放し、4月には自ら大統領に就任した。エヤデマは1969年にトーゴ人民連合英語版(RPT)を設立し、一党独裁の強固な支配体制を築いた。1970年代には主要産品であるリン鉱石の価格が上昇し、これを原資とした利益分配で支配体制はさらに強固なものとなった[10]1979年には民政移管に伴う大統領選でエヤデマ大統領が再選したものの、一党制であることには違いがなかった[11]

しかし1980年代に入るとリン鉱石の価格低落によってトーゴ経済は長期不況に入り[12]、1990年からの民主化運動によって1991年7月に国民会議が開催され、民主化移行政府が設立されて実権はエヤデマ大統領から移行政府のジョセフ・コクー・コフィゴー首相に移った。しかし民主化勢力はエヤデマと激しく対立する一方で内紛を繰り返し、軍を掌握しているエヤデマの権力は徐々に回復していった。12月には大統領派の軍が反発して首相官邸を襲撃し、コフィゴー首相はエヤデマ派との連立を余儀なくされることとなって、実権は再びエヤデマへと移った[13]

1993年8月、トーゴ人民連合英語版(RPT)による一党独裁から複数政党制へ移行後初めての大統領選が行われ、エヤデマ大統領が当選した。1994年2月、議会選で大統領与党であるRPTが過半数割れし[14]、野党の革新行動委員会(CAR)が第1党になった。エヤデマ大統領は4月、野党第2党であるトーゴ民主連合(UTD)のエデム・コジョ党首を首相に任命した。

1996年8月の選挙では与党RPTが過半数を回復し、コジョ首相は辞任した。エヤデマ大統領は新首相にRPT党員のクワッシ・クルッツェ計画・地域開発相を任命した。1998年6月21日の大統領選でエヤデマ大統領が当選したが、野党陣営は不正があったとして反発。1999年3月の総選挙では野党がボイコットする中、与党RPTが81議席中79議席を獲得した。5月エヤデマ大統領は新首相にウジェーヌ・コフィ・アドボリを任命した。2000年8月、経済立て直しの遅れを理由に、議会が首相の不信任案を可決し、アドボリ首相は辞任した。エヤデマ大統領は後任首相にアベヨメ・コジョを任命した。2002年6月27日、「議会選に向けた体制準備」としてコジョ首相を解任し、RPT党員のコフィ・サマ国民教育研究相を後任に任命した。8月、CARなど4つの主要野党は対RPT連合の結成で合意、与野党の対立が深まった。10月27日、野党のボイコットの中で議会選が実施され、RPTが81議席中72議席を獲得して圧勝した。12月30日、ほぼRPT支配下の議会は大統領の3選禁止事項を撤廃する憲法改正案を可決した[15]2003年11月、中華人民共和国の援助で新しい大統領府を建設し始める[16][17]

ニャシンベ政権編集

2005年3月5日、エヤデマ大統領が療養のためフランスに向かう途中、飛行機の中で死去した。同大統領は、1967年のクーデターにより政権の座に就いてから死去するまでのおよそ40年近く政権の座にあり、アフリカ最長の国家指導者という事実上の独裁者として君臨した[18]

トーゴ共和国憲法では大統領死去の際の代行職には国会議長が就くとされているが、ナンジャ陸軍参謀長は「国会議長は外遊中であり、権力の空白を防ぐため」として、エヤデマ大統領の息子フォール・ニャシンベ設備・鉱業・電気通信相が代行職に就いたと発表した。しかし実際は、トーゴ軍が陸海空全ての国境を閉鎖したため、国会のファンベア・オウアターラ・ナッチャバ英語版議長がトーゴ国内に戻れなくなっており、「権力世襲」「憲法違反」の措置であると西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)やアフリカ連合(AU)等の国際社会から非難され、2月25日にニャシンベ大統領は辞任した。議会のボンフォー・アッバス副議長が暫定大統領に就任したが、4月24日の大統領選でニャシンベが当選し、5月4日より再びニャシンベが大統領の座に就いた。しかし、選挙に不正があったとする野党側との対立で154人が死亡する流血事件に発展した。

2010年3月4日には大統領選挙が行われた。事実上ニャシンベ大統領と、変化の力同盟英語版党のジャン=ピエール・ファーブル英語版総書記の一騎討ちとみられていたこの選挙では、抗議デモがあった他は流血沙汰には至らず、選管はニャシンベ大統領が60.9%の票を獲得して再選されたと発表した[19]。2015年の大統領選で、ニャシンベ大統領は3選された[20]。2020年2月の大統領選挙では野党側が分裂したため、ニャシンベ大統領が大勝して4期目を迎えた[21]

政治編集

トーゴは共和制大統領制を採用する立憲国家である。

国家元首である大統領国民による直接選挙で選出され、任期は5年と長く、再選制限がなかったが、2019年5月の憲法改正によって2期までの再選制限が導入された。しかし、憲法改正以前の任期が任期制限に含まれなかったため、改正時現職であるニャシンベ大統領はさらに2期の再選が可能となった[22]。大統領は強大な権力を憲法により保障されている。現大統領であるフォール・ニャシンベは第3代大統領のニャシンベ・エヤデマの息子であり、1967年以降50年以上にわたってエヤデマ家の統治者による支配が続いている。

内閣に相当する閣僚評議会は首相および閣僚で構成されるが、実際の行政権は大統領が行使し、閣僚評議会はその執行機関に過ぎない。よってその権力は極めて小さく、大統領の補佐機関であるといえる。

議会は一院制の国民議会(81議席)で、議員任期は5年。

主要政党にはトーゴ人民連合(RPT)がある。RPTは旧独裁政党で、現行憲法により複数政党制が承認されてからも、議会内で圧倒的多数を占める支配政党である。他の主な政党には変化の力同盟(UFC)、パン・アフリカン愛国連合(CPP)があるが、いずれもRPT寄りか、政治勢力が小さいため、政権交代の可能性は極めて低い。南北の対立が政治的に激しく、独立時は南部のエウェ人が権力を握っていたが、1967年以降エヤデマ一族が権力を握ると北部が優勢となった[23]

国際関係編集

旧宗主国であるフランスとの関係が深い。西隣のガーナとは旧トーゴランド植民地の帰属を巡って1960年代から1980年代にかけては激しく対立した[24]ものの、関係は改善されている。近隣諸国とは1975年に西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)を結成しており、また旧フランス領西アフリカ諸国とは西アフリカ経済通貨同盟(UEMOA)を結び、共通通貨であるCFAフラン圏を形成している。

日本との関係編集

2001年1月、森喜朗日本内閣総理大臣として初めてサハラ砂漠以南のアフリカ諸国(南アフリカ共和国ケニアナイジェリア)を訪問し、21世紀に向けた日本の対アフリカ協力基本方針を明らかにした。日本はトーゴへのODAを実施し、現在もそれは続いている。

資金援助の他にも、放送器材を提供して国営放送を支えている。日本はトーゴから綿花魚介類を輸入している。東日本大震災において、国際熱帯木材機関を通じ、復興用木材の提供を行った。

駐日トーゴ大使館編集

トーゴに日本の在外公館は存在せず、在コートジボワール日本大使館が兼轄している[25]。トーゴは東京の目黒区に在日本トーゴ大使館を置いている[26]。 在留日本人数 - 28人(2018年8月現在)[27] 在日トーゴ共和国人数 - 39人(2017年12月現在)[28]

地方行政区画編集

 
トーゴの地方行政区画

トーゴの地方行政区画は北から順に、次の5つの州に分かれる。

また、5州は首都のロメコミューン)と30の県に分かれている。

主要都市編集

最大都市は南部海岸にある首都のロメである。ロメは政府機能が集中するほか、深水港を持ち商業と貿易の中心となっていて、市域の人口のみで84万人(2010年)、都市圏人口では179万人(2015年)を数え、トーゴでは突出した大都市となっている[29]。人口10万人以上の都市はソコデカラがある。ソコデはトーゴ中部の中心都市であり、周辺の農産物の集散地である。カラはトーゴ北部の中心都市であるが、ニャシンベ・エヤデマ前大統領の生地に近いためエヤデマ政権時にトーゴ政府の集中投資を受け発展した[30]

地理編集

 
トーゴの地理

トーゴの国土は南北に510km延びているのに対し、東西は広い部分で140km、最狭部では45kmにすぎず、非常に細長い国土となっている[31]。北部はなだらかに起伏するサバナで、中部には北東から南西にかけてアタコラ山脈が走るがそれほど標高は高くなく、この山脈に属しトーゴ最高峰であるアグー山ですら986mの高さに過ぎない。海岸平野は潟と沼沢からなるが、ギニア湾岸における少雨地帯、いわゆる「ダホメ・ギャップ」地域に含まれるため熱帯雨林は形成されず、サバナや森林が広がる[32]

気候編集

国土のほぼ全域がサバナ気候(Aw)に属する。降水量は内陸部の丘陵が最も多く、北に向かうにつれて減少するが、北部では少ない地域でも1000mm前後の降水量はある。最も降水量が少ないのはロメ周辺の海岸部であり、年間780mm程度の降水量にとどまっている[33]。海岸は平均気温27℃、北部は乾燥した熱帯サバンナで平均気温30℃である。南部では4 - 7月と10 - 11月が雨季だが降雨量はあまり多くない。

経済編集

 
首都ロメ

農業国内総生産 (GDP) の約39%、労働人口の約64%を占める農業国で、世界最貧国の1つとなっている。国民総所得は56億ドル[34](1人当たり690ドル、[35]2019年)である。外国からの援助に依存しているが、欧州連合 (EU) は1993年8月のエヤデマ大統領当選を認めず経済援助を停止し、その後トーゴ国内の混迷に伴い数度の援助再開と停止を繰り返した[36]

通貨西アフリカ諸国中央銀行が発行するCFAフランであり、隣国ベナンやブルキナファソなど近隣諸国と同一の通貨を用いている。トーゴの加盟する西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は2019年に共通通貨であるエコ(ECO)を2020年以降順次導入することを表明しており[37][38]、トーゴもこの新通貨を導入する予定であるが日時は決定していない。

農業編集

農業が労働人口に占める割合は大きいものの、基本的にトーゴの農業は自給農業の色彩が強い。食糧作物としては、南部ではトウモロコシキャッサバ、中部ではヤムイモ、北部ではトウジンビエが主に栽培されるが、生産は停滞気味である。商品作物としては南部海岸でアブラヤシ、内陸南東部におけるカカオコーヒー、そして全土で栽培される綿花があり、独立時には総輸出の89%がカカオやコーヒーなどの農産品によって占められていたが[39]、カカオとコーヒー栽培は衰退しつつある[40]。輸出農産品としては綿花が最も大きく、2016年度には総輸出の7.2%を占めた[41]

鉱工業編集

トーゴの最大の鉱物資源はロメ近郊のハホトエで採掘されるリン鉱石である[42]1969年時点には14万3000トンだったが、1991年には296万5000トンまで採掘量が増加し、世界シェア10位に達した[43]。しかしリン鉱石の産出は減少傾向で、2003年時点には53万トン、2015年には40万トンまで減少している[44]が、それでも2016年にはリン鉱石は総輸出額の11%を占める最大輸出品となっている。このほか、セメントの生産も行われており、2016年には輸出の8%を占めていた[45]鉄鉱石の生産もわずかに行われている。

交通編集

ロメ港は良く整備されており、トーゴ国内のみならずブルキナファソやマリ、ニジェールといった内陸諸国の外港ともなっているため、トーゴ経済における比重は高い。道路は、ベナン国境から海岸線を走り、ロメを通りガーナへと抜ける東西幹線と、ロメから北上しソコデやカラといった国内主要都市を結んでブルキナファソへと抜ける南北幹線の2つの大幹線が完全舗装で整備されており[46]、交易国家トーゴの動脈となっている。鉄道は、首都ロメから北276㎞のところにあるブリッタまで路線が伸びており、主に鉄鉱石の輸送を行っている。またリン鉱石輸送用の貨物鉄道が沿岸部に存在する[47]。ロメにあるロメ空港は近隣諸国からの国際線が多数就航しており、近隣諸国政府との共同出資によって設立されたASKY航空ハブ空港ともなっている。トーゴにはこのほか、北部のニャムトゥーグーニャムトゥーグー国際空港が存在するものの、これは前大統領ニャシンベ・エヤデマが自らの地盤である北部の開発のために建設させた空港であり、定期便は就航していない[48]

軍事編集

選抜徴兵制。兵役は2年。陸軍9千人、海軍200人、空軍250人。2002年の国防予算は3,300万ドル。

国民編集

 
ダンスを踊るトーゴ女性

人口編集

トーゴの人口は、1963年に156万人だった[49]ものが1986年には305万人[50]、2017年には779万人にまで増加した[51]。人口密度は1km2あたり137人(2017年)[52]と低くないものの、地域的に見るとカビエ人が集住する北部とエウェ人の多い南部が高く、中部は人口密度が低くなっている[53]

民族編集

住民は、アフリカ系が99%で、40以上の民族がある。最大民族は南部に住むエウェ族であり、人口の約22%を占める。このほか、北部に主に居住しエヤデマ一族の属するカビエ族英語版が13%を占める[54]。他にドイツ、フランスやレバノンからの移民がいる。

言語編集

言語は、フランス語公用語だが、南部のエウェ語や北部のカビエ語ダバニ語(Dagomba)などが主要言語。北部はグル語群英語版モシ語グルマンチェマ語英語版なども話される。

宗教編集

宗教は、キリスト教が47%、伝統的宗教が33%、イスラム教が14%である[55]

教育編集

教育制度は小学校6年、中学校4年、高校3年、大学3年であり、義務教育は小学校・中学校の10年間であるが、飛び級および落第制度が存在する。教授言語はフランス語である。[56]識字率は、2015年のデータで66.5%である[57]

文化編集

スポーツ編集

トーゴはオリンピックには1972年ミュンヘン大会で初出場し、1984年以降は連続出場している。2008年北京大会ではカヌー競技スラローム男子カヤック1人乗りでバンジャマン・ボクペティ英語版が銅メダルを獲得し、トーゴに初のメダルをもたらした。サッカートーゴ代表はロメのスタッド・ド・ケゲ英語版をホームスタジアムとしている。FIFAワールドカップにおいては2006年大会において予選を勝ち抜きワールドカップ初出場を決めた。アフリカネイションズカップにおいては数度の本大会出場経験があり、最高成績は2013年大会におへるベスト8である。トーゴ出身の著名なサッカー選手としては、エマニュエル・アデバヨールなどがいる。

世界遺産編集

トーゴには世界遺産のうちの文化遺産が1件存在する。バタマリバ人の土地クタマクは2004年に世界遺産に指定された[58]

祝祭日編集

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Jour de l'an
4月27日 独立記念日 Fête de l'indépendance
5月1日 メーデー Fête nationale du travail
6月21日 殉教者の日 Jour des Martyrs
12月25日 クリスマス Noël

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000470110.pdf 「アフリカ各国トピックス トーゴ」日本国外務省 令和元年8月23日 2020年4月23日閲覧
  3. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.406-407、朝倉書店 ISBN 4254166621
  4. ^ 「対照的な民主化の歩み ベナンとトーゴ」p784 岩田拓夫(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月
  5. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.406、朝倉書店 ISBN 4254166621
  6. ^ 「対照的な民主化の歩み ベナンとトーゴ」p784 岩田拓夫(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月
  7. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.409、朝倉書店 ISBN 4254166621
  8. ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年、97ページ ISBN 4-7947-0523-9
  9. ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年、98-99ページ ISBN 4-7947-0523-9
  10. ^ 「対照的な民主化の歩み ベナンとトーゴ」p784 岩田拓夫(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月
  11. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.407-408、朝倉書店 ISBN 4254166621
  12. ^ 「対照的な民主化の歩み ベナンとトーゴ」p784 岩田拓夫(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月
  13. ^ 「対照的な民主化の歩み ベナンとトーゴ」p787 岩田拓夫(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月
  14. ^ 「対照的な民主化の歩み ベナンとトーゴ」p787 岩田拓夫(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月
  15. ^ 「対照的な民主化の歩み ベナンとトーゴ」p790 岩田拓夫(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月
  16. ^ “New palace for Togo's new leader”. BBC. (2006年4月25日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/4941502.stm 2018年7月24日閲覧。 
  17. ^ “Togo to build new presidential palace”. BBC. (2003年11月6日). http://www.panapress.com/Togo-to-build-new-presidential-palace--13-494474-18-lang2-index.html 2018年7月24日閲覧。 
  18. ^ “Africa's longest serving leader dies - World news”. NBC. (2005年2月6日). http://www.nbcnews.com/id/6918721/ns/world_news/t/africas-longest-serving-leader-dies-son-vaulted-power/ 2018年7月24日閲覧。 
  19. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/22/dga_0319b.html 「トーゴ共和国の大統領選挙について」日本国外務省 平成22年3月19日 2019年12月19日閲覧
  20. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/togo/data.html 「トーゴ共和国基礎データ」日本国外務省 令和元年12月10日 2019年12月19日閲覧
  21. ^ https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/03/03e21c7353b304e6.html 「大統領選挙で現職のニャシンベ氏が4選」JETRO・ビジネス短信 2020年03月05日 2020年4月19日閲覧
  22. ^ https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/03/03e21c7353b304e6.html 「大統領選挙で現職のニャシンベ氏が4選」JETRO・ビジネス短信 2020年03月05日 2020年4月19日閲覧
  23. ^ 『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.292
  24. ^ 「西部・中部アフリカ」(ベラン世界地理体系9)p155 田辺裕・竹内信夫監訳 朝倉書店 2017年1月15日初版第1刷
  25. ^ https://www.ci.emb-japan.go.jp/jointad/tg/ja/index.html 「在トーゴ日本国大使館」日本国外務省 2020年4月23日閲覧
  26. ^ https://www.togo-friends.com/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%B4%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E9%A4%A8-embassy/ 「トーゴ共和国大使館」一般社団法人日本トーゴ友好協会 2020年4月23日閲覧
  27. ^ 外務省 トーゴ共和国基礎データ
  28. ^ 外務省 トーゴ共和国基礎データ
  29. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p295 二宮書店 平成30年1月10日発行
  30. ^ 「西部・中部アフリカ」(ベラン世界地理体系9)p155 田辺裕・竹内信夫監訳 朝倉書店 2017年1月15日初版第1刷
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  32. ^ 「西部・中部アフリカ」(ベラン世界地理体系9)p156 田辺裕・竹内信夫監訳 朝倉書店 2017年1月15日初版第1刷
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関連項目編集

外部リンク編集

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