ドリス・ミラー (Doris "Dorie" Miller, 1919年10月12日 - 1943年11月24日) は、アメリカ海軍の軍人。アフリカ系アメリカ人の炊事兵で、1941年12月7日の真珠湾攻撃の英雄的行動で有名である。アフリカ系アメリカ人として初めて海軍十字章を受章した。海軍十字章は当時アメリカ海軍において名誉勲章海軍殊勲章に次ぐ3番目に高位の勲章であった(現在海軍十字章は海軍殊勲章より高位の勲章である)。

海軍十字章を着けたドリス・ミラー

2020年1月18日、アメリカ海軍はジェラルド・R・フォード級航空母艦4番艦(艦番号:CVN-81、2023年起工・2028年進水予定)をドリス・ミラーと命名すると発表した[1]

生い立ちおよび経歴 編集

 
チェスター・ニミッツから海軍十字章を受けるドリス・ミラー。

ミラーは1919年10月12日にテキサス州ウェーコでコネリー・ミラーおよびヘンリエッタの間に生まれた。彼は4人兄弟の3番目で、愛情に包まれた家庭の中で成長した。彼は兄弟とともに遊ぶのを楽しみとし、思慮深い子供であった。彼は外で遊ぶのと同じく、家庭では料理や洗濯の手伝いを行った。ミラーはA・J・ムーア高校に進学し、成績良好な生徒であるとともに、フットボールチームのクォーターバックであった。友人たちはミラーをその体格(身長5フィート9インチ:約175センチ、体重200ポンド以上:約90キログラム)から「レイジング・ブル(猛牛)」と呼んだ。

彼は1939年9月に海軍に入隊するまで父親の農場で働いた。バージニア州ノーフォーク海軍訓練基地での訓練後、ミラーは給兵艦パイロ (USS Pyro, AE-1) に配属され、その後1940年1月2日に戦艦ウェストバージニア (USS West Virginia, BB-48) に転属となった。ウェストバージニアで彼は艦のボクシング・チャンピオンとなった。同年7月、戦艦ネバダ (USS Nevada, BB-36) に一時転属となり、副砲の操作を学ぶ。1941年8月3日にウェストバージニアに再び配属となった。

 
真珠湾で日本軍を迎撃するミラーのイラスト

1941年12月7日の真珠湾攻撃時、ミラーは06:00に起床した。総員配置が告げられたとき彼は洗濯物の回収を行っていた。日本軍の襲来の際死亡した水兵に代わって、射撃訓練を受けていない対空機銃座に座り、日本軍機を少なくとも1機を撃墜したと語っている。その功績により海軍十字章が贈られた。同章の受章はアフリカ系米国人として初[2]

その後リスカム・ベイ(護衛空母)に3等コックとして乗船し、ガルヴァニック作戦に参加。タラワの戦い後の1943年11月24日、南太平洋ギルバート諸島に於いて日本海軍の伊号第一七五潜水艦の攻撃をうけ、同艦の沈没時に戦死。

賞罰 編集

脚注 編集

外部リンク 編集