ドイツ通信社
ドイツの通信社
ドイツ通信社(独: Deutsche Presse-Agentur GmbH、DPA[1])は、1949年8月18日にハンブルクで設立されたドイツ最大の通信社[2]。現在はベルリンを本拠とし、世界80カ国、12のドイツ地域に拠点を置いており、ドイツ語、英語、スペイン語、アラビア語で配信されている。
種類 | 有限会社(GmbH) |
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業種 | 通信社 |
設立 | 1949年8月19日 |
本社 | ドイツ・ハンブルク |
事業地域 | 国際 |
主要人物 | Peter Kropsch(社長兼最高経営責任者), Sven Gösmann (編集部長) |
ウェブサイト | www.dpa.de |
歴史
編集dpa は、ナチス・ドイツの国策情報局であるドイツ情報局(DNB)解体後に西側占領地域に設けられた通信社DENA[3]、Deutscher Pressedienst[4]及びSüdena[5]が1949年8月18日に合併、ニーダーザクセン州のゴスラー市で設立された。初配信は1949年9月1日。1951年には有限会社となった。初代総編集長(1951-1955)兼代表取締役(1951-1959)はフリッツ・ゼンガー(Fritz Sänger)。 1966年には55か国で特派員が活動。1980年にdpa欧州局が24時間放送を開始。
1986年にdpaは完全子会社であるグローバルメディアサービス有限会社(Global Media Service GmbH:gms)を設立。1988年には競合会社のGlobus Kartendienst GmbHを買収、現在はdpa-infografikとして地図や図表、チャートなどを作成し、編集局だけでなく学校や企業などにも提供している[6] 。 2010年にdpaは、通称ベルリンの新聞街に新たな総編集局を開局し、これまでハンブルク(原稿、インターネット、グラフィック)フランクフルト(画像)、ベルリン(原稿、画像、音声及び映像)で行っていた報道業務を初めて一つの社屋で行うことになった。本社機能や管理・営業部門はハンブルクに残されている。
脚注
編集- ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年5月12日閲覧。
- ^ “Germany's biggest press agency turns 60”. ドイチェ・ヴェレ (18 August 2009). 13 October 2009閲覧。
- ^ Deutsche Nachrichtenagentur (DENA)は米国占領地域で1945年に設立された検閲局の報道機関。元は英国占領地域の情報局 German News Service と同じ名称であったが、区別の為にDeutsche Allgemeine Nachrichtenagentur(DANA)、その後Deutsche Nachrichtenagentur(DENA)と再度改名している。1946年10月にはドイツ人426名とアメリカ人15名が業務を行っていたが、1948年には890名まで増加した。
- ^ Deutscher Pressedienst (dpd)は、1945年6月に英国占領地域のハンブルクに設立された報道機関。当初の名称はHamburg-Dienstであったが、直ぐ後にGerman News Service Brtitish Zone(GNS-BZ)に改名された。同年12月には正式名称No.10 German News Service British Zoneと共にDeutscher Pressedienst(dpd)の名称も使われている。1947年1月1日に有限会社化されたが、同年5月30日に米国占領下のDENAを見本に、当時英国占領下で許可されていた新聞社48社の組合会社となった。
- ^ Südwestdeutsche Nachrichtenagentur(Südena:Süddeutsche Nachrichtenagenturとも)は仏国占領地区で1947年に設立された報道機関。前身は1945年8月にバーデンバーデン市で設立されたRheinische Nachrichtenagentur(RHEINA)。仏占領政権が資本金の51%を、占領下の新聞社協会が49%を保有した。1948年の通貨改革後に、資金繰り悪化から仏政府が株式を独新聞社に譲渡することを決定し、最終的にdpaの設立につながった。
- ^ “dpa-infografik”. dpa. 21 August 2024閲覧。